とある人は、「橋下熱狂」を思い出しながら、ヴェイユに関するエントリを読んでくれたのだとか。
その「熱狂」が、「反橋下熱狂」を含めてなら(もちろんこのブログも)、いまの気分にぴったりかも。
橋下支持であれ、橋下批判であれ、その「熱狂」の陰で、現に傷つき、抑圧され、権利を蹂躙されようとしている人たちがいることは、しっかりと見すえて、声を大にして問題化していかないとね。
■[ニュース]大阪市の「障害児」たちへ
<卒業するだけの学力のない知的障害児や発達障害児はずっと義務教育の中でがんばるしかないね。進級できないよ。永遠の児童生徒だ。もう学校の中で一生を終えよう。みんなよかったね。もう働く場所の心配とかしなくていいよ。「義務教育」が一生面倒を見てくれるらしい。>
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120222
「橋下市長:小中学生に留年検討 大阪市教委に指示」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120222k0000e040179000c.html
その「熱狂」が、「反橋下熱狂」を含めてなら(もちろんこのブログも)、いまの気分にぴったりかも。
橋下支持であれ、橋下批判であれ、その「熱狂」の陰で、現に傷つき、抑圧され、権利を蹂躙されようとしている人たちがいることは、しっかりと見すえて、声を大にして問題化していかないとね。
■[ニュース]大阪市の「障害児」たちへ
<卒業するだけの学力のない知的障害児や発達障害児はずっと義務教育の中でがんばるしかないね。進級できないよ。永遠の児童生徒だ。もう学校の中で一生を終えよう。みんなよかったね。もう働く場所の心配とかしなくていいよ。「義務教育」が一生面倒を見てくれるらしい。>
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120222
「橋下市長:小中学生に留年検討 大阪市教委に指示」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120222k0000e040179000c.html
正直なとこ、急速に冷めてきています。
報道と「熱狂」との関係はいちおう書いたつもりですが、まだ釈然としないことも少なくありません。
http://anou.mo-blog.jp/
おいおいフォローしていかねば、と思いはします。大事なことだと思うからです。
でも、橋下市長の言動を相手にしていると、相手をする側のほうがかえってしらけてきちゃうんですよね~。といっても、放っておくわけにもいかないと思うし。
どうしたもんでしょうかねえ。いやはや。トテ。
http://anou.mo-blog.jp/koan/2012/02/post_d74b.html
///
しかし「大阪維新の会」が上げてくる基準の不明確ぶりにはもう誰も驚かない。これまでにじゅうぶん驚いてきたからだ。刺激が刺激でなくなりつつある。
ニーチェのいう「不思議なものを不思議がらない」状態に陥っている大阪市民。なるほどこのことは、すべての大阪府・市民に当てはまるとまでは言えない。が、多くの大阪府・市民が以前から持っていた「ひとまかせ主義」に由来し、もはやいまは血肉化し体質化するに至っている大阪府・市民に見られる「馴れ合い主義」と共通のものを感じさせずにはおかない。
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「極端な「大阪弁」の暴力的濫用、怠ることを知らない周囲への威嚇、粘着気質」というのも、今や土着化していますが、そういうところありますね。
こうしたノラ犬大阪ジャイアニスト(!)の幻想の鏡を壊したのは、東京一極集中や関空の失敗、いろいろありますが、象徴的だったのは五輪招致の破産。
あの招致運動も「ひとまかせ」で、本気だったのはせいぜい100人いたらいいと思いますが、優等生が勉強しないでもわしゃ出来るとたかをくくっていたら、フタを開けたら最下位。
「トルコにも負けるか?」「北京以下とは」と、関係者がオフレコで差別発言まじりでくやしがるのに、逆に「えっ?」と思った。北京、トロント、パリ、イスタンブール、大阪。世界的認知はやはり最下位です。それを覆すために、あれだけ湯水のごとく税金使っていたのではないか。何も知らずに招致運動していたのかよ、と。
高度成長からバブルまで、「利」「得」を追い求めるあまり、本来大坂商人が持っていた「理」や「徳」がをおろそかにしたツケがドッと来たな、と。こりゃあかんわ、と。その廃墟まで全部ぶち壊そうと、ダダイスト橋下が召喚された……と、これは単純化しすぎですが。
立命館大学・村上弘教授「大阪都構想――メリット,デメリット,論点を考える――」より。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/11-1/murakami.pdf
「協力できるか否かは、現在の長のパーソナリティを前提とせず、一般的に考えるべきです。制度は、リーダーに合わせて変えていくものではありません」
最近、会社の新規業務ソフト導入で議論になりました。「これ一発でソリューション!!」と、ITに弱い上層部に取り入るA社製品に、そうじゃない、将来性考えるならうちのスタッフが見つけてきたB社製品だという論戦。
しかしソフトの導入も、それがもたらすメリットが大きく、現行システムでは実現できず、かつ付随するデメリットも小さければ、導入しましょうという話に初めてなるわけですよね。橋下チックな人たちは、どこにでもいて、くたびれますが、制度の改革ってそういう積み重ねだな、と。
この小中学校の留年問題含めて、橋下「改革」は、必要性が小さくデメリットが大きい集権化にすぎない。だからこそ、ブルドーザーのような大文字で語ったらいけない。それは自分自身に対する戒めです。
読みました。大いに参考になりました。
大阪には、論文の中に出てくるような「多様性」があったし、いまもあると思います。そんな「多様性」こそが、大阪府・市の外から見た大きな魅力でした。
「雑種性」がもたらす、おもちゃ箱的・福袋的な魅力があった。大阪には。他の周辺自治体にはもうなくなってしまった商店街のような、訪れる人々をわくわくさせる懐かしい賑わいがありました。「小泉改革」で潰れましたが。
せっかく魅力だった素地を捨てて、あえて「都構想」なのか。いかにも珍妙な気がします。
「小中学校の留年問題」
lesserさんのブログ
[ニュース]大阪市の「障害児」たちへ
面白かったです。トテ。
>lesser→lessor
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120222
失礼しました。トテ。
ほんとうに。大阪に移り住んだのは95年だから、まだいろいろ残ってましたね。そこが好きになって住み着いたのに、好きだった風景や風物がどんどん消えていく。
しかし柴島浄水場前で、干潟再生実験やっているんですが、あれを見るのが好きなんですよ。自然の力はすごい。
中沢新一さんのアースダイバー大阪編は、同時代人で初めて納得した大阪論。リンク先、釈徹宗さんの「流入と堆積」もこの街を読み解くキーワードだと思います。そして今もその力は生きている、はず(希望的観測)。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/14445
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/744.html
大阪の蒟蒻体質はいまも健在。
他県の人の眼にはどう見えるかわかりませんが、橋下への熱狂ぶりもどこか冷めている。
悪く言えば見世物。
ダメ組合やダメ教師をやっつけてくれる紙芝居のヒーローですよ。
しかし上からの統制が自分達の目の前にまでやってきたら、あっさり橋下を捨てるでしょうね。
大阪の人間はズルするヤツらより統制の方が嫌いですから(つーか出来ないでしょう)。
という冗談はさておき、統制や排除を求める人たちも一定数いる。そいつらの声がでかくなってきたなと。連赤と同じで、高揚期には遅刻やルール違反、多少の逸脱や造反は大目に見られるけれど、退潮期になると重箱の隅突きまくるような。消費税導入に最後まで抵抗した町が、小泉改革に流されてしまったのも、長期不況、東京一極集中で求心力を失ってきたあたりかなと思います。
でも、蒟蒻体質。そうそう、上町台地以外は、ふあふあなスポンジ状態の梅田層ですからね。水分多くないと、浮かんでられないのです。ずぶずぶずぶ。あ、蒟蒻は沈むか。気にするな。
っで、わが列島民解放戦線は、米帝を叩き出したヴェトナム人民に敬意を表して、作戦名「橋下徹ウホいい男で、毛馬閘門様ご開通」で、液状化をおこし、ブッシュに追い込み底なし沼に引きずり込むゲリラ戦術☆なのであります。