なにわを制するものは、やまとを制する。第二次神武東征の勝利も、第二次安倍政権の誕生も、このなにわの地を制すること無くしてありえなかった。
「神無月 ニーチェの影を 引きずりて」
大阪に移り住んで間もないころ、大阪天満宮を訪ねたときに詠んだ句である。天満宮の境内に、神武ゆかりの「難波之碕」(なにわのみさき)の碑を見つけ、このあたりは、古代にはチヌの海に面したベイエリアだったことを知った。神武の勝利も、長髄彦を裏切って寝返った、地元勢力の水先案内人なくしてはありえなかっただろう。当地は維新集団や安倍政権とねんごろな吉本興業発祥の地でもある。これがほんとうの「パワースポット」だ。私の知る天満宮の氏子さんも、いろいろ、ややこしいお方だった。
司馬遼太郎も、たまにはいいことをいう。大阪城公園駅の壁画に飾られた陶板の碑文で、要約すると、「大阪城は落城することによって歴史を旋回させた」という意味のことを述べている。この指摘は、正鵠を射たものだと思う。
大阪城は三回落城している。最初の落城では、豊臣氏が滅亡し、徳川政権を盤石のものにした。二回めの落城は、「最後の将軍」慶喜の敵前逃亡が引き起こしたゴタゴタによる失火で、徳川政権の崩壊を決定づけた。三回めは、米軍の空襲で、昭和の鉄筋コンクリート製天守閣は残ったけれど、大阪砲兵工廠は壊滅し、軍国主義はここに終焉する。
緑の少ない大阪にとって、大阪城公園の森は、市民の貴重な憩いのスペースになってきた。しかし、1200本もの木が伐採され、吉本の劇場やレストランがオープンした。外国人観光客が去ったら、どうするつもりなのだろう。そういえば、「光の陣」と称したプロジェクションマッピングで、大阪城が業火に包まれる俗悪な演出は、この城を愛する大阪人を憤慨させていた。木を切り倒され、丸裸にされ、金儲けの見世物にされ、もう誰も親身になって守るものもいない。大阪城の四度めの落城も、そう遠くないかもかもしれない。
大坂城炎上(1663年) ニューヨーク公共図書館蔵 ―Wikipediaより―