広重の『名所江戸百景』より、「王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱」(おうじおとなしがわえんたい せぞくおおたきととなう)です。
タイトル、長いですね。
堰棣(えんたい/いせき)とは、取水用のダムのことです。現代語に訳すと、「王子の音無川のダム 世の人びとは大瀧といっている」という感じでしょうか。
広重や板元が、こういう長たらしいタイトルを付けるときは、たいてい裏があります。いま、私が連載しているのは、その謎を読み解いていく、一種の絵画ミステリーです。
この堰棣は王子七滝と並ぶ名所でしたが、戦後の河川改修工事に伴い姿を消し、現在は跡地が親水公園になっています。私はそのことを紹介したうえで、こんなことを書こうとしていました。
石神井川の豊富な水源を利用して、王子製紙が誕生した。王子製紙の創立者である渋沢栄一の終の棲家(ついのすみか)となった別荘も飛鳥山に築かれた。邸を築いた当時の王子周辺は、陶淵明の「帰園田居」を思わせる田趣に溢れた場所だった。
しかし、王子製紙を初めとした工場群の煤煙によって、渋沢邸の庭の松や梅の木は枯れ、足袋の裏は一日で黒くなったという。
家族が不平をいうと、「どうもワシが骨折って建てた会社ばかりだから、いくら烟けむりを出されても文句はいえんね」と渋沢は語ったそうだ。
(渋沢秀雄『父 渋沢栄一』)
王子や日暮里が、こんな風光明媚な場所だったことは、広重の絵に触れるまで知りませんでした。私が東京にいたころには、すでに当時の面影はどこにも残っていませんでした。
大阪でいえば、梅や桜、螢の名所で、与謝蕪村の故郷でもある毛馬、桃畑が広がり篠崎小竹が「難華十二勝」で桃源郷と激賞した桃谷のような場所かもしれません。
パリでルイ・ボナパルトのサン=シモン主義に影響を受けた渋沢栄一も、小林一三と同じく、一種のユートピア社会主義者/ユートピア資本主義者ではなかったかと思います。安保闘争で亡くなった樺美智子さんが、渋沢栄一が仕えた徳川慶喜についてレポートを書いています。これがなかなかおもしろいのですよ。彼女の初恋の人だったかもしれないお方のお話も。
イタリックで引用したのは、使わなくなった記事の一部のWeb供養です。
私がいま連載で取り上げている『名所江戸百景』の全117景のうち、王子・飛鳥山周辺は6景もあります。
たしかに、王子は、春は桜、夏は滝行、秋は紅葉、大晦日には関東一円の狐が集まるという伝承の狐火と、江戸庶民の人気の行楽スポットでした。
人間が逆に狐を騙す、落語の『王子のきつね』の扇屋も、近年閉店するまでは、江戸/東京の庶民に親しまれた王子名物でした。
『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵も、実母のふるさとの巣鴨村で生まれ育ったという設定ですから、作品でも王子周辺はよく舞台になります。
しかし、日本橋のような有名なスポットだって、6パターン、文章を書き分けるのは、至難の業ですよ?
飛鳥山の話が出てくると知り、坪内逍遥『当世書生気質』なども取り寄せたものです。
本音をいえば、著作権期間の終了した名作を収録する青空文庫からコピペして、サクッと済ませたかったのです。しかし、青空文庫には収録がなく、ネットにも「本作には飛鳥山が出てくる」という情報しか見当たりません。
手元に届いた『当世書生気質』を読んで、いつまでたっても本書が青空文庫のアーカイブ化されない理由がわかりましたよ。致命的につまらないからですね。
それなのに、なんでこんなつまらない本が、今も文庫で新刊が手に入るのか、意味不明です。早稲田大学と岩波書店が結託していて、早稲田の学生さんが毎年大量に購入させられているんですかね。
同志社大周辺のブックオフに、新島襄の著作が大量に溢れているというツイートを見かけた記憶がありますが、早稲田周辺の古本屋街も大変なことになっていそうです。
ここはエコやらSDGsの観点から、江戸時代のお正月のお年玉だった扇が、毎年使い回すリサイクル品だったように、古書店と提携して早稲田界隈だけで自己完結することはできないのでしょうか。
「れん編集長」に指摘されたとおり、結局、私の解説文も、『当世書生気質』ではなく、『鬼滅の刃』から胡蝶しのぶの科白を引用しています(胡蝶しのぶは滝野川村の出身なのです)。
今回も、王子について書くことがなさすぎて、王子製紙と渋沢栄一の話を持ち出して、終わりにしようとしていました。
ラタトゥイユを作りたいのに、ズッキーニが手に入らなかったような敗北感?
ところが入稿直前に、画像ファイル名の文字列に、私だけにわかる符牒が仕込まれていました。何のネタも見つからなければ、このネタで行けという、未来の自分への助言です。
紙であれ、デジタルであれ、メモはどこかに行ってしまい、やがては書いたことさえ忘れてしまうものです。ありがたく、過去の自分が仕込んでいたネタを活用させてもらうことにしました。それは王子がなぜ6景もあるのかの理由を解き明かすものでした。
このときのホッとした気持ちは、料理の下ごしらえもすべて済んで、火を入れる直前で、ズッキーニは手に入らなかったけれど、食感が近く、油とも相性のいいナスが間に合ったような、ギリギリセーフ感でしょうか。
その符牒の典拠となった、ある論文のファイルを引っ張り出し、入稿1時間前に文章を書き改めた次第です。毎度綱渡りの人生であることだなあ。
ちなみに、王子製紙といえば、私のなかでは森鴎外の「空車」なのです。この話題については、いつか別にエントリを立てますね。