今野真二『振仮名の歴史』(集英社新書)より、チョイネタ。
大阪と東京では、ルビや表記が違った。夏目漱石『それから』も、大阪朝日新聞と東京朝日新聞では次のようにちがったのだそうだ。( )内が東京朝日。
「好いだらう」
よいだらう(いゝだらう)
「大分」
だいぶん (だいぶ)
「停車場」
ステーシヨン(ていしやば)
「一昨日」
をとつひ(をとゝひ)
「窺つてゐた」
ねらつてゐた(うかがつてゐた)
「眠さうな」
ねぶさうな(ねむさうな)
「窺つてゐた」を「ねらつてゐた」と読ませるのは意外。大阪弁で「にらむ」を「ねらむ」という用例はあるけどね。
大阪と東京では、ルビや表記が違った。夏目漱石『それから』も、大阪朝日新聞と東京朝日新聞では次のようにちがったのだそうだ。( )内が東京朝日。
「好いだらう」
よいだらう(いゝだらう)
「大分」
だいぶん (だいぶ)
「停車場」
ステーシヨン(ていしやば)
「一昨日」
をとつひ(をとゝひ)
「窺つてゐた」
ねらつてゐた(うかがつてゐた)
「眠さうな」
ねぶさうな(ねむさうな)
「窺つてゐた」を「ねらつてゐた」と読ませるのは意外。大阪弁で「にらむ」を「ねらむ」という用例はあるけどね。
太宰治に戻ってしまいますが──
「あの日記を発表した、A新聞社週刊雑誌の、ガリガリ亡者的態度」(田中英光「如是我喚」)
スキャンダラスで愛憎入り乱れた面も。
「この傷痕は、ひそかに生涯に残り、死ぬまで、共産党に対し、ある種の愛情と、それでいて、ハッキリした敵対心をもっておられた」(同・『自叙伝全集 太宰治』解説)
もっとせつない「18禁」とは。
「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」(太宰治「斜陽」新潮文庫P.149)
「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」(「太宰治全集9」ちくま文庫P.214)
「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」(「ザ・太宰治」第三書館P.894)
「ディテール」について。
「寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキス」(「人間失格」)
しかし注意しよう。ここで重要なのは「寝巻姿」でもなければ「いきなり抱きついてキス」でもない。そうした直接的な単語の介入が問題なのではまったくない。
一方に「コトコト松葉杖」があり、もう一方に「完全な中毒患者」が突っ立っている。が、まだほんのわずか、「間」があるという情景。そうでなければ成立しようのない、埋み火のごとき庶民感覚のうしろ暗い炸裂が、「人間失格」を「18禁」へ導くにあたり、繰り返し強調されねば許されないディテールとして立ち現われてくるのだ。
とも思います。トテトテトテ~。