私は、ただがむしゃらに、
まだ半分以上残っているチラシをまく事によって、
さっきまでの出来事を忘れ去ろうとしていました。
そうする事によって、怒りに我を忘れて安易におこなってしまった
(顔がしっかり判別できる写メを送ってしまったという)
私の愚かな行ないを記憶の中から抹消してしまおうとしていたのです。
私はもう全く感覚が無くなってしまった指先で、
何とか1つのポストには1枚のチラシという大原則を守りながらチラシを配っていたのですが、
どうしても感覚が無い指先ではそれにも限界があるようで
“あっ、2枚入れちゃったよ”
という事を何度か繰り返しながらも、
ようやく残りが50枚というところまで到達する事ができました。
しかし、残り僅かになり、少しホッとなりかけた瞬間、またもや悪夢が私を襲ったのです。
突然
♪たくましく生きるため 僕はひとりになる♪
私が〝着うた〟にしている
高杉さと美さんが歌う「旅人」のメロディーが流れてきたのでした。
‘ギクッ’
私は一瞬本当に心臓が止まるかと思いました。
夜中の12時、辺りは閑静な住宅街。
私はこの場違いとも言えるメロディーを近所の迷惑の事も考えて少しでも早く止めてしまおうと、
画面に表示される名前も確かめずに出てしまいました。
きっとY岡が、さきほど適当に返しておいたメールを見て
時間も考えずに非常識な電話をかけてきたのだろうと思ったからです。
だが予想に反して電話の声はY岡ではなく、先程の変態女のものでした。
「お兄さんの写メを見たら又したくなっちゃった」
確かに若い頃は自慢ではないですが結構もてた方です。
一度に3人の女性から同時に告白されたこともあります。
しかし、それも過去の話。今では当時の面影もありません。
それでも、やはりこの男日照りの変態女には、
どことなく男臭さと哀愁が漂う私のフェイスは刺激が強すぎたのでしょう。
“仕方ないな”
と少し照れながらも私は、
今度こそ
‘ぎゃふんと言わせてやる’
と静かな闘志を燃やし、
けっして相手に気付かれることが無いよう、
反撃の準備を整えていきました。
しかし、よくよく考えてみれば、先程の勝負はこの女の完全勝利のはずです。
次は負けるかもしれないと言うリスクを背負ってまで、
勝者から敗者に再戦を挑む必要がありません。
余程自信があるのでしょう。
ここで弱りきっている私を完膚なきまでに叩きのめし、
二度と立ちあがることができないようにしておこうと考えているのでしょう。
このもはや人間的良心の欠片もない非情な行ないを、
相変わらず舌足らずな声で淡々と進めていくこの女には、
まるで血の通わない冷酷な機械とでも戦っているような恐怖と戦慄を覚えさせられるのでした。
“この女のペースにはまってはダメだ”
そう考え、なるべく女の言葉を右から左へ受け流しながら、
取りあえず先にこの女をいかせてしまおうという作戦に出ました。
私は適当に女の要求に答えてやりながら、反撃の機会を伺っていましたが、
いくら無視しようとしても耳元で
「ああ~、あっあっあっ、あ~~~」
等と言う言葉を永遠と続けられたら、私だって健康な男子です、
どうしても先に根負けをしてしまいそうになります。
私は最後の力を振り絞り、
残りのチラシを全力で配ることにより何とか意識を女の声から逸らそうとしました。
しかしながら、今回は女の方も1度目の戦いで余力が残っていなかったようです。
思ったよりも早く
「はあ~、いっちゃった~」
と昇天してくれたのです。
“ここだ”
この女の意識が朦朧として正確な判断が出来ないこの瞬間こそ
勝機を確実にとらえられる絶好のタイミングだと感じた私は、
女の素性を洗いざらい吐かせ、
意識が回復した後に深い絶望感を与えてやる為に矢継ぎ早に質問して…やるつもりでしたが、
実際に出てきた言葉は
“どこに住んでいるの?”
“年齢は?”
“仕事は?”
等と本当に凡庸な自分自身を失望させてしまう質問ばかりでした。
私は口下手な自分を恨みつつ、
やはり自分には肉体を駆使した一番原始的な戦い方しか向いていないのだと
実感するよりしかたありませんでした。
そして、満足な成果を得られないまま、
またしても女のペースで電話を切られてしまった私は、
激しい虚脱感に襲われるのでした。
だが神は私を見捨てませんでした。
女が電話を切った直後に何とチラシをすべて配りきると言う奇跡が起きたのでした。
この奇跡のお陰で力を取り戻した私は、
“家へ帰ろう、帰れば何とかなる”
と考え、全力でマイチャリンコをこぐのでした。
家の明かりが見えてきた途端、安堵感からか急に気が大きくなった私は、
先程の戦いの中で女が挑発する様に言って来た言葉を思い出し、
“売られた喧嘩は買わねば男がすたる”
の言葉通り、
“上等だ、買ってやろうじゃないか”
との思いが強くなりました。
それは家の中に入り暖かい空間に包まれ愛する妻の顔を見ることにより、
より一層強く大きい思いになるのでした。
‘思い立ったが吉日’
私は何よりも先に女にメールを送ることにしました。
妻が用意してくれた遅い晩御飯よりも
冷え切った体を芯から温めてくれるお風呂よりも先にです。
“送れるモンなら送ってみんかい”
女は写メで撮った自分の裸の写真を送ろうか?と先程の戦いの最中、
‘受け取る勇気なんかないでしょ’
と言わんばかりに挑発してきたのです。
確かにその場では女の思惑通り、何も言い返せない私でしたが、
チラシを配り終えた達成感と家に帰ってきたと言う幸福感に包まれた今の私には、
怖いものなどありません。
女の予想だにしなかった言葉を送りつけてやる事が出来たのです。
“さあ、これでどう動くか楽しみだな”
送ってくるか、それとも泣きを入れてくるか・・・、
私は先ず100%後者に間違いないと確信していました。
すぐにでも訪れる勝利の瞬間を少し後に延ばす余裕が出来た私は、
先ず冷え切った体を温める為にゆっくりとお湯につかり、
お風呂から上がった後も当然届いていようメールの着信など確かめることもなく、
夜食とも言えるあまりにも遅い時間の晩御飯を空腹に耐えていた胃にかきこむ事により、
戦いに敗れて無くしていたすべての活力を取り戻した後、
‘さあ勝利を確認して、心地よい眠りに落ちようか’
と携帯電話の元に向っていきました。
メールを送ってから1時間経過した午前2時の事です。
メールを確認する為に二つ折りの携帯電話をワイン片手に開いてみました。
そこには、
・・・何も届いていませんでした。
“勝ったのか?負けたのか?”
このどちらとも判断し難い状況に、
しかし、あまりにも過酷な戦いであったが為に、
すぐに睡魔が襲ってきた私は、
ゆっくりとコタツのテーブルの上にワインを置き布団へと向うのでした。
“朝になってからが勝負だ”
私は、そうつぶやきながら深い眠りに落ちていきました。
そして、翌朝・・・・
目覚めた私は、真っ先にメールの確認をしました。
“来ている”
そうです。私の予想通りメールが届いていたのです。
“さあ、どっちだ”
私は焦る気持ちを何とか押さえ、
受信ボックスの横に記されている数字に注目しました
“2”
2件届いていると言う事です。
このような早朝から2件も届くなどメル友の少ない私には今までにない事です。
少なくとも1件は女からだろうと思い、受信ボックスを開けました。
そこには・・・、
0001 Y岡
0002 Y岡
“お前かい”
私は今日の夜の練習でこのタイミングが悪いY岡を徹底的にしごいてやろうと決意しました。
読んでみると2件ともどうでも良いような短い文章です。
内容を見ても2件別々に送る意味がわかりません。
1つの文章として十分成り立つ事をわざわざ2つの文章にわけて送って来たのでした。
しかし、その時の私にはある‘考え’がありましたので、
このY岡の愚行など、どうでも良かったのです。
もちろん女からメールが来なかったと言う事もです。
実の事を言うと昨日の1回目の女とのやり取りの最中に浮かんだ‘考え’なのですが、
その時はまだはっきりとした事が見えてきませんでした。
それが時間の経過と共に段々と膨らみ、
昨日家に着いた時には、ほぼその‘考え’は固まっていました。
ですから女からメールが送られて来ようが来まいが関係無かったのです。
私はこの‘考え’を実行する為に、ある二人にメールを送りました。
つづく
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