廃線跡を歩く(下津井電鉄下津井電鉄線)Vol.3

阿津駅を出た路盤は、同じく住宅地の間を進みます。あまり変化のない展開の上に、なかなか進捗状況が芳しくないので、このあたりでちょっとだけイラついてしまったのは今だから言える秘密(笑)



併走した道路を離れると、かなり急な勾配を登り始めました。



ところが、登ったはずの路盤が急降下して急上昇している(笑)。鉄道ではあり得ないこの線形は、おそらく本来高架でやり過ごしていた道路に無理矢理接続したためでしょうね。



その後、JR瀬戸大橋線の下をくぐり、一旦海側へ出ます。



その後、JR瀬戸大橋線と併走する区間がありました。もし、この鉄道が廃止されずに現役であったら、瀬戸大橋を渡る直前に、そのけなげな姿を見ることが出来たはずです。



黙々と歩くことしばらく、やがて木々が開けた場所に出てきました。



そして琴海駅に到着。広い敷地からもわかるとおり、この駅は交換施設を備えた駅として作られました。しかし、減便により交換施設は撤去。ところが、瀬戸大橋の開通による利用客の増加を見込み、再び交換施設を備えました。しかし、その見込みは淡くも夢と消え去ったのです。




駅名票に書かれた距離を確認すると、児島駅から2.9km。今回の行程の半分にはまだ到達していません(笑)。



駅のプラットホームから眺めた海。眼下に広がる村落の人たちからも過去のものになったこの鉄道。その存在意義は何だったのだろうかと考えさせられてしまう。



琴海駅を出た路盤は、またうっそうとした木々の間を走り始めます。



その木々が開けると、眼下にまた集落が現れました。



その先で、先ほどくぐったJR瀬戸大橋線を再びくぐります。



上を見上げると、架線の支持具を取り付けていた跡が見えます。紛れもない電鉄の跡。



JR瀬戸大橋線をくぐり抜けたところには、架線柱の基礎だけが残っていました。根本から切断されています。



次に目に飛び込んでくるのは鷲羽山駅。高度成長期には、鷲羽山山頂からの風光明媚な景色を求めて、沢山の観光客が集まったそうです。





今となってはその名残を微塵にも感じさせない寂れた様子に、暫くたたずんで往事を忍ぶことしか出来ません。遊歩道整備後に設置された駅名票までもが、その遺構の一部であるかのような錯覚さえ覚えます。近くには鷲羽山ハイランド鷲羽山吹上温泉などもあるのですが、道路網が発達した現代となっては、やはりこの鉄道は役目を終えたと考えるべきなのでしょう。



この写真とほぼ同じアングルから撮影された、現役時代の写真を掲載するHPを見つけました。ちょっとむかしの電車のアルバム左下の写真をクリックすると下津井電鉄線の現役時代のページにはいります。ページ中断の左下の写真から、現役時代の様子を伺うことが出来ます。



駅の下津井側にあった遺構。これは何のためのものだったのかはわかりません。相変わらず、雨脚は強くなったり弱くなったり・・・、でももう既に起点から3.8km、半分以上来てしまったし(笑)。心の中では、終点の下津井到着が
14:00を回った場合には、タクシーを拾って戻ろうと考え始めていたのです。



つづく


Editor CABEZÓN


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