サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
EL WEBLOG DE LATIN FACTORY
捜索活動

先日の記事で取り上げたTwitterですが、自分が知らなかっただけで、今注目のメディアなのだそうですね。ですから、先日もテレビ取材が入っての大きなパーティーが行われたり、マスメディアだけでなく政界まで利用しているようです。この様な事実を知って、早くも時代遅れになりつつあることを感じつつ、ここしばらく利用してみました。
本家の某軍事大国では、大統領がこのメディアを利用していることは有名ですし、国内でもアーティストを含めて沢山の方々が利用しています。
で、裸天党としては、政界が気になるわけで(笑)
はい、これが自民党広報で利用しているTwitter・・・
あの政権交代を実現した民主党のマスコットキャラクターもありますが、公式なんでしょうか(笑)
当然、気になる前総理大臣・・・
と、、、これは本人ではない誰かが立ち上げたもので、先の自民党広報アカウントのフォローが1000を超えた旨のメッセージで終了しています。
更に探してみると・・・
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写真は本物ですが、本人のものかどうかはわかりません
しかも、1月18日の最初の発言以来停滞しているし(笑)
Twitterには、発言を検索する機能もありまして、SALSAというキーワードで検索したら、スペイン語圏の方々が沢山ヒットしました。そして、そこからたどっていたら・・・
Willie Colón御大にぶち当たりました!
最初はただのいたずらかと思ったのですが、公式ページへリンクしていることや、その方面に詳しい方のHPでも紹介されていたので、本物で間違いないでしょう。たいした頻度ではありませんが、たまにつぶやくその言葉に重みがあります。最初、それを読んだときは感動してしまいました。リアルタイムで発言しているのですから・・・
Editor CABEZÓN


休話ついでに近況

実は、先月のシルバーウィークのおりに、座敷童から強い要請のあった高尾山に登り、夕暮れが近いからと高速下山を敢行しました。翌日、運動不足を気にして高速徘徊10kmをゴリ押ししたら
膝を痛めてしまいますた orz...
昨年の様に無理をすれば、長引いて半年を棒に振りますからね・・・
心を鬼にして2週間高速徘徊を休んだのです。
先週末トレーニングを再開したのですが
終了後は肩と腹筋が筋肉痛 orz...
その後も死なない程度に運動量を確保
やっと昨日、高速徘徊21.3kmをこなすことが出来ました。
↓↓↓終了直後の満足顔(笑)↓↓↓
午後に昼食を兼ねて、昇天してしまった電気釜の後釜を求めに出かけました。
久しぶりに近場の回転寿司に・・・
実際にはもっと食べたはずですが、途中から食欲を満たすので精一杯で(笑)
で、これが新しい電気釜、文字通り後釜です(笑)。以前の釜は一昨日の朝、電気回路から異臭を放ちながらも奮闘して、米を最後まで炊きあげた後、静かに息を引き取りました・゜・(ノД`)・゜・
高速徘徊したのは良いのですが、家へ帰ってからは眠いのなんの(笑)
Editor CABEZÓN


廃線跡を歩く(下津井電鉄下津井電鉄線)Vol.5

最後まで残った中では最大の下津井駅。列車が行き来した構内は、だだっ広く荒れるがままになっていました。
風の道として整備されてから建てられた駅名票。新しいその姿とは対照的な、プラットホームの草生し具合。
かつて車両が行き交った路盤に降りて、来た道を振り返ります。東下津井駅からここまでの距離は、約2km、雨さえ降っていなければ、手頃な散歩道です。往事は、遠くに見える道路橋をくぐって電車がやって来たのでしょう。
下津井駅は終着駅だったので、立派な駅舎も構えていました。しかし、建物の老朽化で2005年に解体されてしまったのだそうです。鉄道のある風景 - 下津井電鉄では、その在りし日の姿をご覧になることが出来ます。
この下津井駅で忘れてはならないもの・・・
それは、廃止以来眠り続ける車両たち・・・
この車両は、モハ1001、1983年10月頃から車内外への落書きを公認しそれを目玉にした落書き電車となり「赤いクレパス号」と呼ばれて、テレビや雑誌などでも取り上げられて有名になりました。
その奥の車庫とおぼしき場所、これは当初下津井駅構内にあった温室をそのまま車庫として再利用したのだそうです。車庫の中、一番手前に見えるのが、観光鉄道への転身を図って新規製造されたレトロ調電車「メリーベル」。しかし、相次ぐ会社の経営不振により、たった3年間使用されただけで、そのまま眠りにつきました。その後も、他の鉄道で復活する話もあったそうですが、実現には至らずそのままとなっています。
角度を変えて、横から見てみました。温室は、既にボロボロの状態で、車両も風雨にさらされたまま。また、2005年の台風の高潮により全車が冠水したと見られており、全ての車両はとても酷い状態になったそうです。現在は、ボランティアの方々の手により、車体の修繕などが行われているとか・・・。
鉄で出来た車両が、海辺で風雨にさらされ、しかも一度は高潮に洗われている・・・。それは、とりもなおさず、全ての部品が錆びて朽ち果ててゆくことを意味します。願わくば、少しでもその修繕によって、歴史を物語る存在として残り続けて欲しいものです。
かつては海運・軍事の要衝であった下津井港。歴史の流れで、現在では瀬戸内海有数の漁港として栄えています。しかし、その水産業は下津井電鉄線を必要とはしなかったのです。
かつての駅前にぽつんとたたずむ廃墟。これは、かつて旅人が体を休めた千歳旅館のなれの果ての姿。鉄道を失ったこの町を訪れるためには、わずか日に二本のバスを利用するか、タクシーを利用するしかありません。訪れる人がいなくなった町に、旅館も必要なかったのです(往事を偲ぶ写真)。
雨脚がさらに強くなる中、しばらく物思いにふけったCABEZÓNは一軒の食堂兼旅館に飛び込み、そこの方の好意に甘えてタクシーを呼んでいただきました。その時は帰ることばかりを考えていたのですが、今更のように、そこの食堂で食事をとっておけば良かったな、後悔しています。たかだか一時間遅れても東京には戻れますし、好意に甘えるだけでなくわずかばかりでもお返しが出来れば良かった、、、と、とっさの自分の行動を省みるのでありました。
自分が大学生だった頃、もう少し行動力があれば、その晩年の姿を見届けることが出来たかも知れない下津井電鉄下津井電鉄線。奇しくも、この鉄道が廃止された1991年は、Latin Factoryが産声を上げた年でもあります。今更のようですが、それを果たす間もなく過去の存在となってしまった姿を目の当たりにして、過ぎ去った年月の長さ、重さを感じずにはいられません。
完
Editor CABEZÓN


廃線跡を歩く(下津井電鉄下津井電鉄線)Vol.4

鷲羽山駅を出ると、瀬戸大橋が見えてきました。下津井電鉄線が晩年に、観光鉄道として転身を図った時期には、ここからの眺めも売りだったのだそうです。しかし、実際に見渡せるのはごく一部の区間の為、あまり集客には寄与しませんでした。
その景色を左に見つつ、路盤は徐々に下り勾配となって行きます。暫く進むと、岡山県道393号とクロスします。この県道は、かつては鷲羽山スカイライン(鷲羽山有料道路)という有料道路だったそうですが、現在は無料開放されています。
大きな道路の建設によって大きく地形まで整備されるため、この様な場合には、その路盤の行方も良く確認しなければなりません。幸い、道路にさしかかったときにはよくわからなかった路盤が、道路を渡るとはっきり見えてきました。
ここからは、山もなく平坦な地形を進むことになります。
その先の東下津井駅。ここは倉敷市立下津井中学校の最寄り駅だったそうですが、現在はここを通る学生も皆無でしょう。とても、寂しい景色です。
さて、東下津井駅は、終点下津井駅の一つ手前の駅。ということは、あともう少しで目標に到達する・・・
ところが、沿線では東下津井~下津井の駅間が一番遠いんですねぇ(笑)。
しかも、その路盤はどんどん人気のない方向に進んでゆくし、周りには人っ子一人いないので心細いったらありゃしない。さらには、この時点で雨がかなり強く降ってきて、いよいよずぶ濡れも覚悟かと orz...
すると、その先に道路橋をくぐる場所があったので、暫く雨宿りしました。ふと見上げてみると、鉄道の架線を保護するためのネットが、主を失ったままその姿を残していました。もう、君も頑張る必要は無くなったんだね ・゜・(ノД`)・゜・
雨宿りついでに毒を摂取して休んでから再出発。いつまでも、ここにじっとしていたら、そのうちこんなものが出てくるかもしれないし(笑)
うっそうとした切り通しを抜けると、また人里が見えてきました。
家や畑を縫うように、港を目指して路盤は方向を変えてゆきます。意外だったのが、その集落に新しい建物が多かったこと。鉄道が現役だった頃から存在する建物も、もう少ないかもしれませんね・・・
やがて右側に県道22号線が現れます。
その県道の下をくぐれば終点下津井駅
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やっと着いた・・・
つづく
Editor CABEZÓN


しばらく改装工事でご迷惑を

いきなりですが、シリーズものを中断して現在の本ブログの状況をご説明したいと思います。と言いますのも、先日の記事ぶん投げてみたものの(笑)ではtwitterの導入について解説したのですが、そのtwitterと連携するPhotomemoも導入しました。これは、CABEZÓN個人の撮影した写真などを掲載するスペースで、ここに写真がアップされると自動的にtwitterにも反映されます。また、このPhotomemoのブログへの自動投稿機能も実装されたので、ここ一週間ほど使ってみました。
しばらく使ってみて思ったのですが、これらはごくごく日常的な事柄も含めて手軽に使えるということ。逆に言うと、情報サイクルが比較的長いブログに比べて、あっという間に流れて行ってしまうのです。そこで、肥大化して執筆が全く後手に回りがちな本ブログはシリーズものにある程度特化して棲み分けをしようかと考えました。
改めて本ブログのシリーズものを読んでみると、この自動投稿されたPhotomemoの記事スペースが、結構鬱陶しいんです(笑)。Vol.1, Vol.2 と続く記事の間に長大なスペースがぽっかり空くようになってしまい、記事を追いづらくなったので、この自動投稿機能に限っては使用を見送ることにしました。
この自動投稿機能、設定しておくと午前3時に投稿されるのですが、アクセス解析を行ったところ、閲覧者はその午前3時に集中するようになってしまいました(笑)。従来の昼間の投稿時にアクセスしてくださった方々はどこへ行ってしまったのでしょう(笑)?しかも、ブログを解析してくれるというblogramは、この自動投稿分の記事ばかりを解析されているようで、
新幹線や倉敷への熱い思いが語られている
グルメブログ
と紹介されてしまいますた(笑)
明日からは廃線シリーズを先に完結させる予定です。
Editor CABEZÓN


リハーサル (2009/10/10) Vol.2

料亭においては、厳しい目つきのZENちゃんの姿がありました。一体何が始まるんでしょう。
他のメンバーも、同じように状況の行く末を見守っています。
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あっ!見えた!!!
ホルヘが叫ぶ!
本当かいな(笑)?
アイマールはさわやかに抗議した(笑)
Editor CABEZÓN


リハーサル (2009/10/10) Vol.1

昨日はリハーサル。開始前に打合せをすることになっていたので、早めに出たらえらく早く着いてしまって(笑)。やむを得ず、待合室で執筆しながら待っていたら、いきなりスタジオのスタッフから、
「あの・・・、リハーサル開始時間は15:30からですが」
とご丁寧にもお言葉をちょうだいしましてね(笑)。「わかっていますよ」とは答えておきましたが・・・。
で、待ち続けること暫く、次々に届く遅延メール orz... 結局、1時間ほど、ここでのんびりと執筆できました(笑)。打合せは、アイマール・モントゥナーと30分ほどで終了。
リハーサルのメニューは綿密に打ち合わせたので、ものすごい勢いで命を削りながら演奏しますた(大ウソ)。
命が削れすぎてアイマールも笑いっぱなし
さすがにこのままだと死んでしまいますので、場所を料亭に移すことになりました。この料亭では、実弾だけでなく命も手に入るらしい。
ついにアイマールも真剣な表情を取り戻した(笑)
Editor CABEZÓN


廃線跡を歩く(下津井電鉄下津井電鉄線)Vol.3

阿津駅を出た路盤は、同じく住宅地の間を進みます。あまり変化のない展開の上に、なかなか進捗状況が芳しくないので、このあたりでちょっとだけイラついてしまったのは今だから言える秘密(笑)
併走した道路を離れると、かなり急な勾配を登り始めました。
ところが、登ったはずの路盤が急降下して急上昇している(笑)。鉄道ではあり得ないこの線形は、おそらく本来高架でやり過ごしていた道路に無理矢理接続したためでしょうね。
その後、JR瀬戸大橋線の下をくぐり、一旦海側へ出ます。
その後、JR瀬戸大橋線と併走する区間がありました。もし、この鉄道が廃止されずに現役であったら、瀬戸大橋を渡る直前に、そのけなげな姿を見ることが出来たはずです。
黙々と歩くことしばらく、やがて木々が開けた場所に出てきました。
そして琴海駅に到着。広い敷地からもわかるとおり、この駅は交換施設を備えた駅として作られました。しかし、減便により交換施設は撤去。ところが、瀬戸大橋の開通による利用客の増加を見込み、再び交換施設を備えました。しかし、その見込みは淡くも夢と消え去ったのです。
駅名票に書かれた距離を確認すると、児島駅から2.9km。今回の行程の半分にはまだ到達していません(笑)。
駅のプラットホームから眺めた海。眼下に広がる村落の人たちからも過去のものになったこの鉄道。その存在意義は何だったのだろうかと考えさせられてしまう。
琴海駅を出た路盤は、またうっそうとした木々の間を走り始めます。
その木々が開けると、眼下にまた集落が現れました。
その先で、先ほどくぐったJR瀬戸大橋線を再びくぐります。
上を見上げると、架線の支持具を取り付けていた跡が見えます。紛れもない電鉄の跡。
JR瀬戸大橋線をくぐり抜けたところには、架線柱の基礎だけが残っていました。根本から切断されています。
次に目に飛び込んでくるのは鷲羽山駅。高度成長期には、鷲羽山山頂からの風光明媚な景色を求めて、沢山の観光客が集まったそうです。
今となってはその名残を微塵にも感じさせない寂れた様子に、暫くたたずんで往事を忍ぶことしか出来ません。遊歩道整備後に設置された駅名票までもが、その遺構の一部であるかのような錯覚さえ覚えます。近くには鷲羽山ハイランドや鷲羽山吹上温泉などもあるのですが、道路網が発達した現代となっては、やはりこの鉄道は役目を終えたと考えるべきなのでしょう。
この写真とほぼ同じアングルから撮影された、現役時代の写真を掲載するHPを見つけました。ちょっとむかしの電車のアルバム左下の写真をクリックすると下津井電鉄線の現役時代のページにはいります。ページ中断の左下の写真から、現役時代の様子を伺うことが出来ます。
駅の下津井側にあった遺構。これは何のためのものだったのかはわかりません。相変わらず、雨脚は強くなったり弱くなったり・・・、でももう既に起点から3.8km、半分以上来てしまったし(笑)。心の中では、終点の下津井到着が
14:00を回った場合には、タクシーを拾って戻ろうと考え始めていたのです。
つづく
Editor CABEZÓN


廃線跡を歩く(下津井電鉄下津井電鉄線)Vol.2

さて、最初の踏切を越えた路盤は、緩やかに左に向きを変えながら進んでゆきます。この路盤は、風の道と名付けられた遊歩道として整備されているために、藪をかき分けたりする必要が無いのが楽です。
民家の脇に残る架線柱にはツタが絡まっています。末永く発展を続けることを祈ったのでしょうか、あえて鉄製の架線柱を建設した人々の想いはいずこに・・・。
そして最初の駅、備前赤崎へ到着。現役時代の写真を見ると、木造の駅舎を持つ駅だったようです(参照:鉄道web通信局様の下津井電鉄今昔物語)。全盛期にはプラットホーム2面を持つ交換駅も、相次ぐ合理化により無人駅となってしまいました。
こちらのプラットホームは、末期には使われていなかったものでしょう。遊歩道として整備された後に建てられた駅名表が、逆に寂しさを感じさせます。しかし、リサーチ不足のCABEZÓNにとっては強い味方となりました。隣駅までの距離が明記されていたので、悪い天候に気が滅入りながらも何度力づけられたことか(笑)
備前赤坂駅を出ると、国道430号線とクロスします。増え続ける交通量に対して整備されているために、現役時代の面影は無くなりつつあります。
何と素敵な萌えカーブだ(笑)
軽便規格の鉄道の場合、JR等の国内標準規格に比べてきついカーブを曲がれるのですが、これがまた良いですね(笑)
更に、児島インターへのバイパス道路を越えます。
住宅街を暫く進むと・・・
阿津駅に到着しました。ここは、もともとプラットホーム一面だけで、待合室のみのこぢんまりとした駅だったようです。
道路整備後に建てられた新しい駅名票を見ると、まだ児島駅から1.7kmしか歩いていません。しかし、慣れない革靴と時折強くなる雨で、芳しくない進捗具合に段々不安になってきました。写真を撮りながら歩いているので、全く前に進みやしないんですよ(笑)。写真がなければ記事にもならんし orz... しかも、旅の荷物は児島駅のコインロッカーの中(笑)。いずれにせよ引き返さなければならないので、立ち止まる度に帰りのことを考えてはいたのです。
つづく
Editor CABEZÓN


廃線跡を歩く(下津井電鉄下津井電鉄線)Vol.1

四国方面に向かいながら、いきなり児島駅で降りたのには訳があります。実は前日の夜、ホテルでネットにより色々と調べ物をしていました。何について調べていたかというと・・・
下津井電鉄下津井電鉄線
ただし、現役の鉄道ではありません(笑)。恒例の廃線跡を歩いてみようという魂胆。何しろ、滅多にこんなロケーションに立ち会うことなどありませんから、いの一番に調べ上げたという次第で・・・。
<<下津井電鉄下津井電鉄線とは>>
古くから風待港として栄えた港町下津井は、本州と四国とを結ぶ「四国往来」と呼ばれる主要ルートの一部とされた。しかし、国鉄宇野線の開通、宇高連絡船の就航で旅客が激減、これを取り戻すために計画された路線である。賛同した有力者などがの協力もあり、1911年に着工、特に大口の路線用地提供者に要請され、茶屋町 - 味野町(後の児島)間 14.5kmが1913年に先行開業、1914年には味野町 - 下津井間 6.5kmも開業して全通したが、山陽本線から宇野線・下津井電鉄線と乗り継ぎが必要なために敬遠され、四国への利用客は少なかった。
戦後には、燃料費暴騰で一時は存続も危ぶまれたが、近代化して存続する方針が立てられ、1949年には全ての路線を電化している。風光明媚な鷲羽山への観光客増加も手伝って、昭和30年代に全盛期を迎えたが、相次ぐモータリゼーションにより、1972年に茶屋町 - 児島間14.5kmが廃止。その後も、映画やドラマのロケ地として話題になることこそ多かったものの、バス部門の収入によって経営が支えられて状態であった。
1988年の瀬戸大橋の開通により、観光鉄道への転身を図っての設備投資やインフラ整備なども行われたが、乗換駅となる下電児島駅がJR児島駅と離れていること、鷲羽山の眺望もごく一部区間に限られた上に、瀬戸大橋建造に用いられた道路が一般開放されたり等、バス部門の利用者も減ったために、鉄道部門の赤字を吸収しきれなくなり、1990年末に廃止された。
まずは、一番JRの駅からアクセスしやすい場所、下津井電鉄線児玉駅から開始です。JRの駅からは700メートルほどの距離、歩きでも至近距離といえるでしょう。時間をまるまる一日使えるのであれば、一次廃止線を茶屋町駅からたどったのですが、今回は寝坊した上に、夜には東京へ戻る予定だったので、二次廃止線に的を絞ったのです。
文化センター交差点の前に、その駅は存在しました。現在も、当時の建屋は残っていて、シモデンツーリストという下津井電鉄の関連会社である旅行代理店が営業しています。
中へ入って、一番最初に目を引くのが、腕木信号機や区間閉塞器など、現役時代に使用されていた施設。すでに廃止から19年の年月が経つわけですから、それぞれもくたびれた様子を見せて、とても寂しげな雰囲気があります。
そして、ここが列車のプラットホーム。児島駅以北の路線が廃止された後は始発駅となったため、このような構造になっています。しかし、それ以前は交換設備も持つかなり立派な駅であったことが、参照サイトの写真で伺うことが出来ます(参照:表紙ページが無いので、該当ページに直接リンクさせていただきました)。
一旦表に出て回り込んで見た、上記写真の反対側。プラットホームに立ち入れないように柵が設置されています。右側に見えるのは、現在も営業を続ける下津井電鉄バス。この会社が存続し続けられたのは、このバス部門によるものといえますが、他の軽便鉄道が次々と姿を消し、国鉄が不要不急路線を整理し始めた時期にあっても、この下津井電鉄線はそれなりの黒字を出していたといいます。
ここから路線は一路終点の下津井駅まで、途中5駅を経て5kmの旅となります。架線柱も間引きこそされてはいますが残されています。この下津井電鉄線の経営方針は、施設への投資を可能な限り行う方針だったそうで、それは、機関車を導入する際にもトップブランドの機関車を求めるほどだったそうです。架線柱も、見ていただければわかると思いますが、木製ではありません。経年変化の激しい木製の架線柱は、ローカル線など投資を十分行えない路線で使用されることが多かったのです。先の西武鉄道安比奈線でも同じでしたね。軽便鉄道にしては、同じ距離での建設単価は高かったことでしょう。
そうこうしている内に踏切が見えてきました。ここの架線柱も立派なものですね。
近づいてよく見てみると、驚いたことに踏切動作反応灯も設置されています。ということは、ここの踏切は国鉄でいう第一種踏切、いわゆる遮断機を擁した踏切だったことがわかります。それなりに、当時も車の交通量も多かったのでしょう。
この真ん中の色が違う部分が、元の軌道敷きです。ここを走っていた鉄道の軌間は762mm、実に新幹線のほぼ半分です。如何に規模の小さな鉄道だったことがわかります。
ところで、、、
このあたりで雨脚が少しずつ強くなってきたのですが・・・
ヽ(`Д´)ノ
とても戻る気にはなれません(笑)
つづく
Editor CABEZÓN


風来坊

瀬戸内海鮮料理店の朝食ですが、これがまた結構なボリュームで、ご飯をおかわりなどして満腹になってしまいました。まぁ、完全なオフ日ですからね、、、食後にマターリしようと横になったら、
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気がつかないうちに2時間経っていますた orz...
いやいや、実はフロントからの電話で目が覚めたのです(笑)
チェックアウトして、外に出てみると、あいにくの雨。前日に立てたプランが早くも藻くずと消え去ろうとしていました orz...
ひとまず岡山駅までは出る必要があろうと、体が勝手に切符を買い求め、半ば自動的に駅に入りました。駅には魅惑の国鉄型車両が魅惑の国鉄塗装をまとってたたずんでいました。
ヽ(`Д´)ノ乗りたい!!!
これに乗りました(笑)
しかし、子どもは一人も乗っていなかったぞ(笑)
実はこれ、電車ではなくディーゼルカーなのです。
列車の目的地は高松
そう、CABEZÓN未踏の地、四国なのです。
ところがCABEZÓNは瀬戸大橋を渡る前に岡山県内の児玉駅で降りてしまいました。さて、この後はどうなるでしょう???
ほとんどみえみえの展開ですが(笑)
《 お知らせ 》
一昨日queicoさまからご指摘がありました、Firefoxでの動作不良ですが、昨晩の帰宅後に問題点を修正しました。実際に、そのFirefoxで本ブログを開いたところ、メタメタの画面構成になっていました orz...
Editor CABEZÓN


倉敷観光

朝っぱらから、早くも現実逃避したがっていたCABEZÓNですが、ホテルを出て駅に着いてみると、、、魅惑のローカル線が自分を待っているではありませんか(笑)。このような現実を目の当たりにして、現実逃避などという言葉はどこへやら・・・。
とりあえず所用をすませた後、同じく魅惑のローカル線の駅にたたずんでいました。ところが、釈放された場所は、田んぼ以外になんにもない場所(笑)。しかも、次の列車まで1時間待たなければならないという、非常にレアなケースに遭遇しました。時間がもったいないので食事をしようと思ったのですが、何も無かったのです。しょうがないから、この記事を執筆、、、ああ、魅惑のローカル線がぁ(笑)
途中、乗り換えの総社駅で、またこれ、魅惑の国鉄型車両に(笑)。って、さっきのも国鉄型車両だが・・・、なんだか、久しぶりに(;´Д`)ハァハァする旅だ(笑)
と、まぁ(;´Д`)ハァハァするのもここまで。予定通り倉敷駅に着きましたよ。最初っから延泊するつもりだったのがみえみえな展開ですな(笑)。
ひとまずの腹ごしらえはぶっかけうどん、倉敷の名物だそうです。なんでも、このアイデアは江戸のお代官様が考案したものだとか(参照)。
さて、ここからは観光モード一直線です。まずは阿智神社へ。ここの石組みは、日本庭園の石組みの起源を探る貴重な存在なのだそうです。
神社の近傍からの眺め。町並みに歴史を感じますね。
そして有名な観光スポット美観地区を訪れました。特に倉敷川をはさんだ町並みは、平日だというのにたくさんの観光客でにぎわっていました。
ビールにかまぼこでも良かったのですが、小休止には桜茶と本吉備団子を。何だか自分らしくないチョイスに笑ってしまいました。実は、3回ほど店の前を行き来したあげく、どうしても食べたくなってしまったのです(笑)。
一つ裏の通りに行くと、電柱もそのままの生活感のある景色が現れます。木曾路でいえば妻籠宿・馬込宿に対する奈良井宿のような存在でしょうか。夕暮れ時の、灯が少しずつ灯り始める頃合いが好きです。
本当はもっとたくさん通常徘徊しまくりたかったのですが、思ったよりも美観地区はこぢんまりとしています。結局、同じ所を行ったり来たりしているうちに暗くなってきてしまいました。
せっかくなので、夜景まで楽しむことと割り切り、さらに長居しました。水面に映る灯も良いものです。
ホテルに戻っての夕食は、同じホテル直営の瀬戸内海鮮料理店へ・・・
実は宿泊料込みのプランがとても安かったので、あらかじめ予約してあったのです。
いざ、瀬戸内海鮮料理店へ!
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あ゛~!!!(笑)
昨日コメント下さったのは、この前振りだったんですね(爆)?
いえ、失礼しました。あまりにタイムリーだったのでひっくり返りそうに(笑)
瀬戸内海鮮料理の看板は伊達ではありませんでしたョ。特に刺身は、いけすからの直行便なので鮮度が違います。おまけにビール一杯もホテル宿泊者に限りサービス。夏のガッシュ君で鍛えていたおかげで、全部平らげることが出来ました(笑)。
Editor CABEZÓN


岡山へ

実は、昨日の夕方から旅に出たくなって(ウソ)、現在岡山県におります(笑)。昨日は運動会のモロモロで早朝から色々業務をこなした後、その運動会を中座する形で間髪を入れずに出発しました。ほとんど、あらかじめ決められたスケジュールのみに従って動いているといった案配です。
で、せっかくですから新幹線の中での時間はもったいない・・・。そこで、旅の友
データ通信カード
を、最大限利用しようと思ったのです。
ところが・・・
データ通信カードは実質携帯電話なのですね・・・
当然、トンネルや山奥などの電波が届かないところはダメ
当初CABEZÓNは、このデータ通信カードさえあれば、バラ色のネット人生が開けると思っていました(笑)
ところが、実際に新幹線で使ってみると・・・
早速アップロードしよう!
v( ̄ε ̄=)~♪
↓
切断している
↓
再接続
↓
アップロードを急げ!
↓
また切断
↓
ヽ(`Д´)ノ
↓
次こそうp
↓
また切断
↓
(ノ`A´)ノ ⌒┫∵:.
実際全くストレス無く使えたのは、しばらく平野部を走る区間だけでした(笑)。もしかしたら在来線であれば、もう少し快適に使えるかもしれません。でも、岡山まで在来線で移動なんて(笑)、、、それだけの時間があったら、新幹線で移動して、その先に執筆時間を作ります(笑)
ところが、宿泊先の有線LANを使ってみたところ、遙かに遅いんですよ(笑)。結局、ホテルに着いてからもこのデータ通信カードで作業をすることになりました orz... データ通信カードは、宿泊先の電波の安定したところで使いましょう・・・。
昨日、「バンマスの一日」についての記事を掲載しましたが、お使いの環境によっては正しく表示されない場合もあるようです。また、携帯端末からアクセスされている場合も、現時点では見ることが出来ません。PCから閲覧されている方は、こちらから表示されている内容をWEBベースで閲覧できます。また、携帯端末の方はこちらからご覧下さい。ブログページの表示不具合に関しては、帰宅後に環境を整えて検証する予定です。今しばらくお待ち下さい。
Editor CABEZÓN


ぶん投げてみたものの(笑)

昨日の記事でをぶん投げてみた後、ネットで暫くこの「つぶやきくん」について調べてみました。すると、実際にこの媒体を利用している方々の中には、国会議員やジャーナリストなども多数いるようです。そこで、この「つぶやきくん」がどのように利用されているのかを調べてみたのです。
すると、単純につぶやいているのではなく、手軽なブログやRSSのような使い方をしているようです。ということは、先のガッシュ君当日の投稿のような、本文が短い現状説明的なものに関しては、こちらを利用した方が良さそう・・・。そこで、CABEZÓNのつぶやきなるものをバンマスの一日というタイトルでブログに貼り付けてみました。このパーツは、幅が結構あるんですよね・・・。どうしても従来のデザインのままだと収まりきらなかったので、本文を少し左に寄せる形でデザインを変更してあります。
本来のコミュニケーションツールとしても使えるのですが、ブログへのコメントも含めると、段々訳がわからなくなってしまいますね(笑)。一応、こちらにも返信が出来るようなので、もしむかつく言葉が書かれていた場合は、是非食いついてきてください(笑)。書き込みするには、Twitterに登録してこちらのページでフォローをした後にログインしてください。
しかし、、、従来の左右対称のデザインに慣れてしまっているからか、新しいデザインが非常にバランスを欠いているような気がしてなりません(笑)。皆さん、いかがですか?あまり不評なら、別の方法を考えてみますんで・・・。
Editor CABEZÓN


つぶやき

最近、mixiの「マイミクのボイス」なるコーナーが目に付くところに配置されました。これは、「今何しているの?」の問いかけに対して、今のつぶやきを書き込んでゆくというもの。いわゆるマイミクの方々のつぶやきが、次々に更新されて目に飛び込んでくるというものです。
実はこれ、アメリカで2006年に始まったサービス、Twitterのパクリなんですよね。本家Twitterのユーザーは、国内からのアクセスだけで約320万人、全世界では約1.1億人に及ぶそうです。無数のつぶやきが紡ぎ出してゆく「ユルい」コミュニケーションがヒットしたのだといわれています。
先のmixiという限定された世界でも活発に利用されているようなので、いっそのこと本ブログの脇に登場させようかと登録してみました。このTwitterは、不特定多数の人がアクセスしているために、フォロー、いわゆる追っかけシステムが搭載されています。下手するとストーカーですな(笑)
で、何とはなしに自分の状態を見てみると・・・
自分は20人の追っかけをやっていました(笑)
というのは冗談で、うっかり最初の登録時オプションの自動追っかけ追加をしてしまったのでした。
ところが、もう一度良く見ると自分も追っかけられている・・・
一体誰でしょう?
23歳の女性だそうです
今の私から60マイルほどの距離にいるとか・・・
調べてみると、それは・・・
海外の出会い系サイトでした
(ノ`A´)ノ ⌒┫∵:.
Editor CABEZÓN


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