ブクステフーデ:トッカータBuxWV165
ブクステフーデ:アリア ラ・カプリチョーザ BuxWV250
バッハ:ゴールドベルクBWV988 クオドリベット~アリア
〜後半〜
ブクステフーデ:パッサカリアBuxWV161
バッハ:パッサカリアとフーガBWV582
以上です。
曲は多くないです。ブクステフーデのトッカータも大変ではあるけど4分かからないくらいかな。それでも「トッカータ」という形式について、その内容を勉強することも、表現することもとても大変であると気付きました。
アリア ラ・カプリチョーザはCDにも収録しました。ブクステフーデの中でも大好きな1曲ですし、彼の鍵盤曲の中でも最も長大な曲です。
そして、この長大な変奏曲に影響を受けたとされるバッハのゴールドベルク変奏曲。最後の変奏であるクォドリベットには、アリア ラ・カプリチョーザと同じテーマが含まれています。
ここまでなら12月のコンサートでも間に合ったかもしれません。
しかし、問題は後半の2曲。ブクステフーデとバッハのパッサカリア。どちらも名曲ではありますが、どちらも深すぎる曲です。バッハがブクステフーデのパッサカリアを参考にしたのは有名な話ですが、参考にしたのは果たして音楽だけだったでしょうか?バッハのパッサカリアが作曲されたのは20代半ばとのこと。ブクステフーデの元から帰って数年後ですね。ブクステフーデから受けた影響は計り知れなかったわけですが、果たしてバッハが感銘を受けたのは本当に音楽についてのみだったでしょうか?我々日本人にはどうしても馴染みのない宗教の問題が大きく関わってきます。そして、当時の宇宙観や哲学…これは調べても調べても汲み取りきることが出来ない問題です…が、少しなら近付くことが出来るかもしれない。楽曲を分析することによって浮かび上がってくる問題…それらをどう響かせるのか…そんなことを考えて練習していたらとても1年なんて時間じゃ足りません。
いつも言うことですが、私は音楽学者ではありません。なので、1つの解釈に過ぎません…が、根拠のある解釈があって初めて演奏というのは成り立つのではないでしょうか?それを無視した演奏が蔓延する今の時代だからこそ私はたった1度の演奏会でも大事にしたいのです。
本当はもっと書きたいことがあるのですが、それはどこかで時間を取ってお話したいと思います。
ざっとですが、こんな理由で演奏会を延期にさせていただきたいと思います。行く〜!と言ってくださった方々には申し訳ありませんが、ご理解いただけるよう、必ず満足できる会を創ります。ぜひお楽しみに。
じゃバイバイ(^-^)/