歯科界は日進月歩...

名取市のライフタウン歯科クリニック 院長のひとりごと。。。

今だから話せること…

2011-12-01 22:47:56 | Weblog
気づけば12月。

残り30日で今年が終わる。

今年は一生忘れられない年になるだろう。

もちろんその原因は3.11の大震災。


地震の揺れも確かにすごかったけど、その後娘を迎えに行く渋滞の車中のTVで見た津波の光景。

見慣れた景色が波に飲まれていく。

突然降り出した雪の中、放心状態で家路を急ぐ人の群れ。

オフィスの制服のままだったり、どう考えても寒いでしょう。

いつもなら1時間の道のりが5~6時間。

信号も消え、街の電気も消えている光景はまるで映画のワンシーンかと目を疑いました。


地震当日車で一夜を明かし、夜通しTV報道で流れる死者の数。

その数はどんどん増えていく。

明らかなになっていく被害状況。

想像を絶する状態でした。


一夜明け、息子の友人を名取まで送った時に見た破壊された町、煙を上げる仙台の工業地帯。

信号は消え、道路は至ることろで陥没しているのに、警察車輌はみあたらない。

見慣れた街が完全に死んでいる。


そして数日後に訪れた検視会場で見たおびただしい数のご遺体、

灯りもない、もちろん暖房もない、雪が吹き込む体育館での生まれて初めての検視は壮絶だった。

対面している家族の嗚咽…

毎日、休みなく視てもその数はいっこうに減らない。

冬場のせいか、ご遺体にあまり痛みはなく、まるで眠っているよう。

でもひとたび触れると、その身体は硬直し、指先も凍える冷たさが現実を思い知らせる。

それが止めどもなく毎日続く。


精神的にも限界。




そして食糧確保のための行列、

さらに、

ガソリン確保のために奔走し夜中から並んだ日。


やがて名取市の避難所の状況を見て回り、なんとかはじめた歯科相談&歯科診療。

さらに足を伸ばし、石巻の知人の応援、南三陸町での口腔ケア。

その後警察歯科医となり、検視で訪れた石巻・南三陸町の悲惨さには自然のむごさを突きつけられました。


あれから8ヶ月。

何も不自由なく生活している自分がいる。

今は支援といっても何が必要なのか、何をしたらいいのかさえわからない。

地元ですらこうなんだから、人々の記憶から消え去るのは時間の問題かもしれない。


こんなことを言うと不謹慎きわまりないけど、

震災によって得たものもあった。

それはひと言で言えば人々の善意の力。

この大震災がなければ絶対出会わなかったであろう人々。

その方々からいただいた熱い心。

それは今でも大きく広がっています。

日本人、いや、人間のすばらしさを知りました。


真の被災者にとっては、この震災は信じがたく、そして忘れ去りたいことなのかもしれません。

でも自分は目の当たりにした光景、そして出会った人々を絶対忘れません。

あえて人に語るのはこれで最後にしますが、自分の心の中にきちんとしまい込んで生きていきます。


今、そして、これから自分にできること、

それを探していこうと思います。