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9月24日(月)「金福童(キムポットン)ハルモニの橋下市長との面談行動」に参加しました

2012-09-26 | 「慰安婦」問題

 9月24日(月)「金福童(キムポットン)ハルモニの橋下市長との面談行動」に参加しました。
 23日の集会「橋下市長!日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです=被害者ハルモ二がやってきて語る」は、今朝の朝日新聞にも載りました。400部印刷した資料は足りず、立ち見が周りを取り巻く状態で500人ほど会場に入ったのですが、時間を過ぎて来た人は会場にも入れなかったようです。橋下発言に危機感をもち、腹を立てている人がそれだけ多いのだと思います。

 24日の行動は、平日の午前中ということで、のべ40名ほどの集まりでした。午前10時15分から市役所前でシュプレヒコールと歌でアピールし、11時から面談でした。かなり以前に「面談申し込み」をしていたのに、橋下市長はこれまで返事もなく、きょうも現れず、市職長、総務課長が対応しました。会場に入る前、「韓国から87歳のハルモニが、命をかけて来ているのに、橋下市長はなぜ会おうとしないのか、ハルモニに会うことより大事な職務とは何か」と追及しても、職員は何も答えません。 そのとき、報道関係の人が、「橋下市長が尖閣問題でこの今、知事の家からツィートしていること」に気づきました。時間があるのに、逃げていたわけです。(市長は、どうも、ほとんど市役所には来ていないーーとか。市役所の職員には、人権蹂躙の厳しさ!を押しつけ、 しかし自分は昼間からどこにいて何をしていてもよいという、甘さ!ーーーなのです。)

 はじめ、地下の堅いイスの狭い部屋で対応ということでしたが、それは、「韓国からわざわざ訪問した高齢のハルモニに対してあまりに失礼だろう」という抗議の声で、5階の会議室に場所が変更されました。まず、抗議の署名が手交され、署名内容が読み上げられ、1週間で251団体、5747人の個人の署名が集まったと説明がありました。

 金福童(キムポットン)ハルモニは、
 「事実を全く知らないのに、橋下市長は何故強制はなかったというようなことがいえるのか。自分は体験したことだ。軍服をつくる仕事だと言われ、行かなければ財産没収だと無理矢理つれられ、性奴隷にされた。陸軍15師団とともに日本ではなく南方を回り、戦争が終わったことも知らされない。看護師だと言い逃れるために、看護の仕事までさせられ、米軍の調査の後、韓国に帰された。この8年間の苦しみがあなた方に分かるか。日本政府が、天皇制時代の日本の過ちを認め、きちんと謝罪と補償をしなければ、私たちは60年以上たっても解放されない。そして、日本の都合で日本に連れてこられた人のこども(孫やひ孫)たちには、もっと親切にするべきではないのか。学校で勉強をさせてもらえない(補助金カット)のはおかしい。 
 日本は何十年も朝鮮を支配し、朝鮮の財産を根こそぎ持って行った。橋下市長の父親か祖父も戦場に行ったはずだ。市長が謝罪してこういうことを二度と言わないということを聞きたい。民間人が女性や少女をどうやって戦場に連れて行けるのか、政府が認めなければそんなことはできない。橋下市長の娘がこんな事をされたらどう思うのか。記者会見で橋下市長が自分の言葉を謝罪し、二度と言わないことを発表するのを韓国でしっかり見ている。      
 日本と朝鮮は近隣国である。独島は日本が韓国を支配しているときに自分の土地だと宣言した。どちらの土地でも良い。仲良く漁業できたらよい。過去をきちんと清算して仲良くしていかなければならない。」
 と、理路整然と語られました。

 あと、「韓国挺身隊問題対策協議会」代表の尹美香(ユンミヒャン)さんは「あえて自分は語らない、ハルモニの言葉を尊重したい。きちんと伝えてほしい」と言いました。最後に「ハルモ二の言葉を一言も漏らさず橋下市長に伝えるように」参加者が念を押しました。

 市側からは、一切の言葉はなく、(あと、残ったものには 「政治家としての市長の発言なので、私たちは何も言えない。」と言い、「本当に市長に伝えられる場はあるのか?一言言うだけではないのか」と質問すると、「定例の打ち合わせの会で、市長に連絡する場はあるので、そこで、きょうのことを報告する。」と言いました。)橋下市長の見識のなさと無責任さが際立ちました。毅然としたハルモニの前に橋下市長を座らせたかった、目の前で話を聞かせたかったとつくづく思います。
 
 続く記者会見では、ハルモ二は、疲れながらも、力強く「本当は日本には来たくなかった。しかし、橋下発言に、やむにやまれぬ気持ちで今回来た。けっきょく、市長には会えず。でも、日本が韓国にしたことは、絶対忘れない。市長が、誤った発言を撤回することを願う。でないと、私はまたここに来なければならないではないか。」と語っていました。

 市役所からでてきたハルモ二の、疲れながらも、毅然とした姿・言葉に、胸がたかなり、涙をとめられない人もたくさんでした。金福童ハルモニは、そのあと、休む間もなく、「朝鮮学校訪問」に、出かけられました。 

(KUR&TOM)


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