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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

『核拡散防止条約(NPT)』第10回再検討会議の閉幕を受けて/今こそ、核兵器禁止・原発禁止の声を高めよう!

2022-09-19 | 反核平和運動

 8月1日に国連本部で始まった『核拡散防止条約(NPT)』第10回再検討会議は、最終文書を採択できないまま26日に閉会しました。日本の大半のマスメディアは、「ロシアの反対で最終文書採択できず」との主張一色に染め上げられました。「NPT再検討会議」が「ウクライナ戦争についての国際会議」であったかのような報道です。
 「NPT再検討会議」を「ウクライナ戦争についての国際会議」にしようとしたNATO諸国は、他方でウクライナ戦争の即時停戦と和平交渉の開始に反対しているのです。ウクライナ戦争の一環としての反露プロパガンダに「NPT再検討会議」を利用し、併せて核軍縮不履行に対する世界世論の批判をかわそうとしたとしか、私には思えないのです。前回の会議からの7年間、核軍縮・核廃絶に向けて努力を続けてきた国際NGOや日本の被爆者団体からは、「NPT再検討会議」を「ウクライナ化」することへの疑問が出されました。「核兵器廃絶日本NGO連絡会」は、「今回の会議が失敗した原因は、核軍縮に向けた『重要な提案』をことごとく拒絶した『核兵器国の不誠実な態度』だ」と指摘し、強い遺憾の意を表明しました。
 「NPT再検討会議」は、NPT条約の履行状況を5年ごとにチェック、その枠組みの見直しについて検討する場です。そこでの最大の問題は、核保有国がNPT条約第6条の「核軍縮履行義務」をほとんど果たしていないことでした。それどころか米国は、核兵器制限・削減枠組みである中距離核兵器禁止条約(INF)を2019年に一方的に破棄しました。「新戦略兵器削減条約(新START)」についても、昨年2月に5年間の延長で米露合意が成立したものの、細部の合意ができていないためにその延長に黄信号が灯っています。新STARTが失効すれば、核兵器の制限・削減のための国際的枠組みがまったく無い状態が生まれます。
 一方で現実は、ウクライナ戦争が長期化して停戦の目途すら立っていません。残忍で破壊的な戦争によって、両国の兵士のみならず民間人の犠牲者も日々増え続けています。そして戦争が更にエスカレートするなら、核兵器の使用すら危惧される状況にあります。また原子力発電所に対する砲撃が繰り返されている状況は、原発の存在が核兵器の存在同様に人類の生存を脅かすものであることを示しています。本当に恐ろしいことです。何としても核危機を回避しなければ、そして今こそ「核絶対否定」の思想を掲げて核兵器禁止・原発廃止の声を高めなければという思いが、私にこの文書を執筆させた次第です。
 今から60年前の1962年の10月から11月にかけて、米ソ核戦争勃発の危機が世界を震撼させました。あれから60年が経過した今日、人類は再び核戦争勃発の恐怖に身を震わせています。そしてチェルノブイリや福島第1原発の事故の何十倍もの核被害をもたらす原発事故が戦争によって引き起こされる恐怖に立ち竦んでいます。
 60年前、カリブ海の小国キューバは、核危機のど真ん中に置かれました。そのキューバのミゲール・ディアス=カネル・ベルムーデス現大統領は、8月6日にツイッターに投稿し、改めて核兵器廃絶の必要性を訴えると共に、核大国がNPT条約とその再検討会議における諸決定を遵守せず、核保有国の核軍縮義務を履行していないことを強く非難しました。
 わが国では、ウクライナ戦争の勃発を契機に、日本の独自核武装や「核共同保有」を主張する政治家や評論家がマスメディアを賑わせています。また戦争の一方の当事者であるウクライナ側に加担して、ロシアに対する経済封鎖を強化した反作用としてエネルギー確保が困難になったことを理由に、政府は原発の再稼働と新型原子炉の開発を加速しようとしています。
 今、日本も、世界も、核の問題を巡って重要な岐路に立たされています。一方ではウクライナで理不尽な戦争が継続しており、他方では「NPT再検討会議」が最終文書を採択できずに終わってしまいました。この時期に、核の問題について改めて考えを巡らし、「核絶対否定」の思想に対する確信を深めたいと思います。 〔老古子〕

 以下、核問題を巡る歴史を振り返りながら、それと並行して論を進めようと思います。それは、私自身の考えを整理するためと、読者の皆さんに私の思考と心情を理解して頂き易くなるのではと思ったからです。


[1] 原子爆弾の誕生と広島・長崎への投下
 1945年7月16日に、米国ニューメキシコ州の砂漠で、世界初の核爆弾爆発実験が行われました。この世に核兵器が誕生した瞬間でした。それからわずか21日後の8月6日には広島に、さらにその3日後には長崎に、原子爆弾が投下されました。2つの都市はたちまち灼熱の炎に包まれ、瞬時に亡くなった方とその後の急性白血病等で同年12月末までに亡くなられた方は、広島が約14万人、長崎が約8万と推定されています。生き延びた人々も放射線被曝による後遺症に苦しめられ、数年後に被曝の影響と考えられる癌により亡くなられた方も多数に上ります。他の兵器と比べものにならない核兵器の破壊力と殺傷力、長期に及ぶ被曝後遺症は、その使用が許されない悪魔の兵器であることを世界に知らしめました。
 米国は、未だに広島と長崎への原爆投下の誤りを認めていません。「アジア太平洋侵略戦争を引き起こし、もはや敗戦を免れない状況下にあっても無意味な戦争を継続する軍国主義日本を降伏させるためには必要であった」と、その行為を正当化しています。しかし日本がもはや戦争継続が不可能な状態にあることは明らかでした。にもかかわらず米国は、残虐極まりない非人道兵器である核爆弾を急いで投下したのでした。これについて、「第二次世界大戦終了後の新世界秩序における米国の覇権を打ち立てるために、最大のライバルとなるソ連を牽制するためであった」、あるいは「戦争終結前に、核爆弾の破壊力を実験によって確かめるためであった」と、多くの研究者たちが指摘しています。
 どのような状況であろうとも、「核兵器の使用は絶対悪であり、決して許されない」ということを、歴史は物語っています。それが、広島と長崎の犠牲者たちの叫びです。
 原爆を投下した米国の誤りは、歴史的に正される必要があります。また戦争の続行がもはや不可能な状態にあるにも関わらず、「国体護持=天皇制維持」を主張して無意味な戦争を延々と続けた軍国主義日本・絶対主義天皇制の指導者たちは徹底的に断罪されなければなりません。もし昭和天皇を含む彼ら指導者が半年早く敗戦を受け入れていれば、本土大空襲も、沖縄の悲劇も、広島と長崎の悲劇も起こりませんでした。第二次大戦での日本側の兵士と市民の死者の多くが、また都市被災の大半が、敗戦前6カ月間に集中しているのですから。


[2] ビキニ環礁における水爆実験と原水禁運動

① 原子爆弾から水素爆弾へ
 原子爆弾は、従来の兵器とは桁違いの破壊力を持っています。広島・長崎型原爆の爆発力は、TNT火薬20キロトンに相当するそうです。第二次世界大戦で米軍が盛んに使用した「1トン爆弾」の2万倍です。第二次世界大戦後の米国の世界支配は、この恐怖の原子爆弾の独占的所有によって最後的に担保されたと言えます。
ところが1949年8月29日、ソ連が核実験に成功して米国の核独占が破られました。それ以前から、原爆を上回る兵器の開発に努めていた米国は、この新たな事態を受けて水素爆弾の開発に拍車を掛けます。そして1952年11月1日に、最初の水爆実験を北太平洋のエニウェトク環礁で成功させたのです。その水爆の破壊力は、これまた原爆とは桁違いに大きいもので、TNT火薬10.4メガトンに相当するものでした。広島・長崎型原爆の520倍の破壊力です。この水爆一発が日本の上空で炸裂すれば、広島・長崎型原爆が520個炸裂したのと等しい破壊力を発揮します。たった一発で、日本を完全に破壊し尽くしてしまいます。「武器による平和」という妄念に取りつかれた人々は、このような悪魔の兵器の開発と実践配備に何の違和感も感じないのです。本当に恐ろしいことです。
水爆の開発によって米国は再び核の優位を手にしたかに見えましたが、翌1953年にはソ連も水爆の開発に成功し、またもや米国の核優位が揺らぐことになりました。そこで米国は、ミサイルにも搭載可能な軽量の水爆開発をめざして、その後もビキニ環礁とエニウェトク環礁での水爆実験を継続します。


② 水爆実験による被曝及び放射能雨と原水禁運動の誕生

そして1954年3月1日、日本の遠洋漁業船1,400余隻がこの水爆実験に巻き込まれ、乗組員2万人以上が「死の灰」を大量に浴びるという事件が発生しました。特に静岡県焼津漁協所属の第5福竜丸の22名の乗組員は、寄港後全員「急性放射線症」で入院。しかし久保山無線長は同年9月に死亡。12名が被曝後遺症で2004年までに亡くなりました。静岡だけでなく高知の漁港から出航した漁師たちも大量被曝しましたが、政府やマスメディアから顧みられることなく闇から闇に葬られました。被曝の全体像は未だに明らかになっていません。米軍と日本政府は被曝の実態を覆い隠したまま、1955年に賠償金ではなく「好意による」見舞金として米国が200万ドルを支払うことで事件の幕引きを図りました。多くのビキニ被爆者が何の補償も受けられずに、被曝の事実さえも押し隠されたまま放置されたのでした。高知から出漁した元船員とその遺族は、2016年に初めて国家賠償訴訟を起こしましたが、現在に至るまで裁判所はこれら訴えを棄却したままです。
 そして忘れてはならないことは、ビキニ環礁とエニウェトク環礁の多数の先住民たちが、日本の被爆者以上の被曝に晒されたという事実です。彼らは水爆実験について何も知らされず、従って避難することもなく大量の「死の灰」を浴びさせられたのです。「米国は先住民を被曝のモルモットとして扱ったのではないか」との声が出たのも当然のことでしょう。
 このビキニ被曝事件は、日本国民に大きな衝撃を与えました。それは水揚げされたマグロが強い放射線を発していることが明らかになり、大量に廃棄される写真が新聞紙面で大きく報じられ、雨に混じって放射能が降ってくるという報道がなされたことによります。まだテレビが普及していない当時、汚染マグロに反応して「ガーガー」という放射線測定装置(ガイガ・カウンター)の音がラジオで流れ、「放射能」と「原爆マグロ」、「ガイガ・カウンター」が流行語ともなりました。
 当時9歳だった筆者は、雨が降った日に、「傘持って行きや。濡れたらあかんで、放射能入ってるから」と言っていた母親の声を今でもはっきりと覚えています。次々に廃棄される「原爆マグロ」と「放射能雨」は、日本国民をパニックに陥れたと言えるでしょう。その中から、核兵器廃絶を求める運動が巻き起こりました。東京杉並の女性たちの署名運動から始まったとされるこの運動は、燎原の火のごとく瞬く間に全国津々浦々に広がり、1955年の8月には「第1回原水爆禁止世界大会」が広島で開催されるに至りました。また署名運動を組織した団体や個人によって「原水爆禁止日本協議会(原水協)」が結成され、日本における原水禁運動は、世界の世論に大きな影響を与え、全世界的な反核運動の高揚をもたらしました。


[3] 原水爆禁止運動の分裂とその教訓
① 「ベルリン危機」とソ連の50メガトン水爆実験

 その一方で、米ソの対立はいよいよ抜き差しならない状態に陥っていきました。それは1961年の「ベルリンの危機」を引き起こしました。戦後のドイツは、米英仏の3カ国が管理する西ドイツ(首都ボン)と、ソ連が管理する東ドイツ(首都ベルリン)に分断されました。さらにベルリン市が東西に分割され、西ベルリンは米英仏の管理下に、東ベルリンはソ連の管理下に置かれました。それで社会主義国東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都であるベルリン市の西半分は資本主義国西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の一部であるという実に奇妙な構造になっていました。
 米英仏は、西ベルリンを資本主義体制のショーウインドウとして大規模な財政支援を行い、「豊かな西側」を演出しつつ東ドイツからの亡命を煽りました。ソ連と東ドイツ政府は、大量の亡命を防ぐために、61年8月、西ベルリンを包囲する全長155kmの壁の建設を開始し、東西の交通を遮断しました。この壁の建設を阻止しようとする米英仏・西ドイツと壁建設を推し進めるソ連・東ドイツとの間に一触即発の危機(ベルリン危機)が訪れました。このタイミングで、ソ連は水爆実験を再開します(8月30日)。さらに10月30日には、史上最大の爆発力といわれた50メガトン級の水爆実験を行いました。何とそれは、広島・長崎型原爆3300発に相当する破壊力です。ソ連は、「ベルリン危機が第3次世界大戦に転化するのを防ぐための実験である」との見解を表明しました。「ベルリン危機」は双方の妥協によって収束に向かい、「ベルリンの壁」は1989年11月9日に崩壊するまで、東西冷戦の象徴として存続することになりました。しかしソ連の水爆実験が第3次世界大戦の勃発を防いだと言える根拠はありません。むしろこの実験によって、核兵器開発競争の恐ろしさ・愚かさを人類に示したと言えるでしょう。
 ところで、このソ連の水爆実験を巡って、原水協内部の意見対立が表面化します。1958年以降、米英ソの核兵器保有国は、核実験を一時的に停止しており、「最初に核実験を再開した国は、『平和の敵』である。」との見解を示していた原水協は、当然このソ連の核実験に強く抗議するものと思われていたのですが、日本共産党とその影響下にある団体や個人が、ソ連の核実験を擁護する態度を取ったために、原水協は大きな混乱に陥りました。
 「社会主義国であるソ連の核兵器は、その保有を余儀なくされた防衛的兵器で、資本主義国である米英仏の核兵器とは性質を異にする」との見解を、その当時の日本共産党は取っていたのでした。核兵器保有に至る歴史的経過や、米国の核恫喝外交を直視すれば、日本共産党の当時の見解に一定の正当性があることは否定できません。しかし核兵器の破滅的な性格を考えると、核兵器に核兵器で対抗するという見解を肯定することはできません。毒ガス兵器(「化学兵器禁止条約」1993)や細菌兵器(「生物兵器禁止条約」1972年)といった非人道性の強い兵器は、国際条約によって禁止されています。人類を絶滅の危機に晒す核兵器は、真っ先に全面禁止されるべき兵器であり、核兵器に対して核兵器で対抗することを容認することはできません。この「核兵器の特殊性、『核兵器絶対否定』の理念を確認することが決定的に重要である」と私は思っています。


② 米国のキューバ侵攻と「キューバ危機」
 「ベルリンの危機」が発生した1961年は、米国が亡命キューバ人を主体とした部隊をキューバのヒロン海岸に上陸させてキューバ人民政府の転覆を図った年でもありました。この上陸部隊は、キューバ人民の反撃によって3日間で壊滅しましたが、米国は今度は米軍によるキューバ侵攻作戦の準備を開始します。そして翌1962年秋、いよいよ米軍の軍事侵攻が迫ったことが明らかになるや、ソ連はキューバ防衛のための核ミサイルをキューバに配備する行動に出ます。核ミサイルを積載したソ連の船団がカリブ海に入り、これを実力阻止すべく米国艦隊が同海域に急行する。核戦争になるかもしれない危機が迫り、全世界が固唾をのんで見守る中で、フルシチョフ首相とケネディー大統領は歴史的決断を下します。「ソ連はキューバへの核ミサイル配備を撤回し、米国はキューバ侵攻を中止する」との合意がなされました。土壇場で核戦争が回避されたのでした。「ベルリン危機」と「キューバ危機」は、核戦争の恐怖を全世界の人々に実感させるとともに、核兵器禁止へ向けた核軍縮と核管理の必要性を痛感させました。

③ 「部分的核実験停止条約(部分核停条約)」と原水禁運動の分裂
 「ベルリン危機」と「キューバ危機」を経て、原水爆禁止を求める世界的世論の高まりの中で、1963年8月に「部分核停条約(PTBT)」が米英ソの核兵器保有3カ国によって締結されました。これは、野放し状態であった核兵器開発に一定の制限を加える意味で、核兵器禁止へのささやかな一歩となりました。
 ところが、この条約を巡って日本原水協内部で激しい対立が生じました。日本共産党とその影響下にある団体や個人は、「部分核停条約」は核保有国が核独占を維持するための不平等な条約であり賛成できないと主張し、あらゆる国の核実験と核兵器に反対する立場を取っていた社会党・総評系の人々や平和運動家たちと全面衝突したのでした。このころソ連と中国は、社会主義建設の方法論や反核平和運動の路線を巡って深刻な対立状態に陥っていましたが、日本共産党は、中国共産党に同調してソ連共産党と対立するようになっていました。そこで核兵器の保有を目指して開発を推し進めていた中国の立場を擁護するために、「『部分核停条約』は中国の核保有を妨害するための米帝国主義の反動的政策の一環であり、それに同調したソ連は修正主義に転落した」と声高に主張したのでした。そしてこの年の「原水爆禁止世界大会」は流会してしまいました。
 確かに「部分核停条約」には、核保有国が核独占を維持するための道具であるという側面があります。だからといって非保有国の核実験を認めて結果的に核拡散を擁護するのは、本末転倒と言えます。1965年2月、社会党・総評系の人々は、抜き差しならない状態に陥って機能マヒした日本原水協から脱退し、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」を結成しました。ここに日本の原水禁運動は大分裂し、やがてその影響力を大きく後退させていきます。この不幸な分裂から、私たちは是非とも教訓を学び取らなければなりません。


④ 原水禁運動の歴史的教訓
 教訓の第1は、前述した「核兵器の特殊性の理解と核兵器絶対否定の理念」です。第2は、核兵器の廃絶といった「人類的課題」(「気候危機」なども同様)の解決のためには、広範な人々を結集しなければならないし、また結集できるということです。戦争はこれまで、そのことによって利益を得る一握りの人々によって引き起こされて来ました。近代の2つの世界大戦も、資源と販売市場と投資先をめぐる大独占資本間の争いが原因でした。前者ではおよそ1700万人の、後者ではおよそ6000万人の軍人と民間人が命を落としました。戦争によって利益を得る極少数の人々は、軍拡競争と戦争が国民全体の利益のために行われると国民に思い込ませます。そうしないことには、軍拡競争も戦争もできないからです。彼らは自国民に、他国に対する嫌悪と憎悪を植え付け、他国が攻めてくるとの恐怖を煽ります。その結果、戦争は防衛的なものであり正義であると大多数の国民が思い込み、熱狂的に戦争準備と戦争を支持するようになります。2つの世界大戦もこのようにして遂行されたのでした。いったん戦争が始まってしまえば、前線では「殺さなければ殺される」という現実が、また後方では爆撃による死傷者の増加と大量破壊が、相手国民への憎悪を一層の高めるという憎悪の悪循環が生じます。
 現在進行中のウクライナ戦争でも、同様のことが生じています。今回のプーチン氏の決断と行動は、米国をリーダーとする西側帝国主義諸国が、NATOの東方への拡大によってロシアを追い詰めたこと、ウクライナの政権がウクライナのロシア系住民を不当に圧迫したことによって誘発された面がありますが、大量の死者と破壊をもたらし続けており、解決の目途はまったく立っていません。戦況は泥沼化しており、核兵器使用すら現実味を帯びてきました。どんなことがあっても、核兵器の使用は認められません。私は、プーチン氏が重大かつ決定的な政治的誤りを犯したと考えています。今回のロシアの軍事侵攻は、ウクライナの人々の反ロシア感情を一挙に高め、今後数世代に渡って両国民の和解と協力を著しく困難にしました。プーチン氏の決断と行動は罪深いものとなりました。
 繰り返しになりますが、戦争はそのことによって利益を得る一握りの巨大資本の欲望によって引き起こされてきました。従って私は、そのような「一握りの巨大資本が国家権力を掌握して国民を支配する体制を変えない限り、戦争を無くすことはできない」と考えてきましたし、今もそう確信しています。しかし、第2次世界大戦後も今日に至るまで、先進資本主義諸国では「一握りの巨大資本が国家権力を掌握して国民を支配する体制」が続いています。そのため、第2次世界大戦後の77年間、世界で戦争が絶えることはありませんでした。そして今後も、この巨大独占体が支配する体制が覆されない限り、世界から戦火が消えることはないでしょう。
 ただし、核戦争だけは阻止しなければなりません。核戦争の後に人類の未来を創造することはできません。従って核戦争の阻止は、「巨大独占体が支配する体制」が存続している下で成し遂げなければならない課題なのです。核戦争は、それを引き起こした巨大独占体をも消滅させます。一部の人々は、「核シェルターによって核戦争を生き抜くことができる」と考えていて、実際巨額を投じて核シェルターを設置したりしていますが、万が一数週間生き延びることができたとして、その後核に汚染された世界でどう生きていくのでしょう。実際はそこで人類の歴史は終わってしまうでしょう。そういうわけですから、圧倒的多数の人々が核戦争に反対の声を挙げれば、巨大独占体に核戦争の回避を受け入れさせる物的根拠があるわけです。ここで大事なことは、核絶対否定の理念を高く掲げ、広範な人々の統一を作り上げることです。政治的党派や思想・信条の相違が反核平和運動の統一の妨げにならないようにすることです。それが日本の原水爆禁止運動の不幸な歴史が私たちに伝える教訓です。


[4] 核兵器禁止条約への道
① 「部分核停条約(PTBT)」から「包括的核実験停止条約(CTBT)」へ
 1963年に成立した「部分核停条約」は、空中への放射能の拡散を防ぎ、とりあえず「放射能雨」の脅威を取り除きました。しかし地下核実験は禁止されていないため、条約締結後も米ソは地下核実験を継続し、核兵器の「改良」・開発を続けます。そして地下実験にもかかわらず放射性物質が大気中に放出される事件も起こりました。一方では、核保有を目指す中国やインドやイスラエルは、この条約に署名しませんでした。
 そこで、地下も含むすべての核実験を禁止する「包括的核実験禁止条約(CTBT)が、1996年9月に国連で採択されたのでした。「部分核停条約(PTBT)」が成立してから33年の歳月が必要だったことになります。核廃絶に向けた人類の営みは、亀の歩みの如くゆっくりとしたものであり、それすらも確実な歩みとはなっていないというのが現状です。その33年間の間に、中国、インド、パキスタン、イスラエルが核保有国になりました。またその後、朝鮮が核保有国の仲間入りをしました。

 新たに成立したCTBTは、今日現在185カ国が署名し、170カ国が批准しています。それにもかかわらず、CTBTは未だ発効していないのです。これは、CTBTがその第14条において、「ジュネーヴ軍縮会議の構成国であり、かつ国際原子力機関の『世界の動力用原子炉』および『世界の研究用原子炉』に掲載されている44か国すべての批准が必要である」としており、その44カ国中、米国、イスラエル、イラン、エジプト、中国の5カ国が署名のみで批准しておらず、インド、パキスタン、朝鮮は署名もしていないためです。CTBTが成立してはや28年も経つというのに、未だに発効できないという現実は、核廃絶への道の険しさを物語っていると言えるでしょう。


② 核不拡散条約(NPT)の締結と「再検討会議」
 核実験の禁止は、放射能による環境汚染を防ぐという点では大きな意義をもっていましたが、核開発競争を制限したり、さらには核兵器を削減したりする効力はほとんどありません。また未加盟国による核開発を止めることもできませんでした。
核兵器の拡散は、核戦争の危険性を著しく高めます。核兵器の拡散を防ぐ国際的メカニズムが切実に求められたのでした。「ベルリン危機」や「キューバ危機」を経験して核戦争の恐怖を味わった国際世論は、1963年に国連で核不拡散条約を採択させます。
 この条約は、核保有国には核軍縮の義務と核拡散防止の義務を負わせ、非核保有国には核兵器の保有を断念させるというものです。関連各国間の調整に手間取り、7年の歳月を経て1970年に発効しました。この時点で核保有国に分類されたのは、米英仏露中の5カ国でした。締約国は191カ国であり、国連加盟国の全員に近い国々が締約国となりました。未加盟は、インド、パキスタン、イスラエル、南スーダンの4カ国であり、朝鮮は締約国でしたが2003年に脱退しました。
 このNPT条約は、不平等条約であるという非難を免れることはできません。条約発効時点で核保有を明らかにしていた5カ国にのみ独占的核保有を認め、それ以外の国には核兵器の放棄を命じているからです。それでも、核兵器の拡散を防ぎ、核軍縮を進めるための手段として、国際世論はこの条約の成立を後押ししたのでした。
 しかしながら核保有国は、「誠実に核軍縮交渉を行う」(第6条)という条約上の義務を果たさないまま、条約の期限である25年が過ぎ去ってしまいました。核兵器非保有国は25年間、核放棄義務を履行したにも関わらず、核保有5カ国は、一堂に会して「誠実に核軍縮交渉を行う」義務を放棄し続けたのです。この条約の持つ不平等性が露骨に現れたと言えます。
 条約が失効する1995年、締約国は「再検討・延長会議」を開催し、条約の有効期限を無期限に変更して延長すると共に、核保有国に対してその義務の履行を強く迫りました。以後5年ごとに「再検討会議」を開催して条約の履行状況を点検し、NPTの強化を通じた核廃絶への道を追及することになりました。ここには締約国の政府代表だけでなく、核廃絶を求める世界各国の諸団体が参加するようになり、その重要性が一層高まりました。しかしNPT延長後に開かれた過去4回の「再検討会議」は、遅々として前に進めていません。
 今回の第10回「再検討会議」は2020年に開催される予定でしたが、コロナ事態の発生によって2年遅れの開催となりました。会議は、2月にロシアがウクライナへの軍事作戦を開始し、それが継続するという異常な緊張状態の真っただ中で行われました。はなから合意は難しいと伝えられていましたが、「ウクライナ関連の表記をめぐってロシアの合意が得られず、最終文書を採択できなかった」と報じられていますが、先に述べたように、最終文書が採択されなかったのは、「再検討会議」の目的を「ウクライナ問題」にねじ曲げたNATO諸国と、NPTが定める核保有国の核軍縮義務を履行しない「核保有国の傲慢さ」のせいです。

 NPTが無期限延長された1995年以降、「再検討会議」で最終文書が採択のされなかったのは3度目であり、しかも前回に次いでの不採択となりました。この結果は、「再検討会議」の存在意義だけでなくNPT体制そのものの存在意義にすら疑問符が付くことになりました。核戦争の現実的危機が生じているにもかかわらず、核廃絶へ向けた重要なメカニズムとみなされてきたNPT体制の機能麻痺は、核廃絶を目指す人々に新たな運動論の構築を求めているように思えます。


③ 米ソ(露)核軍縮メカニズムの構築とその崩壊
 NPT条約は、その名の通り「核兵器の拡散防止」を主目的としており、核保有国に核兵器削減の努力を義務付けてはいますが、具体的数値目標は示されていません。その結果、核保有国の核軍縮は一向に進まず、NPTの枠組みの中で、あるいはその外で、核保有国の核開発が進められてきました。
 NPT条約が締結された1963年当時、核保有国は米英露の3カ国でしたが、翌年の64年にはフランスが、65年には中国が核保有国となりました。1965年の核保有5カ国の核保有数は、米国が31,139、ソ連が6,144、英国が271,フランスが32,中国が5となっていました。米国が約3万発で圧倒的な数の核兵器を所有しており、ソ連がその5分の1の6千発を所有しており、その後もこの2カ国の核保有数は、他の保有国と比べものにならない圧倒的多数を占めてきました。1945年から2022年までの核保有国とその保有数をグラフにしたものが次の図表です。


 この図表からも、米ソ(露)の核保有数が他の保有国を圧倒していることが分かると思います。2022年1月の核保有国とその核保有数は、

となっていて、米露の核保有数はピーク時と比べれば一桁少ないものになっていますが、それでも他の核保有国より一桁多い状況です。

(1) 第一次戦略核兵器制限交渉(SALT1)
 このような状況の中で、NPT条約を締結した非核保有国は、米ソが保有する核兵器の削減を強く求め、世界世論もこれを支持しました。一方、米ソの核兵器開発競争は異常な規模に膨れ上がり、両国の経済・財政を強く圧迫するようになっていました。その結果、1969年に米ソ間での戦略核兵器制限交渉が始まり、1972年に合意文書が調印されました。核兵器の制限・削減に向けての初めての合意でした。この合意は「第一次戦略核兵器制限交渉(SALT1)」と呼ばれています。
 ところで核兵器は、その射程距離の違いによって3つの種類に分けられています。射程距離が5,500km以上のものを戦略核(長距離核)、射程距離が500km以上で5,500km未満のものを戦域核(中距離核)、射程距離が500km未満のものを戦術核(短距離核)と言います。戦略核は、大陸間弾道核(ICBM)と潜水艦発射弾道核(SLMB)と長距離爆撃機搭載核によって構成されています。SALT1によって米国はICBMを1,000基に、SLBMを710基に制限し、ソ連はICBMを1410基に、SLBMを950基に制限することを約束したわけです。
しかしその後も両国の核弾頭の数は増え続けます。先のグラフでわかるように、米国は1955年から64年にかけて、核弾頭数を一挙に増加させます。1955年の2,422発から1964年29,463発へと、およそ12倍に。ソ連がこれを猛追します。ソ連の核弾頭は、1955年の時点で200発でした。1964年の時点でも5,242発で米国の約6分の1でした。しかし1978年には米国の24,418発を上回る25,169発の核弾頭を保有するに至り、1986年には米国の23,317発に対してソ連は40,159発の核弾頭を保有するまでになりました。

(2) 弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABMT)
 SALT1締結時に、弾道弾迎撃ミサイル制限条約も締結されました。弾道弾迎撃ミサイル(ABM)とは、弾道ミサイルが核弾頭を放出する前にこれを迎撃して撃墜することを目的とするミサイルです。このABMは、核軍拡に一層拍車をかけることになります。従来の核開発競争は、核弾頭とその運搬手段の数と性能を競うものでした。ところが弾道弾迎撃ミサイルは、その攻撃手段を無力化するものです。弾道ミサイルを鉾とすればABMは盾です。鉾に対抗する盾ができれば、その盾を突破する鉾の開発に拍車がかかります。すると新しい鉾を防ぐ新しい盾の開発にも拍車がかかります。従来の鉾の開発競争から鉾と盾の開発競争に代わることによって、核軍拡の歯車は飛躍的に回転を速めることになります。しかも飛んでいるミサイルを迎撃するミサイルを開発するのは至難の業で、巨大な費用を要します。しかもその結果作られたABMの成功確立は極めて低いので、どう考えても無用の長物なのですが、核軍拡の論理に取り付かれた人たちの頭の中では、コンピュータ・ゲームとほとんど変わらない論理が働いているのです。攻撃力と防御力を数値化して、自分たちの攻撃力と防御力の数値が相手のそれを上回ることが自己目的となっています。数個の核弾頭で日本を地上から消し去ることができるのに、米露はそれを未だに4千発前後保有しているのです。その合理的根拠を見つけることは困難です。しかし両国の政治指導者たちの頭の中では相手の核戦力が数値化されており、自国の核戦力が相手のそれを常に上回るよう日々腐心しているのです。米露との比較では一桁少ないとはいえ、英国、フランス、中国は、数百発の核弾頭で何を守ろうというのでしょうか。インドとパキスタンは160発の核弾頭で何をしようと考えているのでしょう。核兵器は最後の防衛手段だと核擁護論者は主張しますが、90発の核弾頭を持つイスラエルは侵略側なのではないでしょうか。
 弾道弾迎撃ミサイルの開発・配備が核軍拡を一層加速すること、米ソの途方もない核軍備増強に対する国際的な非難が高まったこと、核軍拡が国家財政を著しく歪めるようになったことなどから、両国はSALT1締結に合わせて弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABMT)をも締結したのでした。このABMTに基づいて両国は、ABMの配備を首都と他の1カ所のミサイル基地にのみに制限することに合意したのです。しかし米国は、ABMの開発を断念したわけではありませんでした。そして2002年に、「技術的『進歩』によってABMの有効性が高まり、またロシア以外の核保有国の核弾頭の増加にも対抗するために、ABMの配備が必要である」として、米国はABMTから脱退してしまいました。
 今日では、精度がさほど高くない迎撃ミサイルよりは、地球を覆う宇宙空間に張り巡らされた監視衛星網と連動したミサイル撃墜レーザー兵器の開発・配備に力が入れられています。米国は今日、航空機搭載型のレーザー兵器(ABL)の配備を始めていますが、目標は衛星搭載レーザー兵器網の構築です。まさに映画「スター・ウォーズ」の世界です。そしてポンコツになりつつある迎撃ミサイルを米国は日本と欧州に買わせる圧力を強めています。ABMを制限するシステムは完全に崩壊し、鉾と盾の悪循環の歯車がその回転を速めています。

(3) 第二次戦略核兵器制限交渉(SALT2)
 SALT1で戦略核の制限に合意したにもかかわらず、両国の核弾頭数が急増したのは、運搬手段1基に搭載できる核弾頭の複数化(MIRV化)が図られたからです。ICBMやSLBMの数が一定でも、1基のミサイルに10個の核弾頭を搭載するなら、核弾頭数は10倍に膨れ上がります。しかも複数の核弾頭は最終段階で別々の攻撃目標に向かって投下される仕組みになっているのです。このMIRV化にも制限を設けようとする「第二次戦略核兵器制限交渉(SALT2)」が開始され、1979年に両国は合意文書に調印しました。しかしその年にソ連がアフガニスタン革命政権を支援するために軍事介入を開始したことを理由に、米国議会がこの合意を批准しなかったため、SALT2は発効しないまま1985年に期限切れで消滅してしまいました。

(4) 中距離核戦力全廃条約(INFT)
 米ソ間の核兵器制限・削減条約の中で、極めて重要であったのは、1987年に締結された「中距離核戦力全廃条約」でした。中距離核(戦域核)とは射程距離500km以上5500km未満の核戦力を指すのですが、これが全廃されたことは、両国間の緊張緩和に大きく寄与しました。というのは、米ソ「間において、ソ連は地理的に不利な状態に置かれていました。ソ連の地上発射型核戦力は、米国から遥かに離れた東欧諸国にしか配備できないのに対して、米国はソ連に近い欧州のNATO諸国に配備できるからです。射程距離500km未満の戦術核では、ソ連の首都モスクワが射程外にあるのに対して、戦域核(中距離核)はモスクワを射程距離に収めているからです。この中距離核が全廃されたことは、ソ連の安全に重要な寄与をし、米ソ間の核戦争の脅威を低下させました。この条約によって、条約の期限である1991年6月1日までに、米国846基、ソ連1,846基の中距離核が廃棄されました。
 核戦争による人類の破滅の危険性を象徴的に表現している「世界週末時計」(米国の雑誌「原子力科学者会報」の表紙に掲載)は、1991年からの4年間を、第二次世界大戦以後、核危機が最も遠のいた時期であったとしています(下図:出処Wikipedia)。

 しかしまたしても米国は、このINFTを2019年2月1日に破棄してしまいました。

(5) 第一次戦略兵器削減条約(START1)
 先に紹介した戦略兵器削減交渉(SALT)と紛らわしい名前ですが、START1は1991年7月に締結された条約で、両国は保有する戦略核弾頭の数を6千発に、戦略核運搬手段の総計を1,600に、ミサイルに装着する核弾頭の数を4,900発に制限することに合意しました。
1991年12月にソ連が崩壊して以降は、ロシアが条約の義務を引き継ぎました。その際、ソ連を構成していたベラルーシとウクライナとカザフスタンに貯蔵・配備されていた核戦力はロシアに移送されて解体されました。今回のウクライナ戦争で、「あの時ウクライナに貯蔵・配備されていた核戦力をそのまま保持していたら、ロシアの軍事進攻はなかっただろう。」といった主張がウクライナ政府や世界の核兵器擁護論者によってなされていますが、もしウクライナが核を保有していたなら、今回の戦争が核戦争に転化する危険性を高める結果になったでしょう。より強力な軍事力が戦争を抑止するというのは、作り話に過ぎません。戦争を防ぐのは、他国民に対する不信と嫌悪と恐怖を煽って軍備増強を図るのではなく、諸国民の友好と親善を推進し、国際問題の解決を外交交渉に委ねるという国際慣行を確立することです。

(6) 第二次戦略兵器削減条約(START2)
 START2は、START1の継続条約として1993年1月に締結されました。この条約により、両国は2003年までに核弾頭数を3千発から3千5百発以下に削減し、ICBMの多弾頭(MARV)を禁止することに合意しました。しかし2001年にアメリカが弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABMT)を破棄したため、ロシア側はSTART2を実行しないと宣言し、事実上この条約は消滅してしまいました。

(7) 戦略的攻撃能力削減米露間条約(SORT)
 START2が破綻してしまったことを踏まえて、米露は合意できる範囲を探りあいながら、2002年5月に戦略的攻撃能力削減米露間条約(SORT)を締結しました。条約がモスクワで調印されたことから、「モスクワ条約」とも呼ばれています。この条約で両国は、2012年までに戦略核弾頭の数を1700から2200発に制限することに合意しました。しかしこの条約には、多核弾頭(MARV)の規制や核運搬手段の規制は含まれませんでした。この条約は当時米露間で合意できる最低限の内容であり、非核保有国や核廃絶を求める世界世論の期待に沿うものではありませんでした。それでも核弾頭数だけは、先に見たグラフで分かるように、米ソ(米露)の保有核弾頭数が2001年以降ほぼ同数で漸減していることを確認することができます。この条約は、2011年に「新戦略兵器削減条約(新START)」に引き継がれました。

(8) 新戦略兵器削減条約(新START)

 「新戦略兵器削減条約(新START)」は、米露が2010年3月に調印し、米国上院が2010年12月に、ロシア議会が2011年1月に批准して発効した米露間の戦略兵器削減条約です。これは2002年に締結された「モスクワ条約」を引き継いだもので、米露は右表のような制限に合意しました。
 戦術核の制限は盛り込まれず、戦略核の保有数の上限も記載されませんでした。また弾道弾迎撃ミサイルを含むミサイル防衛システム(MD)についても、米国は保有の権利を主張し、ロシアは米国が配備すれば対抗することを表明するなど、核軍拡抑制効果の薄い条約となりました。米露両国は、2021年に同条約の5年間の延長に合意しています。米国が中距離ミサイル全廃条約を廃棄し、ミサイルの多核弾頭(MARV)化、ミサイル防衛システム(MD)の配備を制限する米ロ間条約を次々に破棄する中で、唯一残ったのがこの「新START」です。核軍拡抑制効果の薄い条約であり、非核保有国や核廃絶を求める世界世論が求めているものからは程遠いものですが、この条約が消滅すれば、米露間の核制限条約はすべて無くなり、核軍拡の一層の激化に拍車がかかるでしょう。
 核保有国が9カ国に増えた今日でも、米露が保有する核弾頭とその運搬手段の数は他の核保有国をはるかに上回っています。従って米露両国の核戦力の大幅削減が、核廃絶に向かうための主要課題であることに変わりありません。

 しかし米露間の核戦力制限に関するここ50年間の経過を振り返れば、一旦成立した合意をその後に米国が破棄し、より制限の弱い条約を締結するというパターンが繰り返されてきました。そして今日、核戦力の削減効果の極めて薄い「新START」だけが残り、それすらも破棄されない状況となっています。ウクライナ戦争は、実際に核兵器が使用されかねない状況を生み出しています。核廃絶は、人類存続のための絶対的条件です。それ故に、米露核制限の枠組みがほぼ崩壊してしまった今日、核廃絶を目指す運動は新たな運動形態を模索する必要があるように思えます。


⑤ 誤動作や誤報による核戦争勃発の脅威
 米ソ(露)間の核兵器制限交渉の歴史の振り返りを終えるに当たって、核兵器管理装置の誤動作や「核発射の誤報」による核戦争勃発の危機性について触れておきます。核兵器の管理システムは何重もの誤動作防止が施されていますが、絶対誤動作しないシステムは存在しえません。電子機器の誤動作の外に人為的ミスもゼロにすることは不可能です。そして万が一誤動作して核が発射されたなら、人類の滅亡に直結する可能性が極めて高いのです。
 また誤情報によって核兵器発射システムがあわや作動するという出来事が実際に何度か起こっています。米国側では、
*1960年、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)のコンピューターは米国が核攻撃下にあると警報、しかし間もなく誤報であることが判明。
*1979年11月9日、NORADのコンピューターがソ連潜水艦からの大規模ミサイル発射攻撃を探知。米ミサイル部隊は警戒態勢に入り、戦闘機はスクランブル発進した。しかし間もなく誤報と判明。
*1980年6月3日、ソ連潜水艦が220発のミサイルを発射したと探知。ブレンジンスキー国家安全保障担当大統領補佐官は戦略空軍に核搭載航空機を発進させるように命じた。だが、間もなく誤報と判明。
*1980年6月6日にもNORADは核攻撃を警告したが、これもコンピューター・チップの不調による誤報と判明。
*2018年1月13日。ハワイに核攻撃の警報が発せられパニックに。しかし、間もなく誤報と判明。
 ソ連側では、
*1983年9月26日、米ミサイル5発の発射を探知、だが監視将校のスタニラフ・ペトロフ中佐は5発では先制攻撃にならないと冷静に判断し、間もなく誤報であることが判明。
*1995年1月25日、ロシアの早期警戒レーダーがノルウエー沖のミサイル発射を探知。しかし、ロシアの早期警戒衛星は大規模な米国の攻撃を探知せず誤報と判明。それは北極のオーロラを研究する米国とノルウエーとの合同研究ロケットであった。ノルウエーは事前にロシアに通報していたが、ロシア軍にはその通告が届いていなかった。
 これらの誤動作や誤報により核戦争勃発の直前状態が作りだされましたが、本当に幸いなことに寸前で回避されたのでした。核システムの誤動作や誤報による核戦争勃発の危険性は、実は日常生活の裏側に今も潜んでいるのです。核破局を確実に回避する道は、核兵器を全面的に禁止する以外にありません。


⑥ 核兵器禁止条約(TPNW)
(1) 核兵器禁止条約の成立
 人類の破滅に直結する核戦争を回避する唯一の手段は、核兵器の開発・生産・配備を禁止することです。毒ガス兵器の禁止(1933年)や細菌兵器の禁止(1872年)ができたのですから、それらをはるかに上回る非人道的な核兵器の禁止ができない訳がありません。
核保有国が「核不拡散条約(NPT)」第6条の核軍縮義務をいっこうに履行しないことに業を煮やした発展途上諸国や核兵器の廃絶をめざす世界世論は、2017年7月に「核兵器禁止条約(TPNW)」を国連総会で採択させることに成功しました。そして2020年10月に条約締約国が50カ国に達し、昨年1月22日に発効しました。今年6月29日現在、批准国63カ国、加盟国(署名・批准手続き無しで条約に従うとする国)3カ国、署名のみの国(未批准)23カ国となっています。
 批准国・加盟66カ国の多くは、発展途上諸国、核保有国でない社会主義諸国及び社会主義志向諸国です。地域的には中南米諸国、アフリカ諸国、東南アジア諸国、島嶼諸国が多数を占めています。とりわけ米国の圧迫と干渉を強く受けているキューバやベネズエラ、イスラエルの侵略と占領を受けているパレスチナが、真っ先にこの条約を批准したところに、この条約の性質がよく表われているように思います。キューバは、2018年1月に5番目の批准国となりました。6番目の批准国がパレスチナ、7番目の批准国がベネズエラ、8番目の批准国がベトナムといった具合です。核保有9カ国は署名をしていません。また自国は核を保有していないが、自国の安全保障を米国の核戦力に委ねている、いわゆる「核の傘」の下に入っているNATO諸国や日本や韓国などもこの条約に署名していません。

(2) 核兵器禁止条約の目的・意義およびその根拠
 核兵器禁止条約(TPNW)の目的とその意義、そしてそれらの根拠は、同条約の前文に明記されています。前文は、核兵器を全面禁止すべき理由を以下のように幾重にも述べています(外務省仮訳より引用)。
•「あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮し、したがって、いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として、核兵器を完全に廃絶することが必要である」
•「核兵器の壊滅的な結末は、十分に対応することができず、国境を越え、人類の生存、環境、社会経済開発、世界経済、食糧安全保障並びに現在及び将来の世代の健康に重大な影響を及ぼす」
•「核軍備の縮小が倫理上必要不可欠であること並びに国家安全保障上及び集団安全保障上の利益の双方に資する最上位の国際的な公益である核兵器のない世界を達成し及び維持することの緊急性を認める」
•「核兵器の使用の被害者(被爆者)が受けた又はこれらの者に対してもたらされた容認し難い苦しみ及び害並びに核兵器の実験により影響を受けた者の容認し難い苦しみに留意する」
•「あらゆる核兵器の使用は、武力紛争の際に適用される国際法の諸規則、特に国際人道法の諸原則及び諸規則に反することを考慮し、あらゆる核兵器の使用は、人道の諸原則及び公共の良心にも反することを再確認する」
そして、「核なき世界」に向かう道程でこの条約が持つ意義を、前文は次のように述べています。
•「核軍備の縮小の進行が遅いこと、軍事及び安全保障上の概念、ドクトリン及び政策において核兵器への依存が継続していること並びに核兵器の生産、保守及び近代化のための計画に経済的及び人的資源が浪費されていることを憂慮し、法的拘束力のある核兵器の禁止は、不可逆的な、検証可能なかつ透明性のある核兵器の廃棄を含め、核兵器のない世界を達成し及び維持するための重要な貢献となる」
•「厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備の縮小に向けての効果的な進展を図ることを決意し、厳重かつ効果的な国際管理の下で全ての側面における核軍備の縮小をもたらす交渉を誠実に行い、終了する義務が存在することを再確認する」
 また前文は、TPNW条約と他の諸条約との関係について以下のように述べています。まず「包括的核実験禁止条約(CTBC)」発効の必要性に触れ、「包括的核実験禁止条約及びその検証制度が核軍備の縮小及び不拡散に関する制度の中核的な要素として極めて重要であることを認識する」との文言を盛り込むことで、国連での採択以来20年以上も発効できていないCTBTの批准を行っていない国(米国、イスラエル、イラン、エジプト、中国)や署名すら行っていない国)インド゙、パキスタン、朝鮮)に速やかな署名・批准を促しています。
次いで前文は、「非核地帯条約」との関係に触れ、「関係地域の諸国の任意の取り決めに基づく国際的に認められた核兵器のない地域の設定は、世界的及び地域的な平和及び安全を促進し、核不拡散に関する制度を強化し、及び核軍備の縮小という目的の達成に資するとの確信を再確認する」と述べて、地域別非核地帯設定の意義を盛り込んでいます。

 非核地帯条約と言えば、前回の「核不拡散条約」締約国第9回再検討会議(2015年)の最終文書が採択されなかったのは、「中東地域非核地帯構想のための会議の招集」が最終文書に盛り込まれたためでした。イスラエルの核保有とイランの核保有への歩みによって核使用の危険性が高まる中で、エジプトが主導して中東地域非核地帯構想を進める提案に、圧倒的多数の締約国支持をして、それが最終文書に盛り込まれたのでしたが、核保有に固執するイスラエルを庇う形で、米国、イギリス、カナダが最終文書の採択に反対したのでした。非核地帯条約はすでに5つの地域で結ばれていて、その条約に加盟している国々の国土は、全世界の半分以上の広さを占めています。


(3) 核兵器禁止条約が禁止していること
 TPNW条約は、その「第1条 禁止」において、7項目の禁止事項を定めています。
1) 核兵器その他の核爆発装置の開発、実験、生産、製造、その他の方法による取得、占有、または貯蔵
2) 核兵器その他の核爆発装置、またはその管理のいずれかの者への移譲
3) 核兵器その他の核爆発装置、またはその管理の受領
4) 核兵器その他の核爆発装置の使用、またはこれを使用するとの威嚇
5) 条約により締約国が禁止されている活動を行ういずれかの者に対して援助、奨励、または勧誘をすること
6) 条約により締約国が禁止されている活動を行うために、いずれかの者に援助を求め、または援助を受けること
7) 自国の領域内または自国の管轄若しくは管理の下にあるいずれかの場所における、核兵器その他の核爆発装置の配置、設置、または展開
 これらの禁止条項により、核兵器その他の核爆発装置の開発、実験、生産、製造、その他の方法による取得、占有、貯蔵が禁止されるだけでなく、核兵器の移譲および受領、核兵器の使用、核兵器による威嚇、TPNW条約に抵触する行為への援助の授受、および抵触する行為の奨励や勧誘、核兵器その他の核爆発装置の自国領への配置、設置、展開も禁止されています。
日本や韓国、あるいは核非保有のNATO諸国のように米国の「核の傘」に入ることも、ましてや核の共同管理である「核の共有」なども、この条約によって禁止されているのです。従って、核保有国だけでなく、「核の傘」に入っている諸国も、TPNW条約に署名しないわけです。ですから、わが国がTPNW条約に署名するためには、米国の「核の傘」から抜け出すことが不可欠になります。この点は、日本政府にTPNW条約の批准を求める運動の中で、必ずしも強く主張されていないように思います。

(4) 核兵器禁止条約のアキレス腱
 以上、TPNW条約の意義について述べてきましたが、最後にTPNWのアキレス腱とでもいえる弱点について述べたいと思います。それは条約の前文において、「この条約のいかなる規定も、無差別に平和的目的のための原子力の研究、生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない」と述べ、「原子力の平和利用」の名の下に原子力発電を容認していることです。私は、原子力発電は人類の生存を脅かすものであると考えています。TPNW条約の前文は、核兵器使用の結果について、「壊滅的な結末は、十分に対応することができず、国境を越え、人類の生存、環境、社会経済開発、世界経済、食糧安全保障並びに現在及び将来の世代の健康に重大な影響を及ぼし、及び電離放射線の結果によるものを含め女子に対し均衡を失した影響を与える」と述べています。チェルノヴィリや福島の原発事故は、原発が人類の生存にとって核兵器と同様の影響を及ぼすことを明らかにしました。現在進行中のウクライナ戦争もまた、原発が存在することの危険性を世界に知らせています。また核廃棄物は極めて重大な環境破壊です。
 核不拡散条約(NPT)もまた、「核軍縮」「核不拡散」「核の平和利用」をその3本柱としています。そして、この「核の平和利用」こそ、原発推進の「錦の御旗」となってきたのでした。医療用核種(アイソトープ)の利用など、条件付きで認められる「核の平和利用」と原子力発電を明確に区別し、原発については禁止すべきことを明らかにすべきです。原発を継続する一つの理由として、核兵器の原料(ウランとプルトニューム)確保と核兵器開発技術の維持・発展があることは、「公然の秘密」といって良いでしょう。

(5) TPNW締約国会議へのオブザーバー参加
 戦争被爆国である日本の政府が、「TPNWには署名しない」と明言するという真に奇妙な事態が生み出されています。外務省のホームページには、政府がTPNWに署名しない理由について、「核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です。」「核兵器禁止条約は、現実に核兵器を保有する核兵器国のみならず、日本と同様に核の脅威に晒(さら)されている非核兵器国からも支持を得られておらず、核軍縮に取り組む国際社会に分断をもたらしている点も懸念されます。」の2点をあげています。そして、「地道に、現実的な核軍縮を前進させる道筋を追求することが必要であり、核兵器保有国や核兵器禁止条約支持国を含む国際社会における橋渡し役を果たし、現実的かつ実践的な取組を粘り強く進めていく」と述べています。
 「核の傘」の必要性について、外務省は、「北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難」だからだと言います。なぜ朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)の核だけが「差し迫った脅威」なのでしょうか? 内戦を除けば、朝鮮が外国に戦争を仕掛けたことがあるでしょうか? 朝鮮が「核兵器の使用をほのめかしている」と外務省は言いますが、朝鮮は、「自国の存立が脅かされるような侵略の事態が発生したときには核兵器の使用を辞さない」としているだけです。米国を含むすべての核保有国は、朝鮮と同様に「自国の安全が著しく脅かされる場合における核使用」を公言しているだけでなく、米国は、核兵器の先制不使用にさえ同意していません。外務省の言い訳はまったく成り立ちません。
 また外務省は、「核兵器保有国や核兵器禁止条約支持国を含む国際社会における橋渡し役を果たし、現実的かつ実践的な取組を粘り強く進めていく」と述べていますが、それなら被爆者団体が要求している「TPNWへのオブザーバー参加」に踏み切り、TPNW締約国と核保有国との橋渡しに努めるべきでしょう。NATO加盟国で米国の「核の傘」にはいっているドイツやオンダンダなどは先の第1回TPNW締約国会議にオブザーバー参加し、「TPNWには加盟できないが、核廃絶に向けてTPNW締約国と協力していく」と発言しています。日本政府は、橋渡しの役割すら果たそうとしていないのです。「現実的かつ実践的な取組を粘り強く進めていく」という中身がまったくありません。岸田首相は「やるやる詐欺師」だというきつい批判もありますが、核廃絶への取組みは、「やるやる詐欺」だと言われても弁解できないのではないでしょうか。
ところで、「TPNWへのオブザーバー参加は、TPNWを批准しないことへの避難をかわす行為ではないか」という疑問が、TPNW批准を求める運動の一部にあるようです。確かに「TPNWへのオブザーバー参加」はそのような一面があると思います。しかしオブザーバー参加すれば、常に締約国からの条約批准圧力に直接晒されますし、条約第9条によりオブザーバー参加者は締約国会議の費用の一部を負担することになり、財政面でTPNW締約国の活動を支えることになるので、肯定的側面もあります。従って私は、被爆者団体が政府にTPNWのオブザーバー参加者となるよう要求していることに賛同します。


[5] 核兵器廃絶への道
 以上、核兵器開発の歴史と核兵器禁止運動の歴史を振り返りながら、核兵器廃絶への道について思案を巡らしてきましたが、核兵器廃絶への道について、私の考えをまとめてみたいと思います。
1. アメリカ合衆国の雑誌「原子力科学者会報」は、2022年1月、「終末時計」が「人類破滅の100秒前」を指しているとし、人類は歴史上破滅に最も近づいたとの見解を表明しました。その後に勃発したウクライナ戦争は、この核破局が一層近づいたことを示しています。私たちはまず何よりも、人類は現在、まさに核破滅の危機に直面しているという認識を持つ必要があります。
2. この現実を直視し、如何なる事態においても核兵器の使用は絶対許されないという世界世論を巻き起こす必要があります。
3. その際、「いずれの国が悪いのか?」という問題での意見の相違を理由に、「核兵器の使用は絶対許されない」という反核運動の原理を曖昧にすることがあってはなりません。
4. 戦争はそのことによって利益を得る一握りの巨大資本の欲望によって引き起こされてきました。私は、そのような体制を変えない限り、戦争を無くすことはできないと考えています。しかしそのような体制が続く中でも、核戦争だけは阻止しなければなりません。核戦争の後に人類の未来を創造することはできないからです。
5. 核戦争阻止の運動は、一部の好戦主義的な人々を除いた幅広いものでなければなりません。「核戦争阻止」以外での意見の違いを理由に、運動の輪を狭めることがあってはなりません。
6. 運動の中心的課題は、核戦争の危険性とその破滅的結果を知らせること、そして「核兵器の使用反対」の世界世論を高めることです。
7. 核兵器の廃絶に向けた運動は、諸国民の連帯が何よりの力です。核兵器の所有や「核の傘」を正当化しようとする人々は、近隣諸国民に対する不信感と敵愾心を煽り続けています。なぜなら、近隣諸国民に対する不信感や敵愾心が無ければ、核兵器を擁護することが困難になるからです。そして不信感や敵愾心は、論理の問題ではなく情緒の問題であり、論理で反駁するだけでは情緒を変えるには不十分なのです。従って、他民族に対する憎悪犯罪(ヘイトクライム)を見逃すことなく速やかに対処することが必要であり、よりポジティブには、諸国民との民間交流を活発に推進すること、反戦・反核国際行動を発展させることが重要となります。
8. 反戦・反核国際行動では、非核地帯条約の締結諸国である中南米諸国、アフリカ諸国、東南アジア諸国、中央アジア諸国、南太平洋諸国などの発展途上諸国が力強いグループとして存在しており、これと先進資本主義諸国の反戦・反核運動の共同を実現することが重要となります。
9. そして中国が大きな役割を果たすべき時期が来たと思います。従来は、核問題といえば米ソ(露)間の問題がその中心に据えられてきましたが、米露間の枠組みでの核軍縮は破綻の淵にあり、他方でウクライナを巡って核の使用が米露間で問題になっている現状は、核軍縮の新しい枠組みが必要になっていることを示しています。中国は、核兵器の所有数では米露の10分の1以下ですが、その国力からいえば、中国を重要なプレーヤーとしない核軍縮の枠組みは、効果的なものにはなりえないでしょう。
10. 現在の中国は「中国の特色ある社会主義」を国是としています。社会主義を標榜する中国は、発展途上諸国の多くが支持する核兵器禁止条約を踏まえ、核軍縮を先導して核廃絶の道を切り開く役割を期待されています。中国のこれからの行動に、核兵器の廃絶を願う世界の人々の目が注がれています。

[添付] NPT第10回再検討会議に対するキューバ共和国の立場
 キューバ共和国のミゲール・ディアス=カネル・ベルムーデス大統領は、8月6日ツイッターに投稿し、「キューバは、核兵器の禁止と完全廃絶を支持する自らの確固たる立場を国連で確認しました。不拡散問題における政治的操作、恣意的選択、二重基準を止めなければなりません。」と発信しました。
 キューバ共産党の機関紙「グランマ」は、8月3日の紙面で、「核不拡散条約(NTP)」の第10回再検討会議における同国の国連大使の発言を紹介する形で、同国のNPT条約に対する基本的立場を紹介する記事を掲載しました。以下、それを翻訳して紹介します。

 キューバは、核兵器なき世界の擁護を受け入れる
 キューバは、核兵器の禁止と完全廃絶を支持する確固たる立場を国連で確認した。これは、キューバ革命の最高司令官フィデル・カストロ・ルスの深く人道主義的な見地に基づいており、共和国憲法で承認されている。
核兵器不拡散条約(NPT)の第10回再検討会議の一般討論での演説で、キューバ国連代表部臨時代理大使ユリ・ガラは、このように表明した。
 わが国の外務省のウェブサイトに掲載された彼の発言の中で、彼は、不拡散における政治的操作、恣意的選択、二重基準を止めなければならないと強調した。
 外交官ユリ・ガラは、核兵器が表明している現実的問題に対する唯一の持続可能な解決策は、透明で不可逆的かつ検証可能な方法によって、核兵器を完全に廃棄することであると付け加えた。
彼は、条約発効から52年が経った今、核軍縮の分野において、取り分け核大国が負った義務と約束の履行に関して、具体的な進展がないことに遺憾を表明した。
 COVID-19 の多次元的な影響に立ち向かい、持続可能な開発目標の達成に専念すべき資源を、核保有国が新しいタイプの核兵器の開発を継続するために、また同じく核兵器の増強と近代化をするために使用することは容認できない。削減の約束に違反しているとガラは主張した。
締約国の一方のグループがNPTのすべての義務を厳密に遵守し、他方のグループが遵守しないのは、公正でもないし容認できるものでもないと指摘した。
 自分たちの核兵器庫を改良し続け、核技術の供給と移転を続けているその国々によって、特定の国々が不拡散体制違反の疑いで非難され、悪者扱いされるのも容認できない、とキューバ大使は述べた。
 https://www.granma.cu/mundo/2022-08-03/cuba-ratifica-su-defensa-de-un-mundo-sin-armas-nucleares


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