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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

ウーゴ・チャベスの闘いの軌跡と「21世紀の社会主義」(その6)

2013-05-01 | ラテンアメリカ

ウーゴ・チャベスの闘いの軌跡と「21世紀の社会主義」(その6)

反革命「石油スト」
人民権力を創出する闘い

 クーデターに失敗したオリガーキー勢力は、2002年末から「石油スト」をしかけた。オリガーキーに買い取られた反動的な労働組合の協力の下、国営石油公社(PDVSA)を閉鎖し、再び危機をつくり出そうとしたのである。経済的にはこのときが最も厳しく、特に貧困層の生活は破綻寸前にまで悪化した。だが、政治的に覚醒し始めた民衆はチャベス政権を支え持ちこたえた。バリオの状況が気がかりで、ある日ウーゴは数人の同志たちと様子を見に行ったが、そのとき老婆がチャベスを自分の家まで引っ張っていった。そして言うには、椅子を燃やしてしまったあと今燃やしているのは寝台の脚だが、料理のために家具を全部燃やしてでもやっていくから、「絶対に屈服したらだめだ」と。多くの人民がこの老婆と同じような気持ちを共有していた。
 政府は貧困地区に食料を供給する「メルカル」(国営小売店網)を組織した。「石油スト」は、革命的労働者たちが組織する新たな組合を中心に、労働者たちの闘いで収束した。ベネズエラ経済の根幹である国営石油公社は、初めて真に人民のものとなり、その富は人民の福利に使われはじめた。この一連の闘いの中から、人民の生活を改善し教育水準を高める新たな運動(軍隊式に「ミッション」と呼ばれた)がいくつも起ち上がった。特に、医療と教育においてめざましい活動が始まったが、それはキューバの全面的な協力のもとにおこなわれた。
 2003年3月、失業者支援と職業訓練の「ミッション・ブエルバン・カラス」が開始された。同年4月には、医者のいない貧困地区に診療所をつくる「ミッション・バリオ・アデントロ」が開始された。これは、1万数千人のキューバ人医師が参加することで実現した。同年7月、9月、11月と、「ミッション・ロビンソン」(初等教育普及計画)、「ミッション・スクレ」(大学進学奨学金制度)、「ミッション・リバス」(高等教育普及運動)が次々と開始された。ここでも、キューバ人教師がベネズエラの若者たちとともに貧困地区で識字運動に取り組み、教材の提供でもキューバが全面的に支援した。
 2004年からは経済状況も人民生活も大きく改善しはじめ、貧困と無知と抑圧から解放されはじめた人民が、参加型民主主義の実践の中で自己変革をとげていく過程が、いっそう大規模に進展しはじめた。

(つづく)

(ヒデ)


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