LiveInPeace☆9+25

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

土肥信雄さん(東京・元都立高校校長)の講演会に参加して

2009-11-26 | 身近な出来事
 楽しみにしていた土 肥信雄さんの講演会に参加した。11月22日、大阪市内で「学校から言論の自由がなくなる-東京都教育委員会の横暴-」(「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン主催)というテーマの講演だった。テレビに映っていたあの元校長がそのまま画面から飛び出してきたようだ。いきなりエンジン全開。大きな声で「無職の土肥です」と笑わせ、不採用処分で職を奪われている自分をネタにする。あいさつの後、テレビ朝日系報道ドキュメンタリ宣言“「学校に言論の自由を!」~熱血校長先生の“反乱”~<土肥校長VS東京都教育委員会”のビデオが上映される。土肥校長の奮闘と生徒たちからの厚い信頼の様子に、会場では思わず目頭を押さえる人もいる。
 上映後いよいよ講演。土肥さんの話は、生徒・保護者・市民に支持、信頼されている自信と元気さにあふれていて、会場の人たちはぐんぐん話に引き込まれていった。土肥さんは、「僕の宝物だ」といって、離任式の際に卒業生たちから渡された「卒業証書」をみせ、主催者に証書の授与の様子を再現してもらっていた。うれしさが伝わってくる。そして、もう一つの宝物といって、「副賞」として卒業生全員からメッセージを書いて送られた色紙を会場に回した。先生のあいさつに一度もあいさつを返してくれず「おれを嫌っている」と思っていた女子生徒が最後に「いつも挨拶してくれてありがとう」と書いてくれたエピソードなども紹介した。
 土肥信雄元校長は在任中都教委に異議を申し立てたことによって、ほとんどの人が受かる雇用延長(非常勤講師)の試験に不合格処分を受けた。土肥さんは「学校から言論の自由がなくなる」と一人で闘いにたちあがり、都教委はそれへの報復として不合格処分で答えたのである。
 話されていたように、2006年、都教育委員会が出した「職員会議において教職員の意向を聞く挙手・採決の禁止」の撤回を要求したことから、土肥元校長に対する執拗な攻撃が始まった。この不採用処分は“異をとなえるものはつぶしてしまえ”につながるものだと思う。土肥元校長は、“基本的人権の中で最も重要なのが言論の自由だと思う、民主主義政治にとって言論の自由は不可欠”という信念をもって「生徒のため」にと仕事をしてきた人だ。「生徒のため」「自身の信念を一貫するため」にも黙って引き下がれなかったと思う。その気持ち、信念に共感をおぼえる。そしてこの闘いを支持したいと思う。
 都教委が味方(ないしはロボット化した)と思い込んでいる内部からの告発によって、「言論弾圧、横暴、教育の強制的統制」の実態が暴かれたことの意味は大きいと思う。しかも、この攻撃が東京都に止まらないのが現状である。この事実を広め、様々な立場や意見の相違をこえてでも、教育の統制を防ぐ手段として、“言論の自由”を守り、学校から息苦しさを取り払わねばと思った。
 土肥さんは教職員の勤務評定、「日の丸・君が代」の押しつけ、卒業式への不当介入、教育委員の米長氏の異常な支配欲なども含め東京都教育委員会の常軌を逸した管理攻撃等々についても述べられた。職員会議のあり方だけを問題にしているのではないこともわかった。その批判の観点が「生徒たちのため」「教育の主人公は子どもたちだ」という点で一貫しているところも強く共感できた。ただ一方で土肥さん自身が自分は「法令遵守主義」だとして、「みなさんとは意見は違うかもしれないが」と前置きしながら、たとえば「日の丸・君が代」について教職員に職務命令を出していることなども率直に語っていた。つまり「悪法も法なり」の立場なのだ。(彼は、口頭で教員全体に職務命令を出す「包括的職務命令」は受け入れながら、一人一人に文書で職務命令を出す「個別的職務命令」には抵抗する。)
※「法治主義」と「法の支配」の違いについては以下を参照。
憲法って、面白っ!第6回 「悪法も法なり」は正しいか?(リブ・イン・ピース☆9+25)
http://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/3fd4e0e84aead584daf0b1902dc55124

 たしかにいくつか違和感を感じるところがあり、すぐには受け入れられないところもあった。たとえば土肥元校長の労働組合に対する態度である。彼は労働組合による学校の管理を目指していたが、組合と組合員の現状に限界を感じて、校長という管理職になることで職場の活性化・改善をしようと思ったと言われていたと思う。私はここは立場が違うと思った。加えて「生徒のため」と個人であそこまで頑張るやり方を誰もができるわけではない。土肥さんのやり方が教師の理想像かというと私はとまどってしまう。色々なタイプの先生がおり、それだから先生同士が助け合い担任団などとして生徒に接していく協働の意義があると思う。私は看護師だが、「患者様のため」といって、自らの生活と健康、労働条件を犠牲にしてでも尽くすべきということにはならないのと同じだと思う。
 もちろん、土肥さんの内から起こるエネルギーに支えられた生き様をきいてしまうと、それだけをとって単純に否定したり批判したりが出来ない。まずは彼の闘いに最大の敬意を払いたい。そして労働組合運動をする者として、労働組合のあり方、参加する民主主義のあり方、協働のあり方などを考えるきっかけにしたい。みんなで議論するテーマになればいいなとも思う。

※[番組紹介]「学校に言論の自由を!」~熱血校長先生の“反乱”~<土肥校長VS東京都教育委員会>(リブ・イン・ピース☆9+25)
http://www.liveinpeace925.com/poverty/dohi_nobuo_tv.htm

(アーさん)

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