上映会で映画の製作者のお話も聞かせてもらいました。
日本軍「慰安婦」問題の運動がまったく前に進んでいないように見えて、実は勝ち取っているものがいかに大きいのか、というお話に励まされました。以下、簡単にまとめてみました。
さやか
●なぜ映画にしたのか?
在日慰安婦裁判が終わって、50本ものビデオを撮っており、「映像をどうにか形にして」と在日慰安婦裁判を支える会のみんなに言われていました。挺対協の映像を撮っていたアンヘリョンさん(オレ心の監督)に見てもらったら映画にしようといわれました。でも、映画にするなんてと思っていました。だから宋さんから「オレみたいなオナゴがいたことを映画に残してくれ」とよく言われていたことがなけば映画にしようとは思わなかったんです。
映画にも現れている通り、彼女のキャラ、独特の洞察力がすばらしいでしょう?例えば「オレも裁判やって、よくなった。アカ抜けたババァになった」と自分のことをこう表現していたんですよ。
●震災について
宋さんが生きていると確信がなぜかありました(震災にあう前、去年11月の米寿の祝いで「200まで生きる!」と言っていた。それを信じられる宋さんだったから)。
探している1週間。自衛隊に知り合いがいて、頼んでみたり(無理だった、苦笑いされた)、最初に被災地に入るのはメディアだろうと思い、メディアに頼んだり、日本のメディアではだめだったので、韓国のメディアが直で被災地に入るのが間違って東京経由で来たから、通訳として一緒に入らせてと頼んでみたり。TVで韓国の救助隊が死体を捜している姿に「そうじゃないだろう!避難所を探して!」とTVに向かって言ってみたり。そして、とうとう女川に入って、初日に一緒に入って、宋さんを名簿で確認して東京に連れ帰りました。
つい最近、女川にどういう状況か見に行ったんですが、やはり宋さんの家は流されていました。震災前の2月に家の付近の道路工事があって、工事の人と一緒に逃げたそうです。負ぶってくれたそうです。高台に住んでいたから津波は大丈夫と思っていたんですが、家にはボートが突っ込んでいました。家にはハさんの写真と仏壇が残っており、東京に持ち帰りました。
震災前、支える会の人間が月1回で訪問していました。2月は自分が担当だったんです。ここにほうっておけないと思うような生活状況でした。宋さん、すごく服を着込んでいて、動かないんですよ。支える会の人間が来てもしゃべるのが億劫そう。そんな状態だから強行にも連れて行かなきゃと思い、そういう議論をしていた矢先の地震でした。
宋さんは映画を見てのとおり、猜疑心の塊で、信頼にたる人かどうかを試すので議論が進みませんでした。
今は、元気になりすぎです。今の映画ぐらい元気。震災のあのまま置いていたら肺炎になっていたかも。「オレは言っていることは大きい。でも気は小さい」とか「気持ち変わらないでな」と不安がっていました。寝るときも不安で電気つけっぱなしでした。だからずっと支える会の人が傍にいるようにしました。今では元気で、口の悪さも復活していますよ(笑)。
●20年の運動なにも進まなかったのか?
正式謝罪と法的補償という点ではまったく成果がありません。だけど本当に成果がなかったわけではありません。生きられなかった、名乗れない被害者も多いですが、少なからず名乗って自分の傷を見つめ、人に吐露し、その話を受け入れてくれる人がいると知り、自分で、そして支えられている人とともに治癒していく人もいます。それがすごく大きいことです。
女性と戦争の人権博物館の意義についてですが。韓国でしゃべる人少なく、日本でしゃべることが多いんです。
例として「慰安婦」にされて梅毒になったハルモニの話をします。「慰安婦」にされないために結婚するといいという噂があり、結婚したそうです。ただ、すでに「慰安婦」にされていて、そのときに梅毒にかかり、結婚相手に梅毒をうつしてしまい、離婚させられてしまいました。でも子どもができているとわかったんですが、その子どもに梅毒がうつってしまいました。ショックで部屋から出なくなりました、ずっとです。(話の前後がメモしていなくて分からないんですが、再婚して子どももできたそうです)。その再婚相手との間の修道女になった次女さんはお母さんの世話をし、部屋の前に食事を運んでいました。たぶんお母さんのことを薄々何かあったことに気づいていたんでしょう。90年代に入り、「慰安婦」問題が知れ渡り、次女さんがその話をしました。そして彼女は名乗りを上げられたんです。そして、初の証言のときに、ぶるぶる膝が震えていました。今から思うとPTSDの症状でしょう。しかし、次の日の証言時には少し明るい顔になっていた。そしてずっと夫と話もしなかったのに、国際電話をかけてまで話していたそうなんです。
●戦争と女性の人権博物館
最初の建てようとしていた場所はやめて、建物を借りることにしました。早く博物館を見させてあげたいからです。
でも集まった16億ウオンは建物代に消えてしまいます。リフォームや展示物などについては赤字です。赤字からの出発は避けてあげたい。
支援をよろしくお願いします。