尹美香代表が送る挺対協週間ニュース2015年第19号
5月25日(月)~ 5月31日(日)
光復(解放)70周年を迎えつつ、ほぼすべての放送メディアが特別番組を作成しつつあるようです。番組を作成する人ごとに、「これまでとは違った番組を作成したい」と言います。ところが私の目に見えるのは、代わり映えのしない、むしろ異なるものを追求してみると、「ドラマ」を作っているのではないか、という悲しみを覚えます。劇的な場面を設定し、そのカメラ・ラインの中にハルモニを招き入れもして、そのカメラのシーンを作るために、新しい設定が作られたりもします。そうでなかったら良いのですが・・・また、光復70周年を迎える番組が、より多くの問題提起を、より多くのテーマを扱えば良いのに、もしかしたら、日本軍「慰安婦」問題に、多くは関心が集まらないのでは、それも心配になります。
このような状況を見ながら、私たちの挺対協は、必要によってではなく、設定を介してではなく、誰かが私たちを強迫してではなしに、私たちが来た道、私たちが定め向かっているこの道を、どのような強迫があったとしても、あきらめずに、謙虚に、誠実に、進んで行かなければならないという決意を、より堅くすることになります。常に最善を尽くします。
挺対協常任代表尹美香 拝
5月25日(月曜日)
〇あぁ~、このような香りだったのねぇ。蕨が吹き出す香りが、このような美しい香りだったのねぇ。済州島から「コッチャワル[KOCHAWAL](原生林を意味する済州固有語)小さな学校」の文ヨンポ[MUN YONGPO]先生が、お母さまと一緒に直接摘んだ蕨を、乾かして宅配便で休息所[SHUWIMTO]に送って下さいました。
〇ナビ(蝶)基金が、2回目のインタビュー活動をするために、ベトナムのビンディン省に向かって出発しました。
5月26日(火曜日)
〇右肩の炎症でリハビリテーション科での2回目の注射施術を行なった吉元玉[KIL WONOK]ハルモニの診療がありました。まだ他の部位の炎症が治まらず、糖尿病のために頻繁に注射を打つことができなくて、薬を処方してもらって来ました。
〇尹美香代表は大田[TEJON]に来ました。大田平和人権教育センターが、「平和人権解説者育成」のための講座を開いて、平和の碑の解説者育成のための講演依頼を尹美香代表にしました。
5月27日(水曜日)
〇朝9時30分に延世[YONGSE]大学付属セブランス病院の眼科診療のために出発しました。金福童[KIM BOKTONG]ハルモニは、目に注射・手術をして家に帰ったら、5時を回っていました。目に手術をすれば、3日間外出と洗面が出来ません。
〇第1180次水曜デモは、暖かい陽射しの下、「子どもコープ消費者活動連合会」主管で、日本、米国、蔚山[ULSAN]、冨川[PUCHON]などの各地から集まった参加者と取材陣が席を一杯に満たした中で開かれました。
〇水曜デモが終わって、罪責を告白するために日本から水曜デモに来られた牧師さんや教徒さんたちと一緒に、昼食をしながら交流する時間を持ちました。
〇米国のエモリー[EMORY]大学の学生たちと教授たちが、「戦争と女性人権博物館」を見学し、挺対協の事務所を訪問して、尹美香代表と話し合いました。尹美香代表が、日本軍「慰安婦」問題解決の動きの最近の現状について説明し、質問と回答を通して、日本軍「慰安婦」問題を解決するための代案について議論しました。特に米国での役割などについても話し合いました。
〇事務所会議を行いました。
5月28日(木曜日)
〇朝、悲報を受け取りました。慶尚南道[KYONGSAN NAMDO]昌原[CHANGWON]の、ある療養病院に居られた李ヒョスン[I HYOSUN]ハルモニの息子さんの李ドンジュ[DONGJU]氏から、李ヒョスン・ハルモニが昨日(27日)午後7時に亡くなられたとの連絡がありました。
〇大田平和女性会が主催する女性平和安保フォーラムに尹美香代表が参加して、「光復(解放)70周年、日本軍『慰安婦』問題の解決と韓(朝鮮)半島の平和」と題して、報告をしました。
〇休息所(SHUWIMTO)「平和の我が家」では、第3回アートセラピー教室が開かれました。
〇シカゴの女性ホットラインの池ヨンジュ[CHI YONGJU]事務局長が事務所を訪問して、6~7月の米国キャンペーンについて、議論する時間を持ちました。
〇李ヒョスン・ハルモニの弔問に孫ヨンミ[SON YONGMI]所長、梁路子[YANG NOJA]チーム長、ユ・ジヒョン幹事が行って来ました。
5月29日(金曜日)
〇朝8時、ソウル市内のあるレストランで、ソウル市平和の碑建立推進委員会を開催しました。
〇とある中年男性が事務所に電話をして来て、ベトナム支援事業と関連して強迫しようとしましたが・・・その男性は、電話をして来て代表を呼び出しました。・・・「引き続いてベトナムのおっさんやおばはんを招待してみろ・・・俺は黙ってはいないからな・・・」と言います。「どちら様で?」と訊きますと、「民対協だ」と言います。「事務所はどこですか?」、「鐘路[CHONGNO]だ」、「鐘路のどこですか? 私が訪ねて行ってはだめですか?」と言うと、電話を切ってしまいました。ふ~う! 更に時間が過ぎないうちに、歴史を正しく打ち立てなければならないと切に思います。
〇去る3月、コンゴの、1つの戦時性暴力被害者支援団体であるウシリカから、ナビ基金に緊急支援要請がありました。ウシリカは、昨年ナビ基金が直接コンゴを訪問した際に出会った団体であり、その時に支援を開始した団体です。ウシリカがナビ基金に要請したのは、コンゴの北キブ地域で反乱軍から性的暴行を受け、村から夫たちなどによって追い出された女性たちのための緊急支援が必要だと言うことです。そこで議論した末、第1次緊急支援金千ドルを送って差し上げ、ウシリカから報告書が来ました。
〇女性未来センターで、女性の平和外交フォーラムの李ヒョンスク[HYONGSUK]、李ジョンオク[JONGOK]共同代表と、韓国女性団体連合の金グモク[GUMOK]代表と、挺対協の尹美香代表が一緒に会い、土曜日にある「ノーベル平和賞対話の集い」についてや今後の計画について、議論する時間を持ちました。
〇天安[CHONAN]の「望郷の丘」に李ヒョスン・ハルモニの安置申請がされていない問題で、「望郷の丘」側と女性家族省、保健福祉省に連絡して、明日、ハルモニの遺体が天安の「望郷の丘」に到着した時、そのまま支障無く祀ることができるよう、今日一日全力を傾けました。・・・幸いなことに、すべての手続きが迅速になされ、承認が降りました。
5月30日(土曜日)
〇女性平和外交フォーラムが主催する行事に、挺対協が一緒に参加しました。女性平和外交フォーラムと女性弁護士会が、「女性と子どもの安全のための平和の庭」後援パーティーを開きました。今回の「平和の庭」では、日本軍「慰安婦」の活動をノーベル平和賞に推薦するための対話の場が持たれました。
〇全州[CHONJU]平和の少女像建設市民推進委員会の主催で、「記憶、そして未来のための羽ばたき」というタイトルで、「日本軍『慰安婦』被害ハルモニたちと共にする平和コンサート」が開かれました。多くの青少年と市民が、全州まで駆けてきた吉元玉ハルモニを、色とりどりの蝶(ナビ)と熱い拍手で迎えました。目の治療のために動くことができない金福童ハルモニは、その心を映像によって代替しました。
〇博物館には本当に多くの学生グループが訪問をします。金曜日1日だけでも、「路上の人文学チーム」を始めとする多くの学校の生徒が博物館に来て、見学して帰って行きました。
〇故李ヒョスン・ハルモニは、朝、昌原市民社会団体長の手で出棺された後、化粧を経て、天安の「望郷の丘」に安置されました。
〇5月25日から今日まで、ベトナムのビンディン省に住んでいる韓国軍性暴力被害者に対する追加のインタビュー活動を行いました。去る3月の訪問時に、限られた日程のために会えなかった7人の生存者に、第2次として会ったのですが、挺対協金ドンヒ[DONGHI]事務所長と平和の碑制作者の金ソギョン氏が一緒に会いました。社会的企業アマプの具スジョン[KU SUJONG]さんとベトナムの平和活動家ウンヨン氏が、一緒に通訳と進行をしました。今回の訪問で確認した6人の韓国軍性暴力被害者へのナビ基金は、毎月50ドルづつを、お亡くなりになるまで支援することになります。
※ この一週間も最善を尽くして駆けて来た1週間でした。挺対協は、次の1週間も最善を尽くします。 (終)