清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる
愛を目指すものです。
(『テモテへの手紙一 』 1章 5節)
「互いに愛し合いなさい」という言葉の意味は
互いが愛を受けようというものではありません。
愛は相手のためのものなので
互いが「(他の)“ため”に奉仕しなさい」というものです。
すべての人が
相手と全体のために奉仕して犠牲になるようになるなら
平和の世界になるのです。
(R・S・M)
つまり、こういうことです。
惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、
惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、
こうしようと心に決めたとおりにしなさい。
喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
神は、あなたがたがいつもすべてのものに十分で、
あらゆる善い業に満ちあふれるように、
あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることが
おできになります。
(『コリントの信徒への手紙二』 9章8節)
神様は常にあなたのことを
愛しておられます。
ですから、あなたは
神様に愛された分だけ
多くの人に尽くしてあげなさい。
人の和は、与えることによって
大きく広がっていきます。
(R・S・M)
神様から出発したものは
神様へと還っていきます。
純粋な愛を中心として生きていけば
永遠に循環することができ
永遠に愛を中心として回るのです。
そうでないものは永遠ではありません。
いつかは止まってしまうのです。
(R・S・M)
兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、
その人にはつまずきがありません。
(『ヨハネの手紙一』2章10節)
あらゆる艱難辛苦に
うちかってこそ、
最高の栄光ある立場に
立つことができます。
今ある人間関係の難しさも、
仕事の苦労も、
自分を成長させてくれる
糧であることを信じて、
乗り越えていきましょう。
(R・S・M)
医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためである。
(『ルカによる福音書』 5章 32節)
たとえあなたの心が
憎しみと欺瞞に満ちていても、
その心を持つあなた自身が
悲しんでいることを
神様は知っておられます。
そのこと故に、
神様はあなたを許し
いとおしんでくださっておられるのです。
(R・S・M)
体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを
恐れることはない。
むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる
お方を恐れなさい。
(『マタイによる福音書』10章28節)
すずめは二羽一アサリオンで売られているではないか。
それにもかかわらず、その一羽も、
あなたがたの(天の)父の許しがなければ、
地に落ちることはない。
あなたたちは、髪の毛までも皆、数えられている。
だから、恐れることはない。
あなたたちは多くのすずめよりも
もっと価値のあるものではないか。
(『マタイによる福音書』10章31節)
神様のおられるところなら
どこでも私の心は住めます。
神様が住んでおられるところが、
私の心の住み家です。
神様の愛のあるところに
私の心は落ち着くことができるのです。
私たちがどこに住もうとも
神様を中心とするならば、
そこが私たちの心の安住の地なのです。
(R・S・M)
強く、雄々しくあれ。
(『ヨシュア記』1章6節)
わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。
うろたえてはならない。
おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、
主は共にいる。
(『ヨシュア記』 1章9節)
復帰の路程において
みじめな神様の心情を
ありありと実感することができますように。
今まで苦しい道をたどってきた
弱き者たちが集っておりますが、
涙ぐましい立場に立つ時も、
辛い苦労の道を行けと命令せざるを得ない
神様のその心情を理解することができますように。
毎日共に在り
共に為し
共に我々を励まして、
神様の名前と共に立ち、
共に神様の目的を果たし得る
共同存在とならしめてください。
(R・S・M)