礼拝をする者たちが、
霊と真理をもって
父を礼拝する時が来る。
今がその時である。
なぜなら、
父はこのように
礼拝する者を
求めておられるからだ。
神は霊である。
だから、
神を礼拝する者は、
霊と真理をもって
礼拝しなければならない。
『ヨハネによる福音書』 / 4章 23節
祝福を受けようと
するならば、
祝福を受ける
準備をしなければ
なりません。
(『詩篇』119編9節)
男性も女性も
天から与えられた自らの価値を
生かして役に立ちたいという、
新しい天地に向かう夢をもっています。
人類を創造なさったとき
神様にも夢があったように
神様に似せて造られた人間にも夢があるのです。
その夢には
情緒があり
詩的な境地が宿っていて
必ず文学的な一面が内在しています。
人は夢をもたなければなりません。
詩的な感情が必要なのです。
(R・S・M)
物の判断においてあなたがたは
子どもであってはいけない。
悪事については幼い子どものように純真でありなさい。
しかし、物を判断することにおいては
一人前になりなさい。
(『コリントの信徒への手紙一』14章20節)
まず知り合うこと
知り合えば
お互い愛し合うようになるでしょう。
互いに愛し合えば
支えあうようになるでしょう。
もしほんとうに愛したいと願うのなら
許すことを知らなければなりません。
マザーテレサ (マザーテレサ『愛のことば』より)
知らないのですか。
あなたがたの体は、神からいただいた
聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
(『コリントの信徒への手紙一』6章19節)
神様は「愛のために」生きておられ
神様によって造られたものは
皆「愛のために」存在しています。
人は皆
神様が宿る聖なる宮
神様の目となって
物事を公的に見つめられる
犠牲的な愛の精神をもたなければなりません。
そのときはじめて「純愛」の扉が開かれるのです。
(R・S・M)
体はみだらな行いのためではなく、
主のためにあり、主は体のためにおられるのです。
あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは
知らないのか。
キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。
決してそうではない。
娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、
ということを知らないのですか。
「二人は一体となる」と言われています。
(『コリントの信徒への手紙一』6章15節)