あるいは、神の憐れみがあなたを
悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
『ローマの信徒への手紙』 / 2章 4節
人間は
自分の願いで
生まれてきたのでは
ありません。
天の願いによって
新しい生命体として
生まれてきたのです。
天の身代わりとしての
父母の愛によって生まれ
愛によって育てられ
愛によって生き
愛を残していく
それが人生の最高の目的です。
【東京 JR渋谷駅ハチ公前】
悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
『ローマの信徒への手紙』 / 2章 4節
人間は
自分の願いで
生まれてきたのでは
ありません。
天の願いによって
新しい生命体として
生まれてきたのです。
天の身代わりとしての
父母の愛によって生まれ
愛によって育てられ
愛によって生き
愛を残していく
それが人生の最高の目的です。
【東京 JR渋谷駅ハチ公前】
あるいは、神の憐れみがあなたを
悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
『ローマの信徒への手紙』 / 2章 4節
人間は何のために生きるのでしょうか。
人のために生きるというのなら
どれほど素晴らしい答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。
悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
『ローマの信徒への手紙』 / 2章 4節
人間は何のために生きるのでしょうか。
人のために生きるというのなら
どれほど素晴らしい答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。
何事も
愛をもって行いなさい。
『コリントの信徒への手紙一』 / 16章 14節
人間は何のために
生きるのでしょうか。
人のために生きる
というのなら
どれほど素晴らしい
答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に
帰るようになっているのが
創造本然の
人間の生なのです。
(R・S・M)
~今日のみ言葉
愛をもって行いなさい。
『コリントの信徒への手紙一』 / 16章 14節
人間は何のために
生きるのでしょうか。
人のために生きる
というのなら
どれほど素晴らしい
答えでしょう。
愛の結実として生まれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に
帰るようになっているのが
創造本然の
人間の生なのです。
(R・S・M)
~今日のみ言葉
わたしたちは喜び、大いに喜び、/
神の栄光をたたえよう。
小羊(キリスト=メシア)の婚礼の日が来て、/
花嫁(=信徒)は用意を整えた。
『ヨハネの黙示録』 / 19章 7節
結婚は、ただ婚期が来た男女が出会って
一緒に暮らすことではありません。
結婚は犠牲の上に成り立ちます。
男性は女性のために生き、
女性は男性のために
生きなければなりません。
私の利己心がすべて消えるときまで、
絶えず相手のために
生きなければなりません。
そのように犠牲になる心が
愛です。
女性と男性が出会って、
楽しくて良いものが愛ではなく、
命を捧げることが愛です。
そのような覚悟をした後に
結婚しなければならないのです。
神の栄光をたたえよう。
小羊(キリスト=メシア)の婚礼の日が来て、/
花嫁(=信徒)は用意を整えた。
『ヨハネの黙示録』 / 19章 7節
結婚は、ただ婚期が来た男女が出会って
一緒に暮らすことではありません。
結婚は犠牲の上に成り立ちます。
男性は女性のために生き、
女性は男性のために
生きなければなりません。
私の利己心がすべて消えるときまで、
絶えず相手のために
生きなければなりません。
そのように犠牲になる心が
愛です。
女性と男性が出会って、
楽しくて良いものが愛ではなく、
命を捧げることが愛です。
そのような覚悟をした後に
結婚しなければならないのです。
罪を告白することを恥じるな。
川の流れを無理に
せき止めてはならない。
『シラ書〔集会の書〕』 / 4章 26節
私たちが歴史発展過程を
注意深く見てみれば、
人類最初の文明であるエジプト文明は、
ナイル川を中心とした河川文明です。
すなわちエジプト文明は、
ナイル川を母胎として
発祥した文明だというのです。
また、このエジプト文明は、
どのようにして
発展したのでしょうか。
エジプト人は
「川の向こう側には何があるのか」
と気になっていました。
いつも川の向こう側に行ってみたいと
望んでいたのですが、
それがエジプト文明を発展させる
精神的な背景となったのです。
このように河川文明時代が
過ぎたのちに、
地中海文明が建設されました。
向こう岸を見つめる切実な心、
希望の心情が動機となって
人類社会が発展してきたのです。
そして、
向こう岸に向かう切実な心情が
文明の革命をおこした、
ということを皆さんは
知らなければなりません。
川の流れを無理に
せき止めてはならない。
『シラ書〔集会の書〕』 / 4章 26節
私たちが歴史発展過程を
注意深く見てみれば、
人類最初の文明であるエジプト文明は、
ナイル川を中心とした河川文明です。
すなわちエジプト文明は、
ナイル川を母胎として
発祥した文明だというのです。
また、このエジプト文明は、
どのようにして
発展したのでしょうか。
エジプト人は
「川の向こう側には何があるのか」
と気になっていました。
いつも川の向こう側に行ってみたいと
望んでいたのですが、
それがエジプト文明を発展させる
精神的な背景となったのです。
このように河川文明時代が
過ぎたのちに、
地中海文明が建設されました。
向こう岸を見つめる切実な心、
希望の心情が動機となって
人類社会が発展してきたのです。
そして、
向こう岸に向かう切実な心情が
文明の革命をおこした、
ということを皆さんは
知らなければなりません。
自己推薦する者ではなく、
主から推薦される人こそ、
適格者として
受け入れられるのです。
(『コリントの信徒への手紙二 』/ 10章 18節)
神様の理想とは何でしょうか。
神様の創造理想は、平和世界の実現です。
そのような世界では、分裂と葛藤は、これ以上存在しません。
そのような世界は、調和と統一の喜びに満ちた世界です。
このような目的を実現するために最も早い手段は、
真の愛を通すことです。
真の愛は、統一の要素であり、喜びと幸福の根源です。
ですから平和の先決条件は、真の愛です。
【画像は撫子(なでしこ)、画像には著作権が存在する可能性があります。ご了承ください。】
今日のみ言葉
主から推薦される人こそ、
適格者として
受け入れられるのです。
(『コリントの信徒への手紙二 』/ 10章 18節)
神様の理想とは何でしょうか。
神様の創造理想は、平和世界の実現です。
そのような世界では、分裂と葛藤は、これ以上存在しません。
そのような世界は、調和と統一の喜びに満ちた世界です。
このような目的を実現するために最も早い手段は、
真の愛を通すことです。
真の愛は、統一の要素であり、喜びと幸福の根源です。
ですから平和の先決条件は、真の愛です。
【画像は撫子(なでしこ)、画像には著作権が存在する可能性があります。ご了承ください。】
今日のみ言葉
ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、
あなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する真心と純潔とから
それてしまうのではないかと心配しています。
『コリントの信徒への手紙二』 / 11章 3節
子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。
子供たちは皆、王子様であり王女様です。
思春期はあらゆることを自己中心に考える時期なので、
父母の言葉に無条件に反発するものです。
そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、
うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。
反対に、いくら些細なことでも、
自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。
秋の日、葉っぱがすっかり落ちた柿の木から、
熟した柿がぽたっと落ちるのを見ただけでも、
うれしくて笑います。
何だか分からないのですが、
自分の心に届くものがあるので喜ぶのです。
なぜそうなるのかと言えば、
神が人間をそのように創造したからです。
神様から創造された人間の本性がそうなっています。
思春期に愛の感情に包まれてしまうと、
世の中を見る目が曇って判断力を
失ってしまいかねません。
思春期の少女と少年が会って話しをすれば、
胸が高鳴りますが、そのようなとき、
その心を神の基準に合わせなければ
必ず悪の世界に染まるようになります。
体―肉欲―を制御する手段がなくなってしまうからです。
心の目と体の目が一つになって動きます。
愛の鼻を持てば、それまで嫌っていたにおいも好きになり、
それまで嫌っていた味も好きになります。
夜通し愛の話を聞きたくなるし、
愛する人にはしきりに触れてみたいと思うようになります。
思春期になると、心と体の細胞はすべての門を開こうとし、
愛を喜んで迎え入れたくなります。
愛には幸福感が伴いますが、だからといって、
―しめた!―とばかりに無条件にその門に駆け込むと、
大変なことになってしまいます。
まだ、門を開くには時を待たなければなりません。
時が来て初めて愛の門を開くことができます。
時を知り、愛と性を正しく用いることを知るべきです。
父母は、思春期の子供たちにこのようなことを
正確に教えなければなりません。
愛は神に似ていく過程であって、
世の中で蔓延[まんえん]しているような
自分勝手に楽しむものではありません。
あなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する真心と純潔とから
それてしまうのではないかと心配しています。
『コリントの信徒への手紙二』 / 11章 3節
子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。
子供たちは皆、王子様であり王女様です。
思春期はあらゆることを自己中心に考える時期なので、
父母の言葉に無条件に反発するものです。
そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、
うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。
反対に、いくら些細なことでも、
自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。
秋の日、葉っぱがすっかり落ちた柿の木から、
熟した柿がぽたっと落ちるのを見ただけでも、
うれしくて笑います。
何だか分からないのですが、
自分の心に届くものがあるので喜ぶのです。
なぜそうなるのかと言えば、
神が人間をそのように創造したからです。
神様から創造された人間の本性がそうなっています。
思春期に愛の感情に包まれてしまうと、
世の中を見る目が曇って判断力を
失ってしまいかねません。
思春期の少女と少年が会って話しをすれば、
胸が高鳴りますが、そのようなとき、
その心を神の基準に合わせなければ
必ず悪の世界に染まるようになります。
体―肉欲―を制御する手段がなくなってしまうからです。
心の目と体の目が一つになって動きます。
愛の鼻を持てば、それまで嫌っていたにおいも好きになり、
それまで嫌っていた味も好きになります。
夜通し愛の話を聞きたくなるし、
愛する人にはしきりに触れてみたいと思うようになります。
思春期になると、心と体の細胞はすべての門を開こうとし、
愛を喜んで迎え入れたくなります。
愛には幸福感が伴いますが、だからといって、
―しめた!―とばかりに無条件にその門に駆け込むと、
大変なことになってしまいます。
まだ、門を開くには時を待たなければなりません。
時が来て初めて愛の門を開くことができます。
時を知り、愛と性を正しく用いることを知るべきです。
父母は、思春期の子供たちにこのようなことを
正確に教えなければなりません。
愛は神に似ていく過程であって、
世の中で蔓延[まんえん]しているような
自分勝手に楽しむものではありません。
言っておくが、
あなたがたの義が
律法学者やファリサイ派の
人々の義に
まさっていなければ、
あなたがたは決して
天の国に
入ることができない。
『マタイによる福音書』 / 5章 20節
【カトリック田園調布教会[フランシスコ修道院] 東急多摩川駅】
あなたがたの義が
律法学者やファリサイ派の
人々の義に
まさっていなければ、
あなたがたは決して
天の国に
入ることができない。
『マタイによる福音書』 / 5章 20節
【カトリック田園調布教会[フランシスコ修道院] 東急多摩川駅】
愛する人たち、
あなたがたは最も聖なる信仰を
よりどころとして
生活しなさい。
聖霊の導きの下に祈りなさい。
(『ユダの手紙』 20節)
(至誠感天)
人を相手にせず、
天を相手にせよ。
天を相手にして
己れを尽くし、
人を咎めず、
ただ己れの誠の足らざるを
尋ぬべし
[西郷隆盛(1728~1877)]
正しくない者が
神の国を
受け継げないことを、
知らないのですか。
思い違いをしてはいけない。
みだらな者、偶像を礼拝する者、
姦通する者、男娼、男色をする者
泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、
人を悪く言う者、人の物を奪う者は、
決して
神の国を
受け継ぐことができません。
『コリントの信徒への手紙一』 / 6章 10節
神の国を
受け継げないことを、
知らないのですか。
思い違いをしてはいけない。
みだらな者、偶像を礼拝する者、
姦通する者、男娼、男色をする者
泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、
人を悪く言う者、人の物を奪う者は、
決して
神の国を
受け継ぐことができません。
『コリントの信徒への手紙一』 / 6章 10節
しかし、まことの
礼拝をする者たちが、
霊と真理をもって
父を礼拝する時が来る。
今がその時である。
なぜなら、
父はこのように
礼拝する者を
求めておられるからだ。
神は霊である。
だから、
神を礼拝する者は、
霊と真理をもって
礼拝しなければならない。
『ヨハネによる福音書』 / 4章 23節
祝福を受けようと
するならば、
祝福を受ける
準備をしなければ
なりません。
礼拝をする者たちが、
霊と真理をもって
父を礼拝する時が来る。
今がその時である。
なぜなら、
父はこのように
礼拝する者を
求めておられるからだ。
神は霊である。
だから、
神を礼拝する者は、
霊と真理をもって
礼拝しなければならない。
『ヨハネによる福音書』 / 4章 23節
祝福を受けようと
するならば、
祝福を受ける
準備をしなければ
なりません。
人の子(メシア)が、
仕えられるためではなく
仕えるために、
また、
多くの人の身代金として
自分の命を献げるために
来たのと同じように。
(『マタイによる福音書』 / 20章 28節)
至誠にして動かざる者は、
未だ(いまだ)之れ(これ)有らざるなり
(孟子)
「誠は天の道なり。
誠を思うは人の道なり。
至誠にして動かざる者は、
未だ之有らざるなり。
誠ならずして、
未だよく動く者は
有らざるなり。」
…………………
仕えられるためではなく
仕えるために、
また、
多くの人の身代金として
自分の命を献げるために
来たのと同じように。
(『マタイによる福音書』 / 20章 28節)
至誠にして動かざる者は、
未だ(いまだ)之れ(これ)有らざるなり
(孟子)
「誠は天の道なり。
誠を思うは人の道なり。
至誠にして動かざる者は、
未だ之有らざるなり。
誠ならずして、
未だよく動く者は
有らざるなり。」
…………………
その方(メシア)が来れば、
罪について、
義について、
また、
裁きについて、
世の誤りを
明らかにする。
『ヨハネによる福音書』 / 16章 8節
思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい
それはいつか運命になるから。
自由が丘(目黒区)
罪について、
義について、
また、
裁きについて、
世の誤りを
明らかにする。
『ヨハネによる福音書』 / 16章 8節
思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい
それはいつか運命になるから。
自由が丘(目黒区)
わたしの軛は負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。
『マタイによる福音書』 / 11章 30節
思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい
それはいつか運命になるから。
わたしの荷は軽いからである。
『マタイによる福音書』 / 11章 30節
思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい
それはいつか運命になるから。