わたしたちは人を欺いているようでいて、
誠実であり、
人に知られていないようでいて、
よく知られ、死にかかっているようで、
このように生きており、
罰せられているようで、殺されてはおらず、
悲しんでいるようで、常に喜び、
貧しいようで、多くの人を富ませ、
無一物のようで、すべてのものを所有しています。
(『コリントの信徒への手紙二』 6章10節)
神様のおられるところなら
どこでも私の心は住めます。
神様が住んでおられるところが、
私の心の住み家なのです。
神様の愛があるところに
私の心は落ち着くことができるのです。
私たちがどこに住もうとも
神様を中心とするならば、
そこが私たちの心の安住の地なのです。
誠実であり、
人に知られていないようでいて、
よく知られ、死にかかっているようで、
このように生きており、
罰せられているようで、殺されてはおらず、
悲しんでいるようで、常に喜び、
貧しいようで、多くの人を富ませ、
無一物のようで、すべてのものを所有しています。
(『コリントの信徒への手紙二』 6章10節)
神様のおられるところなら
どこでも私の心は住めます。
神様が住んでおられるところが、
私の心の住み家なのです。
神様の愛があるところに
私の心は落ち着くことができるのです。
私たちがどこに住もうとも
神様を中心とするならば、
そこが私たちの心の安住の地なのです。