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あなたがたは世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。
「マタイによる福音書」/ 05章 14節
新約聖書 新共同訳
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★ネパールで「学校」創り続けて50校…
70歳・元西宮職員を突き動かした「娘の難病」
◆産経新聞 2013年12月8日 18:00【関西の議論】
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▲石丸伸子さん(左)とネパールの村で行われた
50校目の竣工式(いずれも石丸雄次郎さん提供)
貧困問題で揺れるネパールで、子供たちのために学校を50校建てた男性がいる。兵庫県川西市のNGO「アジア友好ネットワーク」の代表世話人の石丸雄次郎さん(70)。25歳で亡くなった次女の病気をきっかけに活動を始め、今では75校目までの建設が決まっている。石丸さんは「学校建設は次女からの宿題。ネパールの子供たちのために100校を目指す」と話す。
(猿渡友希)
■50校目の完成式典
11月2日、石丸さんは、ネパールの首都カトマンズから南へ約180キロの村で開かれた50校目の小学校の完成式典に出席していた。式典には、ネパールの文部大臣をはじめ政府関係者や地元メディア、村人ら約500人が参加した。
「これからは安心して勉強ができる」と喜ぶ子供たちの姿に石丸さんは胸が熱くなった。これまでに建設した学校の校長35人も参加しており、「おかげで子供たちが毎日勉強できています。ありがとう」と石丸さんに声をかけた。
完成した学校では、5~10歳の子供たち約250人が学ぶことができる。石丸さんは、心の中で次女に「学校建設はうまくいってるよ、安心してね」と語りかけた。
■ネパールとの出会い
石丸さんの次女、伸子さんは昭和50年11月に生まれた。当時、石丸さんは兵庫県西宮市職員。伸子さんは肝臓から胆汁を運ぶ胆管がつまり、肝臓が破壊されていく難病「胆道閉鎖症」だった。幼いころから入退院を繰り返し、平成4年には母から生体肝移植を受けた。 そのころ、同じ病気の女児がネパールから来日したが、手遅れで手術ができずに帰国し、その後亡くなったことを新聞記事で知った。
「ネパールの医療技術はどの程度なのか。この目で確かめたい」。8年夏、石丸さんは単身ネパールへ向かった。
■目の当たりにした現実
初めて訪れたネパールは衝撃の連続だった。街には物乞いする孤児や、劣悪な環境で一日中働く子供があふれ、多くは字が読めなかった。現地ガイドは「医療も必要。だが、その前に最低限の教育がない」と石丸さんに訴えた。
訪れた村では、子供たちは片道数時間かけて学校に通っていた。竹や木で作られた学校の校舎は粗末で、教師も足りなかった。
「子供たちが勉強をして、生きる知恵を身につけなければ、いつまでも貧困から抜け出せない」との言葉に、石丸さんは「学校建設支援をしよう」と決意した。
■始まった学校建設支援
NGO「アジア友好ネットワーク」を設立した石丸さんは、知り合いなどに寄付を呼びかけ、約40万円を集めた。約1年後にはカトマンズから東へ約60キロ離れた村に1校目の小学校を完成させた。
その後も年に2度ほど現地を訪れ、毎年2、3校ずつ学校建設を続けた。石丸さんの活動を伸子さんも応援してくれていた。活動を報告すると、うれしそうに聞いてくれた。だが、伸子さんの容体は次第に悪化していった。
■次女との別れと再会
伸子さんは43回の入院と2度の生体肝移植に耐えたが、13年6月、25歳の若さで亡くなった。
喪失感に襲われるなか、石丸さんはネパールの子供たちの笑顔を思い出した。
「娘が引き合わせてくれたネパールの支援を続けよう」
翌年、再び現地を訪れた。建設支援した2校目の小学校を訪ねた際、校庭に「のんちゃんテンプル」と名付けられた慰霊碑を見つけた。のんちゃんとは、伸子さんの呼び名だ。標高2千メートル、ヒマラヤを望む丘の上での伸子さんとの再会だった。
毎回ガイドをしてくれる現地男性のガネッシュさんの父親が、伸子さんの死を聞き、祈りのために建てたのだという。
「ヒマラヤに娘が生きている」。石丸さんはネパールとの一層のつながりを感じた。
■続く支援と周知活動
その後も、年に2回は現地を訪れ、のんちゃんテンプルに足を運ぶようになった。ガネッシュさんが、ボランティアで現地で動いてくれるようになり、メールやスカイプでやりとりをしながら活動を続けた。
1校あたりの建設費は約200万円。これまでに50校を完成させ、約1万5千人の子供たちがすでに学んでいる。現在75校目までが計画中だ。
石丸さんは支援の傍ら、全国各地の小学校などで講演会を開き、ネパールの現状を日本の子供たちにも知らせている。「子供たちに世界を知ってほしい」との思いからだ。
講演で出会った子供たちと一緒に、これまでに絵本も2冊自費製作した。伸子さんの人生を描いた「のんちゃん空を飛ぶ」(22年6月)と、石丸さんとネパールのかかわりを描いた「ヒマラヤでまってるよ」(今年11月)だ。
石丸さんが文章、子供たちが絵を担当、製本はネパールで行った。完成した絵本は、講演した学校などに配っている。
■新たな課題
学校の建設支援を続ける中で、新たな課題も見つかっている。ネパールには給食がなく、子供たちは昼から集中力が欠けていたことがわかり、5年前からは一部の小学校で給食を始めた。だが、給食費を集めることが難しく、現在は弁当箱と水筒を支給する取り組みに力を入れている。
22年には、孤児のためのケアハウスも建設。現在、約50人の子供たちが暮らしている。だが、ケアハウスを18歳で出た後、子供たちがどうやって自立するかが大きな課題だという。
「目指すのは子供たちの自立。そのために教育が必要」。石丸さんは力を込める。来春にも再びネパールを訪れ、新たな8校の完成式に参加する予定だ。
50校目の完成式典後、石丸さんはのんちゃんテンプルを訪れ、伸子さんにこう語りかけた。「ネパールで見守ってくれると思うと力がわく。体力はなくなってきたが、続けられるだけ続けるよ」
(産経新聞 2013年12月8日 18:00)
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★ヒマラヤ小学校 来春10周年 吉岡さん、
交流訴え 愛媛
◆産経新聞 2013年11月21日 02:05
■「学校で学べることに感謝を」
日本の高校生らの募金をもとにつくられたネパールの福祉学校「ヒマラヤ小学校」のマネジャーを務める松山市出身の吉岡大祐さん(37)が20日、愛媛県庁を訪れ、中村時広知事にこれまでの活動を報告した。
ネパールに語学留学中、高齢患者への無料鍼灸(しんきゅう)治療を行ったことなどがきっかけとなり、子供たちの就学支援を行うようになった吉岡さん。平成16年にプロスキーヤーの三浦雄一郎氏らの協力を得て、貧しい家庭の子供たちが無償で学べる同校を創設、子供たちが自立を目指せる学校作りに取り組んでいる。
この日は、中村知事に来春で開校10周年を迎えることを報告。2年前から、同校と西予市立野村小学校の児童が、絵などを通した交流を続けていることについて、「おかげさまで交流が少しずつ深まってきました」と感謝した。
報告後、吉岡さんは「愛媛とネパールの交流が深まれば、学校に通うことなど当たり前のことに感謝できる気持ちを学ぶことができる。感謝することが幸せにつながるということを、愛媛の子供たちに気づいてもらいたい」と話した。
吉岡さんは、県内の小学校などでネパールの現状を伝える活動も積極的に行っている。21日には、野村小で開かれる教員の研究発表会で講師を務めるといい、「人と人との交流がいかに大切かを伝え、子供たちが世界に目を向けるきっかけをつくれたら」と意気込みを語った。
(産経新聞 2013年11月21日)
◆ヨハネによる福音書/ 4章 21節
イエスは言われた。
「婦人よ、わたしを信じなさい。
あなたがたが、
この山でもエルサレムでもない所で、
父を礼拝する時が来る。」
【今日の御言葉】