地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

慕うもの 09/08/15

2009-08-15 15:00:29 | 今日の御言葉 (365日 前編)
いちじくの木からひとつの
教訓を学びとりなさい。

枝が柔らかくなり、
葉が出るようになると、
あなたがたは夏が近いことを
知る。

(『マタイによる福音書』24章32節)



遠く離れた家族を慕うのは、そこに

「他のために生きる愛」があるからである。




今日のみことば 09/08/15

2009-08-15 14:27:25 | 今日の御言葉 (365日 前編)
わたしたちの主イエスを死者の中から
復活させた方を信じれば、

わたしたちも義と認められます。

(『ローマの信徒への手紙』4章24節)


天のお父様!
日本の地をこよなく愛する
この幼い群を導いてください。

あなたの愛なくしては
この地に自由と平和を
もたらすことはできません。

すべての人々の心の中に
愛が広がることを願う
この小さな群を
あなたの手で守って下さい。





今日のみことば 09/08/13

2009-08-13 16:25:01 | 今日の御言葉 (365日 前編)
愛は、
すべてを完成させるきずなです。

(『コロサイの信徒への手紙』3章14節)




家庭というのは、人類愛を学び教える学校です。
父母の温かい愛を受けて育った子供は、
外に出ていけば、家で学んだとおりに、
困っている人を愛の心で助けるでしょう。

また、兄弟姉妹の間で
深い愛を分かち合って育った子供は、
社会に出て隣人と
厚い情を分かち合って生きていくでしょう。

愛で養育された人は、
世の中のどんな人でも家族のように思うものです。
自分の家族のように思って人に仕え、
人に自分のものを分けてあげる愛の心は、
真の家庭から始まります。

家庭が大切なのには、もう一つ理由があります。

家庭は世界に拡大するから大切なのです。
真の家庭は、真の社会、真の国家、
真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。

父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。
しかし、単純に自分の子供にばかり
食べさせようと働くのではありません。
あふれるほど愛を受けた人は、
人のために、神様のために働くことができます。


家庭は、あふれるほど愛を与え、
また与える所です。
家庭は、家族を包む囲いであって、
愛を閉じ込める所ではありません。
かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、
絶えず流れていかなければなりません。

いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。
神様から受けたものだからです。
神様から与えらるた愛は、
いくら掘り出しても底が見えない愛、
いや掘れば掘るほどもっと澄んだ泉があふれ出てくる、
そのような愛です。

その愛を受けて育った人は、
誰でも真の人生を生きることができるのです。



今日のみことば 09/08/12

2009-08-12 05:55:09 | 今日の御言葉 (365日 前編)
また、あなたがたの五体を
不義のための道具として
罪に任せてはなりません。

かえって、
自分自身を死者の中から
生き返った者として神に献げ、

また、五体を義のための
道具として神に献げなさい。

(『ローマの信徒への手紙』6章13節)


どこから
愛を始めたらいいでしょうか。
それは家庭からです。

どのように
愛し始めたらいいのでしょうか。

それは祈りによってです。

祈りを生活のなかに
取り入れることによってです。

祈りはいつもわたしたちに
清いこころを与えてくれます。

そして、清いこころは
神を見ることができるのです。

(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)


今日のみことば 09/08/11

2009-08-11 17:07:35 | 今日の御言葉 (365日 前編)
今日は生えていて、
明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、

神はこのように装ってくださる。

(まして、
あなたがたにはなおさらのことではないか、
信仰の薄い者たちよ。)

(『マタイによる福音書』6章30節)



神様のおられるところなら
どこでも私の心は住めます。

神様が住んでおられるところが、
私の心の住み家なのです。

神様の愛があるところに
私の心は落ち着くことができるのです。

私たちがどこに住もうとも
神様を中心とするならば、
そこが私たちの心の安住の地なのです。

(R・S・M)


愛国 09/08/10

2009-08-10 18:39:12 | 今日のみ言葉(天国編)
何よりもまず、神の国と神の義を第一に求めなさい。

(そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。)

(『マタイによる福音書』 6章33節)


国を愛することのできない人々が、
天を愛することができますか。

国を愛することができない人は、
絶対に天を愛することはできません。




父母 09/08/09

2009-08-09 09:05:45 | 今日の御言葉 (365日 前編)
あなたがたは神に愛されている子供ですから、
神に倣う者となりなさい。

(『エフェソの信徒への手紙』5章1節)

父母の心情は
息子が自分より素晴らしくなることを
願うことであり、
神様も人類の父母でいらっしゃるので
ご自分がつくられた人間が
よりよくなることを願われる。

(R・S・M)


赦免 09/08/08

2009-08-08 18:11:13 | 今日の御言葉 (365日 前編)
だから、言っておく。
この人が多くの罪を赦されたことは、
わたしに示した愛の大きさで分かる。

赦されることの少ない者は、愛することも少ない。

(『ルカによる福音書』7章47節)



まず知り合うこと
知り合えば
お互いに愛しあうようになるでしょう。
互いに愛しあえば
支えあうようになるでしょう。

もしほんとうに愛したいと願うなら
ゆるすことを知らなければなりません。

(マザーテレサ『愛のことば』より)


宿命 09/08/08

2009-08-08 09:36:46 | 今日の御言葉 (365日 前編)
これらのことを話したのは、
あなたがたがわたしによって
平和を得るためである。

あなたがたには世で苦難がある。
しかし、勇気を出しなさい。

わたしは既に世に勝っている。

(『ヨハネによる福音書』16章33節)



皆さんの胸の中には、
既に天命が根を下ろしている。
避けることのできない宿命の道である。

勇気を出して立ち上がり、叫びなさい。


唯一のこと 09/08/07

2009-08-07 18:48:42 | 今日の御言葉 (365日 前編)
わたしたちは、自分が死から命へと
移ったことを知っています。

兄弟を愛しているからです。

愛することのない者は、死にとどまったままです。

(『ヨハネの手紙一』3章14節)



死は、悲しいことではありません。

私たちが悲しむべき唯一のことは、
自分が聖なる者になっていないという
事実だけです。

(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)

解放

2009-08-06 16:29:02 | 今日のマザーテレサ
どんな国の人でも、
神を畏れて正しいことを行う人は、
神に受け入れられるのです。

(『使徒言行録』10章35節)
新約聖書 新共同訳


主よ、わたしは信じきっていました。
私の心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて、
本当に気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく
他人の中にいる自分を愛していた事実に。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。

主よ、私は信じきっていました。
自分が貧しいものであることを。
でも、胸に手を当ててみて
本当に気づかされました。
実は思い上がりとねたみのこころに
私がふくれあがっていたことを。

主よ、私が自分自身から解放されますように。

マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)


今日のみことば 09/08/03

2009-08-03 06:35:57 | 今日の御言葉 (365日 前編)
あなたがたのうちだれ一人、
罪に惑わされてかたくなにならないように、
「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――

(『ヘブライ人への手紙』3章13節)



神さまだけが、私たちの真の必要をご存知です。

(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)



神は、許しを惜しまない御父です。
神の憐れみは、私たちの罪よりも大きいのです。
神は私たちの罪を許してくださいます―

でも、私たちは罪を繰り返し犯さないように
努力しましょう。

(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)

優しさ 09/08/02

2009-08-02 08:51:42 | 今日の御言葉 (365日 前編)
それとも、聖書に次のように書かれているのは
意味がないと思うのですか。

「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、
ねたむほどに深く愛しておられ、
もっと豊かな恵みをくださる。」

それで、こう書かれています。

「神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる。」

(『ヤコブの手紙』4章6節)



貧しい人々は、
私たちのお情けを必要としていません。

彼らが求めているのは、
私たちの愛と優しさなのです。


(マザーテレサ『愛と祈りのことば』より)

今日のみことば 09/08/01

2009-08-01 06:04:59 | 今日の御言葉 (365日 前編)
正しい者は信仰によって生きる

(『ローマの信徒への手紙』1章17節)



他人から何と言われようと
他人が何と思おうと
けっしてあきらめることなく
自分が正しいと信じる道を歩む続けると
決意するならば、
その瞬間
皆さんは信仰者として
最高の基準に到達することができます。
その基準に到達した時に
神様は無条件で皆さんを
信頼することができるのです。

だから、孤独の時、さびしい時こそ
神様のことを思いなさい。

神様を信じて
けっして希望を失わないこと、
これが信仰者にとって大切なことです。

(R・S・M)