こんにちわ~^0^
ぷち旅~2011GW後編*9 でぇす!
(Reiさん~ピンクの月読-tsukuyomi-のご紹介は明日ね~
リクエストありがとう!ちょっと待っててねヾ(*´∀`)ノ)
新潟に向かう途中、とんでもないアクシデントに遭遇し、
あえなく旅を断念することになってしまいましたが、レンタカーでちょいと寄り道しちゃうぞぅ~! と行き先変更!
奈良・鎌倉の大仏さんに続く日本三大大仏として
知る人ぞ知る大仏サマのある『高岡』という街へやってきました。
ちなみに、この富山県、大仏さん建造が流行った時期があったのでしょうか、この高岡大仏の他に、小杉大仏(射水市小杉町・蓮王寺)、庄川大仏(砺波市庄川町・光照寺)があるらしいんです。
富山三大大仏(越中三大大仏)と呼ばれているそうな。。
入園料とかは不要です。
奥の方に大仏サマが見えていますね。
さて、ココの大仏サマはオトコマエでしょうか??
歌人 与謝野晶子は鎌倉の大仏サマをオトコマエやと誉め讃えた詩を歌っておられましたが、、
与謝野晶子女史の美的感覚はホイミとちょいと違うらしい。。と、鎌倉を訪れた時思ったのですがね^^;あはは;
どれどれ( ̄ー ̄*)
|・ω・)ジー
ふむふむ。。( ̄ー ̄;
(=ΦωΦ=) ←目が合って離れられニャイ(´・ω・`)
ぷぷっ。。σ(=^‥^=)
え? にゃんで笑ったかって?
だってぇぇ~~~( ̄▽ ̄;)ゞ
口髭がキント雲で、あご髭が鳴門の渦なんだも~~~ん((o≧▽≦)o バンバン!
天パかしら~((((((≧∇≦))))))
ごめ~~んm(_ _"m)ペコリ 笑っちゃイカンて思ったら余計笑っちまって~
大仏サマに叱られちゃいそ~(; ̄ー ̄A
鎌倉の大仏サマよりも好感度のあるお顔でしたゎ^^
作った人。。グッジョブ
愛嬌をプラスしてくれて( ̄∀ ̄*)サンキュ
で、与謝野晶子女史が鎌倉の大仏サマを誉めた後で、こちらの大仏サマにも会いに来たらしいんですが、
その際、鎌倉の大仏サマよりもオトコマエと言ったそうで。。
あらら・・鎌倉の大仏サマ、お可哀想に。。
確かに、悶悶と瞑想されている鎌倉の大仏サマに比べると、
半目開けて、見つめ合ってしまえちゃう こちらの大仏サマの方が、
婦女子は好感度がUPしちゃうかな。。( ̄∀ ̄*)b
端正なお顔立ちでおっとりした雰囲気ね。
このおっとりしたお顔立ちの大仏サマ、意外とご苦労された歴史が・・
1221年 源 義勝によって約5mの木造大仏として誕生してから、
3度も火災で天に強制送還、4度目の正直でこちらに鎮座されていらっしゃいます。
全体の高さ 15m85cm(うち、坐像の高さ 7m43cm)
日本の3番目に大きな大仏とされておりますが、
実は3番目を岐阜大仏(岐阜県岐阜市、正法寺)も主張しているとか。。
(アタシャ、どっちでも良いのだが。。笑)
とにかく、焼けちゃっても大丈夫な仏像を作ろうっちゅうことで、
1933年に今のこの大仏サマが完成したのだそうです。
また、背中の後光(光背という※)のような輪っかは、
1958年に後付けされたもよう。
ボランティア(?)で、おじさんが数人いらして、
これらの説明や当時の背景を踏まえながらの案内をしてくれていました。
※おじさんの案内では、仏様の後ろの丸いものは仏様の『徳』の輝きを表しているもので、「光背」と言い、その説明を聞きかじったのですが、、 光が闇を照らして闇を滅するように、仏様の智慧は無知や迷いを亡ぼすところから光に例えられ、 光明には智光(智慧の輝き)と、身光(外に光となってあらわれる徳の輝き)とあり、この光明を形に表現したものが「光背」でして、 光背は、仏様の頭の後ろにある円型のものと、身のまわりの形をしたものと二つが組み合わさって一つの光背を形作り、これらは智光と身光とをそれぞれ表しているのだとか。。
台座の中へ入れるので、入ってみましょう^^
まず、入り口には、なで佛(仏)というお地蔵さんがいらっしゃり、頭をナデナデしときました。(頭が良くなったかなぁ。。^^;)
奥に進むと、大きな真っ黒い頭がドーン!
1900年に火災に遭い、焼け残った頭の部分なのだそうです。
今より、面長で、女性っぽいお顔立ちだったようですね。
(日本人離れしたお顔ですね)
光背は、小さな仏様で表されています。
小さな銅鐘が下げられており、それぞれ、生まれた干支が記されており、それを鳴らしてお祈りするのだそうで、、
ホイミも鳴らしてみました。
チーン!という音を期待したのですが、ゴンっと空振りしたような鈍い音を出してしまいました。 ( ̄▽ ̄;)ゞあれれ~;;;
ど~してかしら~~~(((((((o≧▽≦)o イヤ~ン!
後からいい音をたたき出しているカップルを見ていると・・『壁』・ω・)チラ
鐘の上から叩いたのは大きなマチガイだったようです^^;
鐘の内側を叩くようです^^;;;
無知でした・・ m(_ _"m)シュン
外に出ますと、足下には可憐なスズランやたんぽぽが^^
おっと!忘れちゃイケナイ、大仏サマの後ろ姿^w^
釣り鐘みたいね。 腰の辺りには鎌倉の大仏サマと同様の観音開きの窓がありました。
お腹が空いたね~
高岡大仏コロッケ、今度こそ食べたい!!
(大仏サマのお膝元では売っていません。笑)
食べに行こう~~~っ!!!
って事で、今日は、ここまででっス( ̄∀ ̄*)イヒッ
ぷち旅~2011GW後編*9 でぇす!
(Reiさん~ピンクの月読-tsukuyomi-のご紹介は明日ね~
リクエストありがとう!ちょっと待っててねヾ(*´∀`)ノ)
新潟に向かう途中、とんでもないアクシデントに遭遇し、
あえなく旅を断念することになってしまいましたが、レンタカーでちょいと寄り道しちゃうぞぅ~! と行き先変更!
奈良・鎌倉の大仏さんに続く日本三大大仏として
知る人ぞ知る大仏サマのある『高岡』という街へやってきました。
ちなみに、この富山県、大仏さん建造が流行った時期があったのでしょうか、この高岡大仏の他に、小杉大仏(射水市小杉町・蓮王寺)、庄川大仏(砺波市庄川町・光照寺)があるらしいんです。
富山三大大仏(越中三大大仏)と呼ばれているそうな。。
入園料とかは不要です。
奥の方に大仏サマが見えていますね。
さて、ココの大仏サマはオトコマエでしょうか??
歌人 与謝野晶子は鎌倉の大仏サマをオトコマエやと誉め讃えた詩を歌っておられましたが、、
与謝野晶子女史の美的感覚はホイミとちょいと違うらしい。。と、鎌倉を訪れた時思ったのですがね^^;あはは;
どれどれ( ̄ー ̄*)
|・ω・)ジー
ふむふむ。。( ̄ー ̄;
(=ΦωΦ=) ←目が合って離れられニャイ(´・ω・`)
ぷぷっ。。σ(=^‥^=)
え? にゃんで笑ったかって?
だってぇぇ~~~( ̄▽ ̄;)ゞ
口髭がキント雲で、あご髭が鳴門の渦なんだも~~~ん((o≧▽≦)o バンバン!
天パかしら~((((((≧∇≦))))))
ごめ~~んm(_ _"m)ペコリ 笑っちゃイカンて思ったら余計笑っちまって~
大仏サマに叱られちゃいそ~(; ̄ー ̄A
鎌倉の大仏サマよりも好感度のあるお顔でしたゎ^^
作った人。。グッジョブ
愛嬌をプラスしてくれて( ̄∀ ̄*)サンキュ
で、与謝野晶子女史が鎌倉の大仏サマを誉めた後で、こちらの大仏サマにも会いに来たらしいんですが、
その際、鎌倉の大仏サマよりもオトコマエと言ったそうで。。
あらら・・鎌倉の大仏サマ、お可哀想に。。
確かに、悶悶と瞑想されている鎌倉の大仏サマに比べると、
半目開けて、見つめ合ってしまえちゃう こちらの大仏サマの方が、
婦女子は好感度がUPしちゃうかな。。( ̄∀ ̄*)b
端正なお顔立ちでおっとりした雰囲気ね。
このおっとりしたお顔立ちの大仏サマ、意外とご苦労された歴史が・・
1221年 源 義勝によって約5mの木造大仏として誕生してから、
3度も火災で天に強制送還、4度目の正直でこちらに鎮座されていらっしゃいます。
全体の高さ 15m85cm(うち、坐像の高さ 7m43cm)
日本の3番目に大きな大仏とされておりますが、
実は3番目を岐阜大仏(岐阜県岐阜市、正法寺)も主張しているとか。。
(アタシャ、どっちでも良いのだが。。笑)
とにかく、焼けちゃっても大丈夫な仏像を作ろうっちゅうことで、
1933年に今のこの大仏サマが完成したのだそうです。
また、背中の後光(光背という※)のような輪っかは、
1958年に後付けされたもよう。
ボランティア(?)で、おじさんが数人いらして、
これらの説明や当時の背景を踏まえながらの案内をしてくれていました。
※おじさんの案内では、仏様の後ろの丸いものは仏様の『徳』の輝きを表しているもので、「光背」と言い、その説明を聞きかじったのですが、、 光が闇を照らして闇を滅するように、仏様の智慧は無知や迷いを亡ぼすところから光に例えられ、 光明には智光(智慧の輝き)と、身光(外に光となってあらわれる徳の輝き)とあり、この光明を形に表現したものが「光背」でして、 光背は、仏様の頭の後ろにある円型のものと、身のまわりの形をしたものと二つが組み合わさって一つの光背を形作り、これらは智光と身光とをそれぞれ表しているのだとか。。
台座の中へ入れるので、入ってみましょう^^
まず、入り口には、なで佛(仏)というお地蔵さんがいらっしゃり、頭をナデナデしときました。(頭が良くなったかなぁ。。^^;)
奥に進むと、大きな真っ黒い頭がドーン!
1900年に火災に遭い、焼け残った頭の部分なのだそうです。
今より、面長で、女性っぽいお顔立ちだったようですね。
(日本人離れしたお顔ですね)
光背は、小さな仏様で表されています。
小さな銅鐘が下げられており、それぞれ、生まれた干支が記されており、それを鳴らしてお祈りするのだそうで、、
ホイミも鳴らしてみました。
チーン!という音を期待したのですが、ゴンっと空振りしたような鈍い音を出してしまいました。 ( ̄▽ ̄;)ゞあれれ~;;;
ど~してかしら~~~(((((((o≧▽≦)o イヤ~ン!
後からいい音をたたき出しているカップルを見ていると・・『壁』・ω・)チラ
鐘の上から叩いたのは大きなマチガイだったようです^^;
鐘の内側を叩くようです^^;;;
無知でした・・ m(_ _"m)シュン
外に出ますと、足下には可憐なスズランやたんぽぽが^^
おっと!忘れちゃイケナイ、大仏サマの後ろ姿^w^
釣り鐘みたいね。 腰の辺りには鎌倉の大仏サマと同様の観音開きの窓がありました。
お腹が空いたね~
高岡大仏コロッケ、今度こそ食べたい!!
(大仏サマのお膝元では売っていません。笑)
食べに行こう~~~っ!!!
って事で、今日は、ここまででっス( ̄∀ ̄*)イヒッ