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小説『深尾くれない』

2023年10月24日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

鳥取藩に実在した藩士、
深尾角馬(1631- 1682)の物語。
今も鳥取県に伝わる雖井蛙流(せいありゅう)平法の創始者。
丹石流、去水流、東軍流、卜伝流、神道流、新陰流、タイ捨流、岩流、戸田流など
諸流を修めた深尾角馬が、
「井の中の蛙と雖も大海を知らざるべけんや」との意で
「雖井蛙流平法」と称して創始した。
兵法ではなく平法としたのは、
武士が平素から稽古すべき心得を説いているからであるという。
現在は鳥取市指定無形文化財。

本書での深尾角馬は、
武士、剣士としての矜持に極端にこだわる人物像として描かれている。
藩主・池田光仲は「大蔵殿」と敬って呼ばれていた。
名君のもと、角馬は、
馬回り組の藩士であると共に、
剣法指南役として、道場で日々教え、
藩主からのおぼえもめでたく、
弟子達には慕われていた。
剣を持って立身出世するチャンスのなくなった時代に、
剣に生き、剣に死んだ。
極めて短躯だったことがコンプレックスとなって、剣に精進、
反骨精神に富んでいた。
剣以外には、牡丹造りが趣味で、
彼の丹精した牡丹は深尾紅(ふかおくれない)と人々に呼ばれた。
しかし、苛烈な性格で、
不貞をはたらいた妻を密通者と共に斬り捨て、
それが二度に及ぶ。
最後は、一人娘の縁談がこじれたことから、
村人3人を斬殺して、切腹に処される。
(この事件は、鳥取藩史にも記されているという)

その角馬の生涯を2つの章に分け、
前半は後妻・かのの視点から、
後半は娘・ふきの視点から描く。

武士としての矜持のこだわりの例をあげると、
家老から牡丹の株を所望された時、
差し上げれば追従と思われる、
そう思われるのが死ぬほどいやだから、と断ってている。
城下を離れる時、空き家となる家を他人に貸し、
家賃を取ったらどうかという勧めに対し、
「侍が己れの家屋敷を他人に貸して銭儲けを企むなど、
そのような汚い真似はできん」と断っている。
その筋から言えば、
妻が不倫をした時、
不倫相手と共に一刀のもとに斬るのは、
当然のことだったのだろう。

武士として武道に励むあまり、
妻への配慮には欠けていたが、
昔の日本人にはよくあるタイプ。
武士道を極めようと精進を重ね、
武骨で融通のきかない男。
妻を愛していないわけではないが、
愛情を示す言葉を何ひとつ掛けない。
それでありながら、牡丹の世話ばかりする男に
妻は不満を抱き、他の男との情事を重ねてしまう。
武骨で真っ直ぐであるために周囲や妻から誤解された男と、
そんな男の妻となった女性の悲劇が描かれている。

一人娘のふきも、普通の女子とは違う奔放な性格の持ち主だったが、
母の死の秘密を次第に知ってしまう。
そして、知った時に父に言う言葉。
「お父様、後生だけえ、うちを斬らんといて」は切ない。
また、ふきは、父の姿を見つつ、
お父様は、本当は寂しい人なのではないか
と気付く。

空き家になった家を再訪した角馬が、
それでも咲いている牡丹を見つめるところ、
最後は、ふきと共に、
全ての牡丹を引き抜いてしまうところは胸を撃つ。

弟子に切腹の作法を説き、
堂々と死ぬ切腹の場面はやはり、涙を誘う。
そして、その場で立ち会った人間から
角馬の死にざまを大蔵殿が聞いて涙を流す場面も心に残る。

今の物差しでは、
よき夫とはいえず、
身勝手な姿は批判されるかもしれない。
今は異なる価値観に生きる日本人だが、
ある歴史的時点で、
その時の武士の在り方を懸命に生きた一人の男の姿を描いて、
胸に残る作品である。

市井ものが得意の宇江佐真理の異色の作品。

 



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