空飛ぶ自由人・2

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NHK放送博物館

2024年11月21日 23時00分00秒 | 名所めぐり

前回の名所めぐり、愛宕神社のすぐ前にあるのが


NHK放送博物館

その名のとおり、
日本放送協会 (NHK)が運営する
放送に関する博物館。
1956年に開館し、
1968年、4楷建てビルとしてリニューアル。

なぜここにあるかというと、
ここ愛宕山がNHK発祥の地だからです。


前回の名所めぐりで紹介したとおり、
愛宕山は、東京で自然に存在する山で一番高いところ。
そこにラジオのアンテナを立てて放送したわけです。

入場無料。

入口で確認すると、
撮影は自由だが、
映像素材は撮影禁止という話でした。

放送に必要だった、
マイクやカメラ、受像機などが展示されています。

ラジオで始まった放送も、
テレビになり、
白黒からカラーへ、
ステレオ放送、ハイビジョン、デジタル化、衛星放送と
進化の過程が見られます。

昭和60年代の人が今のハイビジョンを見たら、驚くでしょう。

ラジオの本放送の開始は1925年7月12日、
テレビの本放送は1953年2月1日。

中2階は8Kシアターと体験スタジオ

海中との合成

ご覧のとおり。(顔の部分は加工。お面ではありません。)

バックは青。
最近緑のスクリーンの前で撮影することが多いようですが、
と訊くと、
ブルースクリーンの場合、
外人の目が青いので、抜けてしまうから、
グリーンを使うことが増えたそうです。
理論的には赤でも可能。
でも、そうすると、女性の唇がみんな抜けてしまいます。

ここはニューススタジオの体験コーナー

ご覧のとおり。

これも顔の部分は加工。

マジックミラーを使って、鏡に原稿を反射。
意外とアナログですが、
アテウンサーが書き込みをするので、
この方法がいいのだそうです。
アメリカで見たのは、カメラの前面ガラスに文字が出ました。

2階はテーマゾーン。

紅白歌合戦の優勝旗。

ドラマのセットの模型。

風の音を作る装置。

こちらは波の音。

3階は歴史。

初めてのテレビ映像実験。イロハの「イ」。

玉音放送

この録音盤の奪い合いがありました。

録音機の様々。

昔、秋葉原で番組の流出テープが売られていました。

こんなテレビも。

こういうテレビが茶の間に鎮座。

テレビ普及に貢献した街頭テレビ

ズームが出来る前は、レンズを切り換え。

当時の茶の間。

ビデオテープが登場。

その前に、相撲中継では「分解写真」というのがありました。

ビデオテープの編集機。

職人わざだったそうです。

今のハイビジョンカメラ。

4階はライブラリー

過去の映像素材が見られます。

ここで番組選択。

音楽番組を観ました。

昭和歌謡はやはりいい。
なぜなら、プロの作詞家、プロの作曲家によるものだからです。
その後、若者たちの自分の曲で、
過剰な言葉、メロディー不在の
石原慎太郎によれば、
「へたくそな日記みたいな歌」がはびこりました。

帰りは、この階段を下りて、

トンネルの脇に。

ちょっとした楽しいひと時でした。

 


小説『星を編む』

2024年11月19日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

第20回本屋大賞受賞作である
凪良ゆう「汝、星のごとく」続編
というか、スピンオフのような、
アナザーストーリー
2024年本屋大賞にもノミネート。

3つの部分で成っており、
「小説現代」に半年ほどの間を置いて掲載された。

「汝、星のごとく」の簡単なあらすじを紹介する。

瀬戸内の島で、17歳の高校生の男女が出会う。
井上暁海(あきみ)と青埜櫂(あおのかい)。
二人は、家に問題を抱えていたという共通点から接近する。
高校を卒業した櫂は、友人の尚人と組んで、
漫画家を目指して東京へ上京する。
暁海も一緒に行くはずだったが、
母親を捨てられず、島に残る。
櫂の原作、尚人の作画のコンビは、
編集者の植木の目に止まり、
連載開始、単行本も出、
人気漫画家として、
想像もしなかった大金が入って来る。
暁海が東京を訪ねる形で遠距離恋愛は続くが、
次第に二人の間に溝が出来る。
東京へ行き変わってしまった櫂。
島と母に縛られている暁海。
暁海は父親の恋人の瞳子から指導を受け、
刺繍作家として一人立ちできるが、
櫂の方は、
尚人が高校生男子と付き合っていたことが
週刊誌に暴露され、
連載も休止、単行本も廃盤となる。
櫂は酒に溺れ、病気になる・・・

私の2023年2月24日のブログで、
「久しぶりに恋愛小説で心が震えた」と書いた作品。

本書の紹介に戻る。

「春に翔ぶ」は、
櫂と暁海の高校教師であり、
暁海の夫にもなる北原先生の若い頃の話
経済的理由から研究生活を諦めて、
高校教師になった北原が
教え子の明日見菜々の
人生の転換点に関わってしまう。
と同時に
そのカードを切った瞬間、
ぼくはそれまでの人生のレールから外れた。
という、北原の人生の転換点ともなり、
シングルファーザーになった秘密が明らかになる。
お人好しの父母との関係、
研究生活での事件、
等も描かれ、
これだけで、人生の重さを感じさせる
見事な短編となっている。

「星を編む」は、掲載時、読んでいたが、
こうして一冊にまとまると、感慨深いものがある。
櫂の書いた小説を世に送り出するにために
尽力する二階堂絵理と、
櫂と尚人の未完の作品を
完結させるために奔走する植木という
二人の編集者の姿を描く。
特に、植木の場合は、
櫂と尚人が悪意の週刊誌報道で
世間から叩かれた時、
守ってやれなかった
編集者としての自分に対する
悔恨の念で突き進む。
また、二階堂絵理の女性ゆえの
出版業界での風当たりの強さも描かれる。
編集者と作者が二人三脚で
本を世に送り出す姿と
「作家と作家の表現を護るのが
編集者の仕事だ」
という矜持が胸を打つ。

「波を渡る」は、
北原先生と娘・結、暁海の「疑似家庭」のその後を描き、
時系列的に見て、
「汝、星のごとく」の続編と言えるのは、この作品。
北原先生の「浮気」の真相が明かされ、
結の結婚と離婚、
その後の経営者としての成功まで描かれる。
また、北原と暁海が本当の夫婦になるまでの過程が描かれる。
いくつもの人生が織りなす糸が
編まれて、一つの絵柄になり、
繋がる未来と新たな愛の形が描かれ、
感動的だ。

印象的な記述

雨降りではないが、
晴れ渡ってもいない。
年齢を重ねていくほど、
日々はそういうものになっていく。

置かれた場所で咲くことを美徳とするこの国の文化。
身の程をわきまえ、謙虚で辛抱強くあれ。
それが真の美しさというものであるという無形の圧。
けれど置かれた場所で咲ききれない花も
この世にはある。

けれど今の時代、
善であることと弱者であることは、
ときに同じ意味を持つ。
天秤はいつだって不条理に振れ、
与えた情けの分まで
正しく秤られることは稀だ。
父と母が他に分け与えた情けは
返ってこなかった。
盾を持たない善人として
搾取されただけだった。

(母親が)体力もないし、
残り時間も少ないし、
できるだけ身軽にいきたいのだという。
どこへいくのかは訊かなかった。
わたしたちはみな、
そのときのために
荷物を下ろしていく。
軽やかに波間を泳ぎ、
どこか遠い果てにある
約束の島へと辿り着くために。
                                        凪良ゆうは、
やはり只者ではない


映画『グラディエーターⅡ』

2024年11月18日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

史劇の金字塔、「グラディエーター」の続編
前作は、2000年に公開され、
第73回アカデミー賞で、
12部門にノミネートされ、
作品賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、
衣裳デザイン賞、録音賞、視覚効果賞
5部門で受賞した、名作。

24年の歳月を経ての続編製作だが、
監督は前作と同じリドリー・スコットだから、
正統的な続編と言える。
前作の15年後のローマ帝国に設定されている。

北アフリカのヌミディアで、
農民として、平穏な暮らしを送っていたルシアスは、
将軍アカシウス率いるローマ帝国軍の侵攻により、
戦いの中、愛する妻を殺され、捕虜になる。
格闘の才能と内面に燃える怒りを見込まれて、
奴隷商人・マクリヌスに買われ、
剣闘士《グラディエーター》としてローマへ赴き、
円形闘技場<コロセウム>で闘うことになる。
ルシアスの活躍に、
ローマ市民の賞賛を得ていくが、
ルシアスの目的は将軍アカシウスへの復讐だった。
その頃、ローマ帝国は、
ゲタ帝とカラカラ帝という
双子の皇帝の独裁下にあり、
元老院は無力化していた。
それを覆す動きに巻き込まれて・・・

冒頭、タイトルバックに
前作の場面が絵として流れ、
音楽と共にワクワク感が高まる。
そして、火炎球と弓矢が飛び交う圧巻の戦争描写、
ローマの町の再現、コロセウムでの剣闘、疑似海戦と、
目を見張る光景が続く。
今では金がかかるせいか、
あまり作られなくなった歴史劇だが、
「ベン・ハー」「十戒」「スパルタカス」「エル・シド」などを
遥かに凌駕する映像が続出する。
前作でも、コロセウムの描写はCG合成で、
映画の表現に革新をもたらし、
アカデミー賞視覚効果賞受賞も納得の出來だったが、
24年前より進化したCGにより、
更に豊富な映像がスケールアップしており、
特に、コロセウムのアリーナを水で満たした
海戦シーンは(現実にはあり得ないが)新機軸で、
なにしろ、水の中にサメを放って、
落下した戦士を食いちぎるというのだ。

そういう技術的なものはさておき、
どうしても前作と比較されてしまうのは、
続編の宿命。
まず、捕らわれた主人公が
闘争能力を買われてグラディエーターになり、
ローマの競技場で自由を目指す、
というのは、前作の踏襲で新味がない。
敵役が将軍というのも的外れ。
前作の主人公・マキシマス将軍同様、
職務を忠実に果たしただけで、
裏には皇帝の存在がある。
その皇帝も双子の若い皇帝で、
狂気をはらんだ存在。
というか、軽い青年だ。
前作のコモドゥスのような、
歪んだ性格で、父親の信頼を受けられず苦悩する、
人間味のある存在ではない。
ホアキン・フェニックスの好演によるものでもあるが) 
ルシアスの出生にまつわる因縁物語が
ドラマを支えるものとなっているが、
予告編や公式ホームページの相関図で、
それを明かしているのはいかがなものか。
私は知らないで観たので、
途中で、もしかして、あの男は・・・
という驚きがあった。
観客のその楽しみを事前に奪うとは。

そして何より、前作と比べて足りないもの。
それは、ルシアスを演ずるポール・メスカル


「aftersunアフターサン」で
アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたこともある
実力ある俳優だが、
顔がこの役にふさわしくない。
前作のラッセル・クロウは、
その顔つきとたたずまいで、
悲劇と哀愁を感じさせてくれた。


賢帝アウレリウスから次の皇帝を嘱望されながら、
皇帝の嫡男コモドゥスの裏切りに遭い、
妻子を殺された悲劇の将軍、
「今生か来世で、その復讐を果たす」男の執念。
ラッセル・クロウはその姿かたちそのものが
観客に強く訴えかけていた。
それを継ぐ者の役は、特別な人間にしか演じられないが、
残念ながら、ポール・メスカルはその水準に到達していない。
かといって、誰なら、というのはないのだが。
「スター・ウォ-ズ」の再開三部作で鮮烈なデビューをした
デイジー・リドリーのような
誰が見ても適役、
どこでこの俳優を見つけて来た、と驚かせたような
新人俳優を発掘できなかったのか。

前作から継続出演しているのは、
コモドゥスの姉投のコニー・ニールセン
(他に元老院の議員)


そして、その夫のアカシウス将軍を演ずる
ペドロ・パスカルが精彩を放つ。
どこかで見た人、と思ったら、
「スター・ウォーズ」のスピン・オフ「マンダロリアン」で、
全編マスクをかぶって演じ、
各エピソードで1度だけ、
仮面を取って素顔をさらす、あの俳優だ。


奴隷商人はデンゼル・ワシントン

衣装、メイク、美術、照明、音響、
どれをとっても素晴らしい。
技術と金をかけ、その成果をあげている。
「グラディエーター」の続編としては、
そのスケールにおいて、満足した。

5 段階評価の「4」

拡大公開中。
アメリカ公開より1週間早く、
15日から日本で公開。

ところで、
「Ⅱ」の公開に合わせて、
WOWOWが前作の放送をしたので、
20年ぶりに再見。
歴史劇の頂点をなすストーリー作り、
豪華なセット、衣裳、
俳優の演技、
そしてリドリー・スコットの演出と、
素晴らしさを堪能。
音楽も最高だ。

途中、あれ、この曲は・・・
とひっかかり、
これは、ホルストやワーグナーではないか、
なぜ、この映画で使われたのか、
と思って、後で調べたら、

戦闘シーンの楽曲はホルストの組曲「惑星」の「火星」と酷似しており、
ホルスト財団から著作権侵害で訴訟を起こされた。
コモドゥスの凱旋式シーンに使用された曲は
ワーグナーの「ニーベルングの指環」と酷似している、
と指摘を受けたという。
ハンス・ジマーともしたことが、
盗作したとは思えず、
たまたま似たのだと思うが、
録音時、誰か指摘する人はいなかったのだろうか。

 


愛宕神社

2024年11月17日 23時00分00秒 | 名所めぐり

虎ノ門近辺巡り、
3か所目は愛宕神社(あたごじんじゃ)です。

それにしても、この防水桶の標識は何とかならないものか。

愛宕神社は、標高25.7メートルの愛宕山の山頂にあります。


愛宕山は、23区内で一番高い山
それより高い新宿区の箱根山(44.6メートル)は人工の山ですので、
自然の地形としては一番高い山ということになります。
江戸時代には、見晴らしの名所として、見物客で賑わいました。
今は高層ビルが林立して見えませんが、
当時は、山頂から東京湾や房総半島までを
見渡すことができたと言われています。

幕末に、
勝海舟と西郷隆盛が
愛宕山で会談し、
二人が江戸の街を見下ろして、
「戦火で消失させてしまうのは忍びない」と、
江戸城無血開城につなげたという逸話があります。

なお、愛宕山という地名は全国各地にあります。
ちなみに、落語の「愛宕山」の舞台は、京都。

入り口にある大鳥居

愛宕神社に登る石段は二つあり、
こちらは男坂86段。

こちらは傾斜がゆるやかな、女坂108段。

他に、車で行くことができる道と
エレベーターもあります。

こんな注意書きも。

男坂は神社創建時の姿が保たれ、
上り始めたら休むことが許されません。
約40度もの急勾配には、
踊り場がないため、
途中で足を止めて見上げると
上体を大きくそらす体勢になって、
転げ落ちそうな感覚に襲われるのです。

別名、「出世の石段」と呼ばれるのは、
次のような故事によります。

1634年2月25日(寛永11年1月28日)、
徳川幕府3代将軍家光が
増上寺への参拝の帰路に、
愛宕山から梅の香りがするのに気づきました。
(山上に梅が咲いているのを見て、という説もある。)
「誰か馬で石段を上り、梅を取ってくる者はいないか」
と命じたところ、
並みいる家来たちが尻込みする中、
四国丸亀藩士、曲垣(まがき)平九郎
愛馬とともに階段を上り、
梅を取って再び階段を下り、
梅を献上して、
馬術の名人として全国にその名を轟かせた、
という講談譚。

この故事にちなみ、
この階段を「出世の石段」と呼んで、
急な石段を登ると出世するという言い伝えがあり、
多くのビジネスマンが
この石段を登って神社にお参りに見えています。

しかし、実際の石段を見て、
ここを馬の蹄で登るのは至難のわざ、
後世の作り話だろうと思いましたが、
調べると、明治から昭和にかけて
3度の成功例があるといいます。

1例目は仙台藩で馬術指南役を務め、
廃藩後曲馬師をしていた石川清馬(せいま)。
師の四戸三平が挑み、果たせなかった
出世の石段登頂を1882年(明治15年)に成功させ、
これにより石川家は徳川慶喜より葵の紋の使用を許されました。

2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫
1925年(大正14年)11月8日、
愛馬平形の引退記念として挑戦し、
観衆が見守る中成功させました。
この模様は山頂の東京放送局によって中継され、
(日本初の生中継とされる)
昭和天皇の耳にも入り、
平形は陸軍騎兵学校の将校用乗馬として
使われ続けることとなりました。
この時、上りは1分ほどで駆け上がりましたが、
下りは45分を要したといいます。
上りより下りの方が恐怖感は大きいと思われますので、
馬が何度も立ち止まったのではないでしょうか。

3例目は馬術のスタントマン、渡辺隆馬
1982年(昭和57年)、
日本テレビの特別番組「史実に挑戦」において、
安全網や命綱、保護帽などの安全策を施した上で
32秒で登頂しました。

という成功例は伝わっているものの、
失敗例はそれより多いはず。
どんな悲惨な結果になったのでしょうか。

長い石段を上がると、
一の鳥居が迎えます。

境内には都会とは思えぬほど多くの木々が茂り、
四季折々の花々が咲き乱れます。

山の証しである三角点があります。

丹塗りの門「神門」。

江戸幕府ゆかりの印として、
葵の御紋が飾られています。

社殿

主祭神「火産霊命(ほむすびのみこと)」を祀ります。
火産霊命は別名「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」と言い、
「伊邪那美命(いざなみのみこと)」から最後に産まれた炎の神。
しかし炎の神ゆえに、
伊邪那美命に大やけどを負わせ、
これが原因で伊邪那美命は亡くなってしまいました。
怒った夫の「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」は、
自らの手で火産霊神の首を切り落とします。
しかしその血や体からは、
岩石の神、火の神、雷神、雨の神、水の神、
多くの山々の神々などが生まれました。
ご神徳は、鍛冶・土器・消防・防災などですが、
火はすべてを浄化して帳消しにすることから、
「祓いの神」としても信仰されています。


御社殿の中に入れる人は特別な人たちだけです。
奥には「本殿」がありますが、ふだん開かれることはありません。

手水舎

ここで手を口とを清めます。
手は行為の象徴。人のふるまいを清めます。
口はことばの象徴。人のことばを清めます。

招き石

この石を撫でると福が身に付くといわれており、

たくさんの人に撫でられたせいか、ツルツルになっています。

これは、山の印、三角点

将軍梅。

曲垣平九郎が手折った梅といわれています。

池には、鯉たちが泳いでいます。

3つの末社。

左から太郎坊社


福寿稲荷社


大黒天社

その他、境内にはいろいろなものがあります。

ところで、山と丘の違いですが、
国土地理院では,山の定義はしていません。
しかし、辞典等によりますと、
「山というのは、周りに比べて地面が盛り上がって高くなっているところ」
と言われています。(笑)
それでは丘と同じで、
山と丘の区別は明確ではありません。

国際連合環境計画においては、
高度が少なくとも2500メートル以上あるところ、
イギリスでは標高600メートル以上の高地などと決められています。
ブリタニカ百科事典では、
相対的に2,000 フィート(610メートル)の高さを持つものを山としています。
UIAA(国際的な山岳とクライミングの団体)の定める山の定義では、
標高が700メートル以上あり、
山頂に向かって急峻な傾斜を持つ陸地とされ、
標高が700メートル未満でも、
山脈の一部として形成されている場合、山に分類されます。

比較的日本の基準は甘く、
山と呼んでも、そうでないものが沢山あます。

日本で最も低い山は
大阪にある天保山(4.53メートル)でしたが、


今は仙台の日和山(3メートル)です。


日和山は元は標高が6メートルありましたが、
東日本大震災で削られて3メートルになったことで、
天保山より低くなってしまいました。
ただ、日和山も天保山も自然の山ではなく筑山(人工の山)ですので、
自然の山で1番低いのは徳島の弁天山(6.1メートル)です。

日和山に1位を譲った大阪の天保山ですが、
「三角点のある日本一低い山」としてなら、
日本一を維持しています。
三角点は正確な位置を求める測量をおこなうために、
国土地理院が作った位置の基準となる点のことで、
仙台の日和山には三角点がありません。
このため「正確な位置を測量している」山としては、
天保山が1番低いというわけです。

東京23区には標高50メートル以下の「山」が沢山あります。
青山、代官山、権現山
城南五山(島津山、池田山、御殿山、八ツ山、花房山)
千石山、飛鳥山などですが、
上野恩賜公園も「上野の山」と呼ばれています。

ただし、国土地理院の地形図に記載されている山は愛宕山だけ。
国土地理院の2万5千分の1地形図に
山の名前が記載されていることが、
一般的に山であるかどうかの識別に使われています。
このため、正式に
愛宕山が東京23区で最も高くて、
その上、最も低い山ということになります。

 


短編集『堪忍箱』

2024年11月15日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

宮部みゆきの初期短編集。
1996年単行本、2001年文庫化。
江戸下町に暮らす人々の
心の機微を描いた八つの短篇から成る。

「堪忍箱」
菓子問屋近江屋が火事で焼ける。
内儀のおつたは、
黒い漆塗りの文箱のようなものを取り出すために
火の中に戻って、死んだ。
それは、近江屋に代々伝わる、「堪忍箱」だった。
当主や内儀が、その箱に
何事かつぶやいていたのが目撃されている。
当主の孫娘・お駒は堪忍箱を受け継ぎ、
決して中を見ないと決心するが・・・

「かどわかし」
畳職人の蓑吉は、
見慣れない子供から
驚くような話をもちかけられる。
「おじさん、おいらをかどわかしちゃくれないかい?」
誘拐して、子供の父親から
百両という金を奪ってほしいというのだ。
身元を問うと、
名の知れた料理屋辰美屋の坊ちゃんだ。
蓑吉は辰美屋の畳替えをしたことがあり、
その子は、その時の蓑吉を見て、訪ねてきたらしい。
因果を含めて家に返したが、
それから半月後、
本当に子供の誘拐事件が起こる・・・
その背後には、親に顧みられなかった子供の
女中への思慕の念があった。

「敵持ち」
浪人の小坂井又四郎に、用心棒の話が持ち込まれる。
同じ長屋に住む加助の身辺警固だ。
加助は通いの飯屋で板前をしている。
その女将に横恋慕した男が
加助との仲を疑って、襲撃して来るというのだ。
事件は起こり、真相は分かるが、
その過程で、又四郎の素性と剣術の腕が明らかになる・・・

「十六夜髑髏」(いざよいどくろ)
ふきが奉公に上がった米屋の小原屋で
数々の異変が起こる。
そして、十六夜の月の夜、
初代が犯した罪の恨みが爆発する。
宮部みゆき得意の怪異談。

「お墓の下まで」
深川の長屋の差配人・市兵衛は、
身寄りの無い子供を引き取って育てている。
おのぶは、迷子で引き取られ、嫁に行って、子供も出来た。
藤太郎とおゆきは、親に捨てられて、市兵衛に引き取られた。
最近、おゆきのところに
母親が現れ、暮らせるようになったので
引き取りたいと言ってきた。
おゆきは藤太郎にそのことを伝えるが、
複雑な反応だった。
実は、おゆきと藤太郎には人に言えなる事情があった。
更におのぶにもわけがあり、
市兵衛夫婦にも、人に隠した秘密があった。
それぞれの人生の秘密を抱えて、
夜が更けていく・・・
3つの秘密が交錯する事情が切ない。

「謀りごと」
深川の丸源長屋の差配人・黒兵衛が
長屋の一室、浪人の香山又右衛門の部屋で亡くなった。
又右衛門の不在中の出来事だった。
長屋の住人が集まって、あれこれ話すが、
それぞれの黒兵衛像が食い違っていた。
やがて、又右衛門が戻り、
題名の「謀りごと」の意味が明らかになる・・

「てんびんばかり」
徳兵衛長屋で住むお吉とお美代は、
共に両親を亡くし、
姉妹のように暮らして来た。
一昨年、お美代は大黒屋の後添いに入った。
そのお美代が長屋に立ち寄ったという。
それを聞いたお吉の心の中に、
様々な複雑な思いが去来する。
嫉妬、捨てられたという恨み、
そして復讐。
幼なじみの片方が幸せになったのを祝えない
複雑な女心を描く。

「砂村新田」
眼病を患って仕事を失った父と母を助けるために、
通いの女中を始めたお春は、
その道すがら、一人の男に話しかけられる。
お春のことや、母親のお仲のことも知っているようなのだ。
その男のことを母親に聞きそびれていたが、
ある時、お仲が線香をあげに行ったことで、
男の死と母親との関わりをお春は知る。
それは、若い頃の母親に思いを寄せていた
男との過去の出来事だった。
その時、初めてお春は、
男がお春に託した
「おっかさんを大事にな。
 お春ちゃん、頼むよ」
という言葉の意味を知るのだった。

どの話を取っても、
ストーリーテラー宮部みゆきの面目躍如。
しかも、江戸時代の人々の思いを越えて、
今に生きる人間にも課せられた
様々な生きざまがあふれる。
今も昔も変わらず、
一人ひとりが、複雑な何かを抱えて、
悩み、苦しみ、あきらめ
それでも希望をもち生きて死んでいくのが分かる。

あやかしあり、落語のような人情ものあり、
深い人生の一コマを切り取った哀歓あり、
善人の心の中にも宿る闇あり。

特に「お墓の下まで」「てんびんばかり」「砂村新田」は
読後、良い話を読んだという感慨に浸り、
短編小説を読む醍醐味を与えてくれる。