七事式の“花月”について。
五人一組で札を回し、花の札をとった人はお点前し(お茶を点てる)、月の札をとった人はお茶を飲む。薄茶を基本として、炭付・濃茶付・香付・貴人清次付・壺荘付・結びふくさ・軸荘付・投げ込みなど付き物花月といわれるものもある。
掲頌は、「互換機鋒看子細/ごかんきほうしさいにみよ」
互換とは立場を自由に取り変わっても少しもこだわりのないこと、機鋒は鋭さ、看るは禅語では心の眼をもってみる、正しい眼で見るの意味。つまり、言葉通りに訳せば、亭主と客(もしくは弟子と師匠)とのやりとりを細かく鋭く心の眼で見よ、との教えになります。
茶事、茶会どこでも互換=互いのコミュニケーションが大切。自分のおかれた環境で精一杯の行動ができれば、どこにあっても、どんな境遇でも慌てふためくことはない、少しの隙もなく厳しく自己を見つめよとの教えだそうです。
花月では、折据が廻って札を取り、“月”の札ならすぐにお茶を頂き、“花”の札ならすぐに立って点前に向かう。どの札があたっても慌てず冷静な判断と対処という心の修練が花月之式には込められている。よい客ぶり、亭主ぶりを目指して互いに高めあう式とも言えるのではないでしょうか。
一見、決まりきった形をするだけのように感じられますが、決まった中できちんと役目を果たすのは実は難しいことと思います。私も最近でこそ“月”が当たればすぐににじり出て茶碗を取り込み、素早く飲んですぐにお茶碗を返す(折据が回ってきたらそれを優先する)、花が当たれば機敏に点前座に向かうことができるようになりましたが、ちょっとでもぼーっとしているとタイミングを逃すことがあります。そうすると、全体の流れに響き、他の方に迷惑をかけることになります。やはり緊張を緩めず、鋭く子細に全体を見渡して臨機応変に行動する必要があるということでしょう。
茶席だけでなく、普段の生活でも、互いのコミュニケーションの大切さ、社会の中での自分の役割を知り、見合った動きをすることは大切なこと。花月を通じて心を鍛錬し、茶道だけでなく様々な場面で活かしたいと思いました。
最初は皆でするゲームのように感じていた花月もその精神性を知り心構えが違ってきました。一回一回を大切に行いたいですね。
(参考)七事式の掲頌
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/cf8f0415f3fce4070df97ed92da8c88e
五人一組で札を回し、花の札をとった人はお点前し(お茶を点てる)、月の札をとった人はお茶を飲む。薄茶を基本として、炭付・濃茶付・香付・貴人清次付・壺荘付・結びふくさ・軸荘付・投げ込みなど付き物花月といわれるものもある。
掲頌は、「互換機鋒看子細/ごかんきほうしさいにみよ」
互換とは立場を自由に取り変わっても少しもこだわりのないこと、機鋒は鋭さ、看るは禅語では心の眼をもってみる、正しい眼で見るの意味。つまり、言葉通りに訳せば、亭主と客(もしくは弟子と師匠)とのやりとりを細かく鋭く心の眼で見よ、との教えになります。
茶事、茶会どこでも互換=互いのコミュニケーションが大切。自分のおかれた環境で精一杯の行動ができれば、どこにあっても、どんな境遇でも慌てふためくことはない、少しの隙もなく厳しく自己を見つめよとの教えだそうです。
花月では、折据が廻って札を取り、“月”の札ならすぐにお茶を頂き、“花”の札ならすぐに立って点前に向かう。どの札があたっても慌てず冷静な判断と対処という心の修練が花月之式には込められている。よい客ぶり、亭主ぶりを目指して互いに高めあう式とも言えるのではないでしょうか。
一見、決まりきった形をするだけのように感じられますが、決まった中できちんと役目を果たすのは実は難しいことと思います。私も最近でこそ“月”が当たればすぐににじり出て茶碗を取り込み、素早く飲んですぐにお茶碗を返す(折据が回ってきたらそれを優先する)、花が当たれば機敏に点前座に向かうことができるようになりましたが、ちょっとでもぼーっとしているとタイミングを逃すことがあります。そうすると、全体の流れに響き、他の方に迷惑をかけることになります。やはり緊張を緩めず、鋭く子細に全体を見渡して臨機応変に行動する必要があるということでしょう。
茶席だけでなく、普段の生活でも、互いのコミュニケーションの大切さ、社会の中での自分の役割を知り、見合った動きをすることは大切なこと。花月を通じて心を鍛錬し、茶道だけでなく様々な場面で活かしたいと思いました。
最初は皆でするゲームのように感じていた花月もその精神性を知り心構えが違ってきました。一回一回を大切に行いたいですね。
(参考)七事式の掲頌
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/cf8f0415f3fce4070df97ed92da8c88e
タイミングなど、私もまだまだです。
精神性に辿り着くには遠い道のりです。
花寄せ、いいですねー。本当に今は花が多いですもんね。次回の研究会にも入っています。
花月、確かに札交換しますね、一度もお点前に出てない人は?なんて言って交換したり、まだ一人飲んでいないからもう1回折据回しましょう、なんて。。。
>種類を問わなければ100回以上しているのに、まだ朧月夜です。
すごいなぁ。私はそこまでやっていないので、まだまだです。
常に笑いが絶えない花月、精神性を知った上であればこれまた必要なことでは。
なかなか解りません。
飛翔さんが図解して書いてくださったのですが
いまもぐずぐずしている私です。
↑の皆さんは凄い 尊敬します。
緊張の中お勉強しなければいけないでしょうが、結構長く同じメンバーでしていると、札を交換したり、お茶飲んでないから、「月」どうぞ、なんて、甘い花月になってしまっていて、反省です。
種類を問わなければ100回以上しているのに、まだ朧月夜です。
なのに、明日は、高校生花月 の稽古日です。
確認勉強これからしなくちゃ。
私が教えるのは、やっぱりゲームっぽいかな?
常に笑いが絶えません。 裏千家様 ごめんなさい。
>関西にいると“花月”と聞けば“吉本新喜劇”!
なんば花月、聞きますが行ったことはありません。
そうですね、”花月”の言葉の意味、茶道では月と花の札を使うからでしょうが、それにしても何故月と花を選んだのか、きっと由来があるんでしょうね、、、、
月と花の共通項はと考えると日本人が愛でる代表的なもの?と思いますが、一体?
新たな課題が。。。。。
着物を着てお稽古、やはりそれも大事なことですね。
心持がちがいますものね。
かく言う私は朝早いのに負けて毎度洋服でお稽古ですが。
皆さんで花月に向けて、影の特訓までしているとは、すばらしいですね。
今週末は雨予報ですが、着物ではせめて曇りになっているといいですね。
>「花月しましょう」といわれると「わーい♪」と思ってしまう
この気持ちも大切なことですよー。やっぱり真面目に楽しまないと。
流れの乱れにはお互い気をつけましょう。私はよく乱してます。。。札が当たらないからといって気を緩めてはいけませんね。そんな時に限って何かがおこるのです。
そうですね、達成感・充実感、皆が一致してこそ。
私も上の方が多い中で花月をやることが多いので、充実した花月になるように頑張らなくては。
>「月」が当たってもゆっくり味わってお茶をいただけないのはママだけ?
私も焦って飲んでいます。だって、折据がすぐ回ってきてしまうんですもの!
お茶をゆったり飲むという意味では普通のお稽古の方がよいかも。
>これは仕事でも社会でも同じ事で、それぞれの役割が達成された時の喜びは嬉しいですよね。
本当にそうですね。何事も皆が協力しあってこそですしね。
精進したいと思います。
“花月”と聞けば“吉本新喜劇”!
“なんば花月”や“うめだ花月”の“花月”って
何のこと?って考えてしまいました。
何も知らない私です。
花月は当初はゲームという意識でした。
しかし、着物を着てお稽古をするうちに
五感を使う精神修行だと思いました。
かつて、江戸時代に茶道が遊びの一つになった際に
茶道の引き締めも含めて考案されたと以前知りました。
私は花月が大好きです。
月に一回行っているのですが、皆さん着物着用が原則です。先生の取り計らいです。
素晴らしいと思います。
今週末は貴人清次濃茶付花月を行います。
今回はリベンジでなみなみならぬ思いです。
濃茶から薄茶に切り替わる時が非常にやっかいで
今回は先生に内緒で出席者5名で影の特訓をしています。
できれば今週日曜日は雨が降らなければよいのですが…。
す、すみません、いまだに「花月しましょう」といわれると「わーい♪」と思ってしまう私は若輩者でした、、、。
確かにひとりもたもたしていると、流れが乱れますよね。
もっと勉強しなければ、と反省いたしました<(__*)>
ピシッ!っと揃って出来た時は達成感というか充実感があって気持ち良いものです。
「月」が当たってもゆっくり味わってお茶をいただけないのはママだけ?
つい、焦っちゃって一気に頂いてしまいます。
最後まで何事もなくできた時は、皆で挨拶するのにも
笑顔が生まれます。
これは仕事でも社会でも同じ事で、それぞれの役割が達成された
時の喜びは嬉しいですよね。
その分、日頃の努力が必要となるわけで、精進しなければと思いますね。