仏、阿難に告げたもう、「その下輩の者というは、十方世界の、もろもろの天・人民にして、それ至心にかの国に生まれんと欲(おも)うものあらんに、たとい、もろもろの功徳を作ることあたわずとも、まさに無上菩提の心を発して、一向に意を専らにして、ないし十念にても、無量寿仏を念じて、その国に生まれんと願うべし。もし、(この人)深法を聞き、歓喜信楽して、疑惑を生ぜず、ないし一念に、かの仏を念じて、至誠心をもって、その国に生れんと願わば、この人、(いのち)終わるときに臨んで、夢のごとくにかの仏を見たてまつりて、また往生をう。(その)功徳・智慧、中輩の者に次ぐなり。」
大無量寿経下巻に、そのものずばり、自分の境遇、心境が書かれていることにたいへん驚きました。
下輩のものでも、深法を聞くと疑惑を生ぜず(深法を聞いて救われたものは信じるということ)
「この下輩の機は劣っているから、臨終に心も恍惚としておぼろになり、夢のごとく来迎仏を見奉る」(真宗大系)とか。
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