ある一念において、弥陀仏と会う。
衆生ありて、明らかに仏智ないし勝智を信じて、もろもろの功徳をなし、信心をえて廻向せば、このもろもろの衆生、七宝の蓮華のなかにおいて、自然化生し、結跏趺坐(安楽国に化生((けしょう))する時は安楽国の蓮華の中に結跏趺坐の姿勢をして自然((じねん))に出現する。)須臾(しゅゆ)の頃に、身相、光明、智慧、功徳は浄土(ここでは安楽国・無量寿国・無量光国・極楽)のもろもろの菩薩のごとく、具足し成就せん。
須臾(しゅゆ)は、10-15(1000兆分の1)であることを示す数の単位。逡巡の1/10、瞬息の10倍 一念と同じ。
常識を超えていますが、すべて本当の現実世界のこと。人の考えを超えているだけ。
一般の人に簡単に理解できるように、枝葉末節は全部除いて、核心部のみ記述。
「あらゆる衆生、その(無量寿仏の)名号を聞きて、信心歓喜し、ないし一念せん。至心に廻向して、かの国に生れんと願わば、すなわち往生することをえて、不退転(の位)に住すればなり。」 第18願成就文
「 諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転 」 同 第18願成就文
「その下輩(天上界と人間界にいる一般大衆)の者というは、十方世界の、もろもろの天・人民にして、それ至心にこの国に生れんと欲うものあらんに、たとい、もろもろの功徳を作ることあたわずとも、まさに無上菩提の心を発して、一向に意を専らにして、ないし十念にても、無量寿仏を念じて、その国に生れんと願うべし。もし、(この人)深法を聞き、歓喜信楽して、疑惑を生ぜず、ないし一念に、かの仏を念じて、至誠心をもって、その国に生れんと願わば、この人、(いのち)終わるときに臨んで、夢のごとくにかの仏を見たてまつりて、また往生をう。」
そして、全宇宙の天上界と人間界にいる、よく理解した者たちは、阿弥陀仏の安楽国の池に浮かぶ
蓮華の中におのずから化生し、両足を組んで安坐した姿で出現するのだ。
日本語の数の単位 | |
---|---|
大数 | |
小数 |