自分が見聞きしておぼろげに覚えている、山本さんは、前世紀にシェムリアップで日本語学校を運営してシェムリアップのカンボジア人の日本語普及にたいへんに貢献された方と思ってましたが、今回、日本の下水道のマンホールカード配布場所のJHCアンコールツアーもやっているとのこと。JHCも観光ツアーバスなどでだいぶ以前は活発に活動されていたと覚えてましたが、日本語学校の山本さんがやってることを、今回、JHCにマンホールカードを貰いに行った時に係のカンボジア女性に聞いて初めて知りました。日本語がうまいので、日本で覚えたのかと聞いたところ、やはり、シェムリアップの山本学校で、覚えたそうで。
山本さんとは、日本の山本さんの平塚の広い自宅で一度カンボジア人とテーブルを囲んで食事をご馳走になったことがあります。会話はしなくて、後ほど聞いた所、私をカンボジア人と間違えていたそうです。カンボジア人の一団に紛れて運転手として伺ったので。
その当時、20年ほど前、山本さんはすでに相当な御歳でしたが、たぶん、シェムリアップでも活発に活動されてた頃かと思います。
現在、JHCアンコールツアーは、グーグルでも書いてあるように、臨時休業中で、今回マンホールカードを配布するために、4月28日から臨時営業中で、まもなくまた、臨時休業するということです。
JHCアンコールツアーは、国道6号線沿いなので、よく目にはしておりましたが、敷地の中に入ったのは初めてで、コロナ以来、臨時休業中のようで、今回マンホールカードをもらった売店とは別に、突き当りに、でかいホテルのような立派な建物があり、係のカンボジア人女性に、ホテルかどうか聞いた所、事務所だと言われびっくり。現在数名のスタッフしかいないので、そんなバカでかい建物はいらないのでは聞くと、なんと昔はスタッフが100名いたそうで。
20年ほど前の山本さんは、在日本カンボジア大使館にもよく出入りしていて、顔はよく合わせていました。長老のような感じで、話したことはありませんが。当時の在日本カンボジア大使はプーさんといって私のカンボジア妻の知り合いで、私が、ちょうどプノンペンで、会社を作って活動していた頃で、まだ六本木の事務所兼住居にカンボジア妻と一緒に住んでいた頃で、そこは赤坂の大使館に歩いて行ける距離なので、よく大使館員を招いて宴会を開いたり、大使館員の臨時宿泊施設としても利用されていて、何年も住み着いている大使館員もいました。
今回、JHCの係のカンボジア人の方に山本さんはまだご存命か?と、聞いたのですが、今、来ているとのことですが、日本語のやりとりでは、確かなことは分かりません。あの山本さんがまだご存命とすると相当で相当な御歳なのですが、ひとりいらっしゃる長身の妙齢の日本人女性のことかとも思いました。これもその日本人女性に聞いていないので、詳細不明ですが、近親者かもしれません。
☆※裏面の数字2303-00-001 の001が最初期版の印で、他のマンホールカードも調べましたが、どのマンホールカードでも唯一001が断トツにレア度があり、過去の品で一番高かったのは、001で1枚で100,000円というのも売っていますので、将来が楽しみです!(さすが、私は、スポーンの世界一のコレクターだったので、その辺は見る目があります。(汗))
なにしろ、日本のマンホールカード以外で海外のマンホールカードはこのシェムリアップのが初めてで、実際、シェムリアップでは、上水道のみならず、下水道も浄水場もマンホールも日本の技術で作られていますので、なんちゃてではなく、ものほんで、その他の国でこれから、出るのかは私にはまったく不明。
長いので、2回に分けます。
おお、思い出しました!山本さん、インパール作戦の生き残りだという、たしかそのような事を言っていたような。よく覚えてないので、不確かですが、もしもそれほど昔から生きているとしたら、とっくにお亡くなりになっている?
またまた思い出しました。インパールから、インドシナに来て、シアヌークを何か助けたとか、言っていたような。ご存じの方、お教えくださいませ。
どれも、カンボジア人(大使館員)に聞いた話で、つぶさには確証のない話ですが、在日本カンボジア大使館に自分の部屋を持っているようなお方なので、カンボジアに対して相当な貢献をされているお方のようです。