学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

教師の人生

2011-10-03 | 教育
結局,いま目の前にいる子供たちのために,
一所懸命になることしかないのではないか。

自分の限られた力を出しきって,
うまくいったときには,
有頂天になって喜び,
うまくいかないときは,
己の非力を嘆いたり,おろおろしたりする。

認められたり,感謝されたりすれば,
教師こそ我が天職と思い,
批判や非難を受ければ,
自分は教師に向いていないのではないかと思う。

それが,教師の姿である。

揺れ動くのはあたりまえ。
それでも,
「子供たちのために」,
その気持ちだけが,
教師の人生を支えている。


最新の画像もっと見る

3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
昔からの正論 (tsuguo-kodera)
2016-05-10 06:53:06
 素晴らしい、、、ありがとうございます。
 まず父を思い出した記事でした。病院のベッドで、新任の中学校の夢を見た、と言った楽しそうな顔を思い出し、涙が出てきました。学校に戻れない自分を笑っていたのです。
 でもこの論旨は先生稼業だけではありません。会社員の人生と題し、数文字をリプレースしたら私の文章だと友人は言いますよ。
 学校の仕事などごっこ、生徒や学生がごっこで楽しければいいのです。
 会社員は楽しいのは必須条件。毎回結果を求められ、一回でお陀仏や人間失格になりかねない。少なくとも大きな×がつく。
 勝負が好きな私はごっこに辟易。遊びはプロでも、勝負を求め、旅に出た気分。そうなんです。七人の侍のイントロ部分。お近くに不逞の野武士をやっつけて欲しい農民はいませんか。
 どんな勝負でも要求分析で勝つ確率は高いはず。映画のように、村長が逃げなければです。南無阿弥陀仏。でもいませんね。旧友を求めることにしたのです。
返信する
Unknown (madographos)
2011-10-09 12:28:19
>タナトス様。コメントありがとうございます。私もその記事は読みましたが,識者の分析については疑問をもっています。年配の教師が生徒に相手にされなくなるからやる気を失うというのはいささか表面的です。生徒がコミュニケーションを取りたいと思うのは,相手の教師の年齢ではなく,性格の問題です。ですから,若くても相手にされない教師もいますし,年配でも生徒に慕われる教師もいます。年配の教師がやる気を失っていくのは,むしろ教師集団の中で,自分が蓄積してきた教師としてのノウハウが無視されるような昨今の教育現場,とくに教育改革の方向性の問題ではないかと考えています。一般社会と学校が違ってしまったのは,経験が評価されなくなってしまったからなのです。そのあたりをきちんと見ていく必要があると思っています。
返信する
教師という仕事の特殊性 (タナトス)
2011-10-05 03:38:33
先日新聞で「一般の会社などと異なり、教師(特に男性)は年齢が高くなるほどやる気をなくす特殊な傾向がある」とありました。

教師が目の前の生徒のために一生懸命になれるのは、教師に対する生徒の反応がより有機的でインタラクティブであるからでしょう。

生徒は正直で、若い先生に対して、よりコミュニカティブに接するもの。

年齢を重ねると、平凡な教師はだんだん相手にされなくなる。

揺れ動きながらも、定年までその情熱を維持するのは難しい。

学校はベテランほど鬱が多い業界だというのも納得がいきます。

子どもにとって存在価値の低い教師としての自分を受容することは、なかなかできることではありません。

自分の存在感が薄れていくことを顧みず、子どもたちの成長に目を細めるような教師は存在しにくい時代かもしれません。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。