学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

自分の言葉で語ること

2010-03-26 | 教育
教室で,
本当に自分の言葉で語れているだろうか。

その話は,どこかから借りてきたものではないか。
その話は,誰かが別のところで話していたことではないか。

自分の内面から自ら紡ぎだす言葉を
本当に持っているであろうか。

自分の言葉で語れる教師でありたい。

切に思う今日この頃である。



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1 Comments

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理解と実践の壁は厚い (tsuguo-kodera)
2015-08-18 07:58:47
 馬鹿の一つ覚えかどうか分かりませんが、私は勉強も教科書も偉人の話も面倒で嫌いだったので、自分の経験談を自分の言葉としてしか理解できないし話せないアホなのです。
 言い換えると、主題の通りしかできない男なのです。皆さん頭が良すぎるのでしょう。生浮かびと言うのかも。
 偉そうな話は親やたくさんの先生方の受け売りであり、今は管理人様をはじめとして、この村の数人の先生と、バドの会員の教えでもあるとかんがえています。
 少なくとも人の言葉で刺激を受け、頭が活性化され浮かんだ文をただタイプしているだけなのです。
 もっとも教育のニーズは家のバド会員と、彼ら彼女が連れて来る子供たちの顔から判断しているだけです。
 その結果、子供も親も発する言葉より顔の方が良く真実が現れているように思えます。おまけに可愛い犬を飼い、色々なタイプの飼い主や犬の顔を見ていてこの能力は磨かれたように思えます。黙って座ればぴたりと分かる、易者になったような気持ちです。
 ますます小学生の指導なら上手くできそうな気がするのですが、身体の衰えは如何ともしがたく、このまま南無阿弥陀仏になりそうです。
 教えを実践でき無くて謝るしかありません。すみません。
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