Asato-log

 沖縄で生まれて大阪を経て、現在NYで子育てと踊りの毎日です。最近弁当も始めました。

舞台に立つこと。

2011年08月16日 | 踊りの話。


無事にというか、無難にやり遂げることができました。舞台上での自分というものがまだ完全に戻ってきてない感が残るままですが・・・・これがブランクというものでしょうね。


 今回、一番良かったと思ったこと。それは久しぶりに踊りの話を現在踊っている人たちと話すことができて、自分が長年思っていたことを吐き出せたこと。

 5年くらい前に、ある舞台を観てこういうものがプロとしての舞台というのなら私はどこを目指したらいいのか、踊っている意味はあるのか?と、ダンサーとしての悩みどころがありました。

 その舞台は、私の知り合いもたくさん出てましたが、ある人はとても尊敬できる素晴らしいダンサー、ある人は自分の中で一度もダンサー(表現者)のカテゴリーに属したことのない人たち数名。カンパニー自体は何十年も前からあるとても由緒のあるもの。その人たちが同じ板の上で踊ったのです。
 私が尊敬する人の出た作品は、コンテンポラリーで作品としてもとても素晴らしかったです。その作品に出ている人達の表現力の豊かさがその作品を素晴らしいものにしてたと思います。そして、カンパニーの振付家(本人はもうこの世にいないです)が、昔振り付けた作品を10人くらいで(うち、私的にダンサーと思っていない人達すうめいふくむ。)が踊ってました。

 アメリカでたくさんの人種がいる中、とてもスタイルが良くても踊りは不器用だったり、めっちゃ太っていても凄い身体がきく人だったりみんな自分の個性を受け入れてそして、努力するのです。そんな事をすっ飛ばして理屈だけで踊ろうという人は身体が輝いてなくて、私的にはどうしても彼ら、彼女たちが表現者として自分と同じカテゴリーに属することが納得いかなかったのです。とても憤りを覚えたのを覚えてます。


 あれから5年、その時に踊っていた人と話をしました。彼女はずっと努力を続けている本当に素晴らしいダンサーです。
 「私はあの舞台を見て、踊りってなんだろうって思った。彼女達と私ははたから見るとダンサーというくくりで同じところにカテゴライズされていて、それなら今現在私が努力していることは何一つ意味をなさないのかな?」「ちょっと舞台で踊るってことから距離を置きたいと思った」

 みたいな話をしたかな?すると彼女は苦笑いしながら聞いてたんだけど、「あなたの言っていることはよく分かる。ここで踊っていく限りその疑問は持ち続けるよね。」

 それだけでしたが、胸のつかえがとれた。そして彼女の踊る姿勢にやっぱりかっこいいなと思った。