どうしたの?
うん、きみの音楽があるかぎり、人間には期待できる。この世との関連においてではなくてね、この世から離脱した世界において、人間は生きられるということ、そのことを、きみの演奏を聴いていて、心の変換として経験する。世界観があらたまるんだ。純粋メタフィジックだけで人間は生きられるという、心の変換が生じる。このことがどんなに「復活」であるか、ぼくは経験したところだよ。ぼくはあらたまった。この世を洗い流してね。
きみはぼくの希望を現実にしてくれた。復活の涙がでたよ。これがほんとうの回心だね。
ところで、きみはどうしてこういう演奏ができるんだい?
笑
きみを理解することはほんとうに難しいよ。理解できると言っているんじゃない。でも、いつか解ったと感じるとき、ぼくは自分をも解ったと思うのだろうね。だって、きみの演奏への感動は、ぼくの不動の事実なのだから。きみの演奏は、ぼくを、ぼく自身への憧れに誘う。そういうきみが、形而上に参与していることを、ぼくの実感は確信している。
きみには不動の感覚があって、それが演奏を成立させている。その不動さが、形而上の次元を開いている。そうぼくの意識は証言しているんだよ。天使的だ、神々しい、とは、そのことだ。きみは人間的であると同時に、その人間的であることのなかに、人間を超えたものを抱いている。
集中してきたわね。高田先生のところへ戻っていいと思うわ。
きみのなかに同質の本質を感覚している。人間はすばらしい。 世間的な外見に、ほんとうの人間はあるのではない。それを証するのは、作品のみだ。きみにおいても、高田さんにおいてもね。それを解る者には、生きることは集中する試練だよ。でも支えと確信と安らぎと深い癒しがある。
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