高田博厚『パリの巷で』(1960)より
2019年06月30日(日) 記す。
「王と国民の相惚れ、フランス革命」 187-189頁
《 それから私は、国の人情は国民の主権者に対する態度に現われていると思う。権力者と国家主権についての私の歴史観や、フランス革命の発生原因や経過についての私の判断をここに述べるつもりはないが、近代国家成立以前の昔から、民衆と常に密接な関連をもっていたのはヨーロッパ諸国でもフランスだけだった。メロヴァンジァン王朝の昔はともかく、カペー王朝歴代の王もフランス国民の是認の上に存続しており、民衆の王への反逆はなかった。議会制度と革命の皮切りはイギリスだったが、フランスにはそれがなかった。フランス革命後の共和国派は、シャルル五世に対するエチエンヌ・マルセルの圧迫を民衆革命の師表のようにあつかっているが、これは当時のフランス民衆であるパリ市民(ブルジョワ)の王権力に対する意志表示であると共に、マルセルが間もなく同じパリ市民の手で虐殺されてしまった事実に、民衆が王の存在を是認していることが現われている。
小泉信三が皇太子を守って欧州旅行に来た折、パリ大使だった西村態雄に一夕共に招かれた。雑談の中で私がこのフランス王存続の原因について話したら、かれは「それを皇太子に一席話してくれませんか」といったが、ともかく王権力に宗教性神秘性を持たせなかったフランス人の意識こそむべなるかなと、私は思う。これには、権力の絶対性を認めず、王の神格化を許さなかったキリスト教精神が大いに影響しているのだが、パリ市民が王を自分と同位の人間視したところに、貴族階級間のアンシクロぺディストの自由思想や大革命の泉があった。それで、フランスのカぺエ王朝ほど長く続いた王権もなく、また王から封建的性格を早くから奪ってしまった国も他にない。そうしてフランス歴代の王ほど国民、パリ雀からひやかされ、流行歌の種になったものもない。フランスの王様物語を書くと厖大な本ができ上るが、だらしがないと思えるほどに民衆と縁が深く、それで民衆から馬鹿にはされたが憎まれた王はいない。ギロチンにかかったルイ十六世もまたマリー・アントワネット女王も国民から憎まれてはいなかった。人が良くて気が弱くて大食漢でなんにもしなかったから、社会力学の作用で民衆を暴民化させてしまったので、ロベスピエールやマラーも、サン・ジュストの煽動に乗ったものの、はじめから王を首切ろうとは考えていなかった。ともかくフランスの王権と民衆の関係は非常に興味深いものであり、社会革命の大師表のように奉られているフランス革命もアンドレ・モーロアがいっているように、「王と国民の相惚れ」から生れ落ちた私生児だった。ここにも今日まで継承存続しているフランス人、パリ人の「人間味」の人情が出ているのだろう。そうして日本のそれと考え合わせると、なかなか重大な問題を日本的性格は持っていると、私は思う。戦後にわか作りのデモクラシーでは改められない根深いものがあり、更に長い時間をもって日本人の意識を高めて行くより外ないのだろう。とにかくまだまだ子供なのである。》
皇太子時代の現上皇へのご進講の機会が、高田さんにはあったことは、知られているが、ここにその内容が述べられている。ともあれ甚だ興味深い歴史的文化的述懐であるので、全文筆写する気持になった。
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