高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

人間の思い上がりの果てしなさ 

2022-12-30 01:21:50 | 特報


 
「歴史上の大哲学者たちは皆生きているんだ。われわれ(研究者・学者)が殺しているんだ」、と言った学者がいた。ぼくは、その学者も「殺して」いる一人だったと断罪しているが、この言葉じたいは共有すべきものである。だいたい、大哲学者がじぶんの理解力の手に負える存在だと思っている阿呆ぶりは、人間のどういう心理から生じているのか、心理学あるいは精神病理学の一大課題である。気違いというのは、すでにそこにあるではないか。一人間が大人間を判断できると思っている思い上がり。しかし翻ってそれは、日常、そう言っている人間自身が人間を判断できると思い上がっていることと同じなのである。この堂々巡りを突破できるのは、具体的人間の人柄にまで受肉した真剣さのみである。実存的真剣さと言ってもいい。そして、実存的であることは、無からは生じない。経験の我有化と魂の深みから生じる。これを「歴史性」とヤスパースは言ったのである。ヤスパースの言葉の口真似ではどうしようもない深みから。
 
ぼくがこれらの言葉を、過去を振り返りながら、どんな深い軽蔑心をもって語っているか、想像がつくだろうか。
 
 
 
 
〔ぼくは、他の欄で書いたものをここでも公表する。ここでは、零(そんなことはないと思うのだが)にたいする十も読まれているからである。〕 











なぜ休日があるのか

2022-12-29 18:38:11 | 日記


 
日課・仕事に駆り立てられてばかりいると、自分が何なのか分からなくなるから。だから、「自分が在る」ことを前提として休日はある。それは「神が在る」ことでもある。だから「聖なる日」なのだ。ただ休むためではない。
 
 
 
これは別件であるが、ぼくは、日本人が嫌がるほど、神、神、神、と言ってやろう。日本人の、信仰への無礼は、魂の底から永久に腹が立つから
 
 
 
 
 
 
 
 



意志力は哲学的である

2022-12-29 14:41:23 | 日記


 
ぼくの強い意志力があれば天下無敵であり、平静さも意志力から生まれる。抽象的な意志ではなく発動された意志がここで言われているゆえに ぼくは「意志力」と言う。デカルト、メーヌ・ド・ビラン、アランの言う意志である。そのような意志は内発的なものであり、哲学的なもの、いつでも哲学の原理となるようなものである。
 
 
 
 
 
 



※”週刊新潮 新年特大号 2週連続でワクチン被害報道”

2022-12-29 02:21:41 | 特報

※”週刊新潮 新年特大号 2週連続でワクチン被害報道”



やっと天が晴れた!
 

2022 12 28 
 
 
《週刊新潮、2週続けてコロナワクチン被害について報じている。 しかも、表紙に書いてあるのが、「特集米当局が認めたコロナワクチンの闇」だけ。これを、人が雑誌を手に取りやすい新年号の時期にぶつけて来た。 新潮、本気だね。 応援しよう。》 !!!
 
 






 
 

想像力の浄化力

2022-12-28 17:55:14 | 日記

想像力が人間を浄化するとしたら、それは、まったくこの世らしからぬ世界を創造あるいは物語ることによってである。この創造的な力はこの世から人間を引き離すことを意図的にするだろう。


創造的想像力は、この世の否定的な経験にたいして 暴君である、とぼくは思う。