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こんにちは。
MBSR(マインドフルネスストレス低減法)認定講師(IMA/ドイツ , IMCJ/日本)、ヒューマンスキル研修講師のマグノリアです。
マインドフルネスやコミュニケーションについて、ブログに綴っています。
梅雨入り前の好天☀
大物のお洗濯物に勤しみながら、日々色濃くなる木々の緑に癒やされています。
実は、少し体調を崩していました。
今はすっかり回復しましたが、日常の生活を送れることに改めて感謝の気持ちでいます。
同時に、身体がきちんとサインを出していた時に、ちょっと無理をして我慢していたなぁと、振り返っています😅
社会の一員として様々なものを背負っていると、「〇〇しなければならない」事柄も多くありますよね。期日や役割、責任。
そのために頑張るわけですが、時折、無理が利かなくなってしまう。
かえって周りの方々にご迷惑をおかけしたり、フォローしていただいたりとご負担をかけてしまいました。
(;´д`)トホホ…。
こんなときの魔法の言葉、「人間だもの」を自分に送っています。
人間だもの、疲れることもあるさ。
「お互い様よ」
と軽やかにフォローしてくださる方々がたくさんいてくださることにも、改めて感謝です。
さて、本日のブログのお題について。
コメント欄で
「マインドフルネスと禅は近い?」と質問をいただきました。
マインドフルネスの実践は「瞑想」で練習することが中心となります。瞑想と坐禅はイメージとして重なりますよね。
私は仏教、特に曹洞宗や臨済宗などの禅宗については全く詳しくありません。その上で、以下のようにお答えしました。
『禅においての「坐る=瞑想」は、結果を求めて行うものではなく、ただ坐る(仏陀が行ったように)為に坐るのかもしれません。
私が学んだマインドフルネスストレス低減法(MBSR)を構築したジョンカバットジン博士は、もともと禅の実践者でした。禅の実践で様々な効果を実感出来たので、自身の患者の治療に瞑想を取り入れました。
ですから、マインドフルネスと禅は非常に近いですね。ただ、一般の欧米人に”瞑想”というと怪しく感じられるために”マインドフルネス”というと言葉に言い換えたと伺っています。
また宗教色は取り除いています。
MBSRでもご受講前の説明で「結果を求めない」とお伝えしています。結果を求めることがストレスとなるためです。』
宗教色は取り除いている、とお伝えしましたが、私が学んだMBSRの講師養成の先生(Institute for Mindfulness-Based Approaches独)のお一人は大学で仏教心理学を学ばれたそうです(オランダ人)。
マインドフルネスの普及に力を注いだ、先日亡くなられたティク・ナット・ハンはベトナムの禅僧でもあります。
マインドフルネスは「禅」の力をお借りして、ありのままの自分や取り巻く環境を受け入れる力を育てているのかもしれませんね。
今日もお読みいただきありがとうございました。
仕事をミスし落ち込んだ時、パートナーにキツく言いすぎ、なんでいつもこうなんだろうと思う時、後輩に何回指導しても理解してもらえない時などなど、心の中で唱えます。
なんて自分勝手で都合がいい言葉(誤解あってはいけませんが、けっして相田みつをさんやいまここさんを悪く言っているものではなく、自分の勝手な解釈です。)
だけど自分自身の気持ちを守り、肩の力が抜け、前に進める魔法の言葉ですよね。
私も好きな言葉です。
ありがとうございます。
『人間だもの』はもちろん相田みつをさんの言葉をお借りしています🤗
私のマインドフルネスの先生が
『それが人間ということですね。私達は完璧では無い、人間なんです』
とよく仰っていて、あぁ、人間だものは万国共通なんだなと思いました。
マグノリア