先日、MIFさんが足柄平野に所用で行ったついでに車に乗せてもらいました。
今回のスタートは小田急小田原線開成(かいせい)駅からです。
ここから電車で小田原駅まで移動し、この駅から国府津駅まで歩き、ゴールは松田駅。
長文&写真多めですのでお暇な時にお読みください。
散歩の前夜、いそいそと飲み物やおやつをリュックに詰めていたらMIFさんに「遠足かよっ!」とツッコミが入りました。
いや、本当に遠足のつもりだったので「遠足ですが、なにか?」と申しあげました。
ただしお弁当は開成駅前のスーパーマーケットで購入。
開成駅から小田原線に乗って小田原駅まで。
小田原と言えば、この小田原提灯。
JRの駅と言えばやはりステンドグラス。
そしてこれも確認しなくっちゃ。
暗くて確認しづらいけど片岡鶴太郎さんの「小田原讃歌」。
ここにお魚の絵があったような…とボンヤリ覚えていたパブリックアート。
片岡鶴太郎さんの絵はがきが欲しいなと思っていた時に小田原駅にこの絵があることを知りました。
MIFさんと出会った頃、小田原駅の構造が今とは違っていて今じゃあ考えられない改札の仕組みでした。
駅の構造が変わって、いつの間にか片岡さんの作品が飾られていたのですね。
さて、この日はここから、城下町を抜けて駅の東側に進みます。
城下町なので、私が住む地域とは違ってクランクや行き止まりの道が多いです。
街路樹に桜が咲いていますが、河津桜ではないし、品種同定ができませんでした。
ヒザクラ系かな?ちょっと濃いめのピンク色、花は一重で小ぶり。
なんだかちょっと惹かれる道だったので脇道に進んでみました。
奥に進むほど下がっていまして、城下町の区割りというよりは、用水路の区割りっぼい?
でも用水路にしては真っ直ぐ過ぎる道。
この先は浜に近いはずなんだけれど…。
進んでいくと材木店さんがあったりしました。
元は職人町だったのだろうか?それにしては…と思案しながら歩いていました。
ウロウロしているうちに国道1号線(旧東海道)に出会いました。
さらに東(東京方面)に進んで行きます。
途中、上杉龍若丸の墓という表示があってちょっと寄り道。
案内板を見て、私が苦手とする戦国時代の人物と分かったものの、上杉家といえば関東管領職の家柄。
なんで後北条氏のお膝元にお墓があるんだ?とハテナがいっぱい。
その場でネット検索して、上杉謙信の養父の嫡男だと判明。
上杉家のあの殺された少年か!と。
ただしこのお墓と言われている場所、物凄く個人の敷地っぽいところにあって、非常に立ち入り難い感じがしました。
道路の向かい側には戎(えびす)神社がありまして、祭神は大友皇子命。
なぜこの地に壬申の乱の敗者が祀られているのかイマイチ分からず。
ここも私有地っぽい場所なので、静かにお参り。
さて、国道1号線に戻って東側に進むみます。
西湘さんぽでは、なるべく地図を見ずに駅前の地図看板で少し見た記憶だけを頼りに散歩を楽しんでいます。
でも今回、Googleマップで見かけた場所が地図上で入口を見つけられず、その場でスマホ片手に入口を探しました。
新田義貞の首塚の案内板。
この看板を見つけたのですが、それでも躊躇するくらい場所が分かりません。
看板前のこの細い道を進めってこと?と恐る恐る進みます。
旗地の先にすべり台があったので、公園?ムチャクチャ私有地っぽい…。
すべり台の先の左側に中世のお墓っぽいモノがある…これが首塚かな??
さらに振り返って覗き込むと首塚の石碑。
ところがこの石碑とお墓っぽい石がある場所は柵で仕切られていて敷地内に入るには門扉を開けて入ることになります。
物凄く私有地っぽいので、本当に入っていいのか分からないことと、四方を私有地に囲まれているのは間違いないので正直、身動きが取れないという感覚に陥りました。
案内板は行政が作成しているし、石碑にも当時の市長の揮毫です。
ですが、観光化していないというか、見捨てられた史跡という感じなのです。
首塚というおどろおどろしい感じもあって、すぐに退散しました。
ここから西湘バイパスという自動車専用道路方面に進みました。
西湘バイパスは神奈川県の西の海岸線沿いの自動車専用道路(有料)です。
私には高潮が発生するような大きめの台風が来るたびに破壊される道路という印象です。
というのも防潮堤の上に作られている所も多いので、道路に被害があっても町は守られていることも多いのですが。
ここから防潮堤の上を進んでいきます。
ここが防潮堤の一番端。
陸橋が西湘バイパス。
正面の水辺は、酒匂川(さかわがわ)の河口。
対岸にこんもりとした小さな林があります。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で石橋山の戦いで、三浦・和田軍が大水で酒匂川を渡れないシーンはちょうどあのあたりだろう…と予想して来てみました。
意外と現代の酒匂川河口は幅が狭いぞ、と不思議な気持ちになりました。
足柄平野はこの酒匂川の扇状地なのですが、防潮堤があるせいもあって、私のいる場所は案外低くない…と思っています。
ここから白鴎中学校と小田原東高校の敷地を迂回して、国道1号線(徒歩で渡れる一番下流の橋)に向かいます。
途中で見かけたグランド(小田原東高校?)のテニスコートの砂。
かなり細かい砂で、風が吹いたら砂まみれになりそうです。
国道1号線の酒匂橋です。
お正月の箱根駅伝のルートですが、安定した低地なのであまり見せ場とは言い難い場所です。
橋の上で振り返って、奥の山並みが箱根外輪山。
酒匂川の上流方面を望みました。
足柄平野のどこからも見えるランドマーク、松田町のハーブガーデンのハーブ館が意外と東側に見えました。
扇頂にハーブ館があると思っていましたが、以前に訪れた松田城跡の方が扇頂なんだと改めて感じました。
酒匂川の中洲に菜の花が咲いていました。
ここから少し上流の栢山(かやま)は、二宮尊徳先生の生地。
ニノキン先生は河原で菜種を育てて、その油から灯明を作り勉学に励まれたのよね、と思い出しました。
酒匂川を渡って河口を望みました。
このあたりはブロックや砂利を扱う企業が利用しているみたい。
私が入っていってよかったのかよくわからず。
西湘バイパスの下に水(川?)が流れていて海岸には行けません。
ルートが違うみたい…。
とりあえず引き返しました。
そして現代の地形だからここが酒匂川河口だけれど、平安時代末期はもっと荒くれ者な河川だったことを思うと、ドラマで出てきたのはここじゃあない気がしてきました。
国道1号線を歩いていたら、酒匂中学校の近くで案内板を見かけました。
周辺から遺跡がたくさん出てきていて、東海道として平安時代末期には成立していたことなどが書かれていました。
この近くには神奈川県で初めての水田跡が出土しているので、県内では先進的な地域だったのでしょう。
一部で旧東海道の松並木が残っています。
この日は途中で脇道に入って、西湘バイパスをくぐって海岸に立ち寄りました。
東側を向きました。
天気が良ければ江ノ島、三浦半島、房総半島まで一望できそうです。
三浦・和田軍は三浦半島方面から海岸線沿いに進軍して石橋山に向かったんだよな、と改めて思いを馳せました。
西側を望みました。
箱根の外輪山から真鶴半島、僅かに初島も見えました。
伊豆半島も微かに。天気が良ければ伊豆大島もみえるのかな?
石橋山まであとほんの少し。
そして「吾妻鏡」では大水で酒匂川で足止めと書かれているけれど、もっと手前にある相模川や境川は渡って来たのに、ここで渡れなかったの?
でも引き返して軍を立て直したんだよね?それならまた相模川や境川を渡ったことになるンだけど…とちょっと不思議な気持ちにもなります。
さてこの日はここで早めのお昼ご飯にしました。
浜辺でお弁当を食べるのは中学生の頃の遠足以来かもしれません。
私は1983年に発生した日本海中部地震の津波被害にあった小学生とそう年齢が変わりません。
あの時の映像が今も衝撃的だったことと、津波被害の怖さを植え付けられてしまって、浜辺でお弁当を食べるのはちょっと怖いと感じています。
ところがこの場所、こんな浜辺。
石と砂が入り混じっていて、石拾いが楽しくなってしまいました。
あずまきよひこさんの「よつばと!」でもここからそう遠くない海岸で石拾いをするシーンがあるので、つい石に見入ってしまい、危うくお弁当を食べるのを忘れそうになりました。
石好きでないと、この気持ちは分からないですよね…。
ちょっと休んでからまた国道1号線に戻って扇端を歩くのですが、よく見ると国道1号線は海岸側よりも内陸側の方が土地が低いのです。
扇状地は端にいく程低くなるはずなんだけれど…。
歩きながら逡巡して、2つの予想を立てました。
1つは、国道は旧東海道として古代から道普請が行き届いていて盛土されている。
2つめは、海岸のからの風や涙で砂山状に海岸から少し内側に堆積している。
この複合的な条件から国道に少し高まりがあるのかと思いました。
そうこうするうちにこれまで海抜6~8メートル程だったのにいつの間にか2桁の数値になってきました。
これまで国道1号線沿いに何店舗も鮮魚店を見かけました。
私は子どもの頃に実家近くの鮮魚店を利用していましたが、今は個人経営の鮮魚店は近くになくて、いつもスーパーマーケットばかり利用しているな、と気がつきました。
また途中で果物用のコンテナが山積みされた倉庫のような場所の店頭で柑橘類の直売を見かけました。
私が普段見かけない風景ばかりです。
写真ではわかりづらいですが、上り坂にさしかかりました。
そして古い宿場町のような町並みになってきました。
町並みからもう目的の駅が近いことを感じました。
なだらかな上り坂の頂上に少し古い建物を見つけました。
昭和30年代くらいの建物でしょうか?
この交差点を左に進みました。
この建物は、JR国府津(こうづ)駅です。
ここはJR東日本とJR東海の駅です。2か月前にも訪れたのですが、乗り換えをしただけなので、駅外観は初めて見ました。
駅前の案内地図。
ここまで来ると足柄平野の扇端とは言えないけれど、国府津ー松田断層の地上部の始まりの場所にいることになります。
そして酒匂川の大水で渡れないという三浦・和田軍はこのあたりで身動きが取れなかったのかも…と思い直しました。
国府津駅の記念碑。
この電車に乗ってJR松田駅に行きました。
電車に乗ったらいつの間にか寝ていて、気がついたら隣の下曽我駅に到着していました。
JR松田駅前のこの場所でMIFさんと待ち合わせしました。
ここから徒歩15分くらいの所に松田山ハーブガーデンがあります。
駅前で暫く休憩していたら、何人かの方に声をかけられました。
「河津桜の所の行き方を教えて」って。
私がトレッキングする姿に見えたのでしょう。
私からは「ピンクの提灯をたどって行ってください、あとは道に順路の看板が出てますよ」って。
今のシーズンは松田山が混雑しているでしょうから、私は行きませんけれどね。
そして山から降りてきた人々が口々に「ここの桜が一番キレイ」と「トイレ前って言うのがねぇ…」。
そうですね、私も同感です。
また何人かは「ご飯やさんって、ないのかな?小田原行く?」とか「ご飯はビオトピア行こう、バスはあっちの駅前みたい」などが聞こえてきました。
お昼過ぎでしたからね。
この町にもご飯やさんはあるのですが、商売っ気がないのか、キッチンカーもなければ、お弁当屋さんの出店もないみたい。
臨時観光協会の案内所も出ているのに、情報を掲示もチラシもないみたい。
せっかく観光客がこんなに来ているのにねぇ。
私なら…観光協会が販売する入場券を応募ハガキにして、入場券兼観光協会加盟店で食事(または1,000円以上利用)で加盟店にスタンプを押してもらい、個人情報と簡単なアンケート回答をしてもらって抽選で10名様に地酒プレゼント。
そのハガキには、ふるさと納税のPRくらい明記しておくかな?などと妄想を楽しみました。
足柄平野の扇端を歩くには早川駅から国府津駅の間くらいになるのですが、今回は小田原駅から歩きました。
理由は、昨年購入した小田原城の絵はがきセットをまた購入したかったから。
昨年は小田原城址公園内の売店で440円で購入したのですが、今回は小田急線の小田原駅改札前にあるセブンイレブンで385円で購入。
同じ商品なのですが、観光客激減で値下げしたのかな?と。
そのため、本当は小田原城経由(駅から一旦西に進む)で扇端から歩くつもりが小田原駅から東に進むことになりました。
やっぱり小田原市は、城下町、街道町、港町の機能を複合的に持ち合わせている町並みが魅力的だし、交通の要衝としての役目、そして歴史ある土地柄を思うと、私が住む地域とは全く違う魅力溢れた場所と言えます。
足柄平野の面白さ、魅力をまた発見できて楽しい散歩になりました。
長文をお読みいただいてありがとうございました。