30年近く前の学生時代、神奈川県で一番最初に稲作が行われたのは小田原市と知りました。
たまたまGoogleマップを見ていたら、その「神奈川県で一番古い稲作の遺跡」が中里遺跡という名前で、何度か行ったことがある場所だと知りました。
昨日はその中里遺跡に行ってみました。
はい、ここです。
小田原市中里にあるダイナシティ小田原。
最寄り駅はJR鴨宮(かものみや)駅で、駅からは徒歩20分くらい。
鴨宮駅の1つ隣(下り)の駅が小田原駅、足柄平野の真ん中を流れる酒匂川の左岸に位置します。
西湘さんぽシリーズで歩いている足柄平野の扇状地の扇端にあたり、海岸から2キロくらい内陸です。
写真では分かりづらいですが、建物の左端に見える白い山は富士山です。
敷地の端に中里遺跡ポケットパークがあります。
遺構のモニュメント。
中里遺跡の解説もありますが、とても残念なのは、ここが喫煙所で灰皿があること。
近くには囲った喫煙所があるのですが、ここは灰皿が撤去されていないことから屋外喫煙所として現役で使われています。
せっかくの解説板を読むには、ちょっとね…という感じです。
発掘の様子などが解説されています。
解説板の設置は2000(平成12)年ですが、とてもきれいに残っています。
この遺跡からは、瀬戸内地方の土器が出土していて、稲作が海岸沿いに広がって、この遺跡の場合は太平洋側ルートで北上したことが分かる遺跡だそうです。
弥生時代の遺跡で有名な静岡市の登呂遺跡を通過して北上してきたかと思うと、歴史の長さを顧みることができて面白いです。
扇状地の扇端で比較的平らな地形、水源になる酒匂川水系の川もあるし、西湘の穏やかな気候、遠くに富士山を望み、三方を山々に囲まれた当地。
海も近いので交易もできるし、漁もできる。
なかなかいい立地で稲作を始めたんだな、と思いました。
「日本人とは、米を食べたい民族」と表現した歴史学者がいらっしゃいます。
米を一度口にしたらその美味しさが忘れられない、どうしてもまた食べたいと思う集団なんだそうです。
この中里遺跡は、米を食べたい民族の意地の痕跡だったんだなぁ、と思いを馳せました。
ダイナシティ小田原は、大同毛織という企業の工場があって、戦後はイギリス向けの毛織物を作っていたそうですが、昭和50年代半ばに工場が閉鎖。
私が大好きなEテレ「ソーイング・ビー2」(英BBC製作)では、1960年代のウールの上着を製作する回がありました。
もしかして当時の人々はここの毛織物でソーイングをしていたのかしら?と想像できたのは楽しかったです。
その工場の閉鎖に伴い、再開発時に中里遺跡の発掘調査したのち、遺構は破壊されてショッピングモールになりました。
昨日はこの中里遺跡ポケットパークのすぐ近くに来ていた献血バスで献血したので、ダイナシティ小田原の敷地内をぶらぶら散歩していました。
ミモザが真っ盛り。
ミモザ好きとしては、咲き始めの小粒の花も好きですが、フワフワした満開の花もたまらなく可愛く感じます。
枝垂れ桜はまだまだ。
最盛期には桜のシャワーといった雰囲気なのかな?
歩道橋上から箱根の山々。
駐車場の敷地は東海道新幹線に沿っています。
東京駅から東海道新幹線に乗って、二宮のトンネルを出てすぐの場所。
この眺めを弥生時代の人々も眺めていたのか、と思いを馳せてみました。
献血した割には元気でしたが、少しでも疲れたと感じたら、ベンチで休みながらウィンドウショッピング。
今の縫い物スイッチが入っている私には手芸店は魔境。
気がついたらあれもほしい、これもほしい…と普段は起きない物欲という煩悩まみれになりました。
が、スイッチを強制終了。
「今は献血できて、気持ちがハイになっているだけ」
そう冷静になったら、今買わなくてもいいか、と思い直しました。
関東地方の1都3県は、だんだん人の賑わいが戻ってきています。
それにつれてCOVID-19の感染者もジワリと増えています。
春だからと少々浮き足立っている気持ちは否定できないけれど、感染対策をして、日々安寧に暮らしていきたいです。