年末に祖母が縫ったお地蔵さまの奉納幕。
ブログ記事にもしたからご存じの方もいらっしゃるかと思います。
↑これね、これ。これが12月30日。
私は幕を撮影したけれど、この奥のお地蔵さまの姿をよく見てくださいね。
1月1日にはこの姿になっていて、地域の農家の皆さまが腰抜かすほど驚いたンです。
お地蔵さまが丸裸にされたッて。
当地のお地蔵さまは、子どもが生まれたら、お宮参りの際にもこのこのお地蔵さまに立ち寄って、襷の奉納をします。
この襷をもって、地蔵尊との御縁を結ぶというものなんです。
例えばこんな感じ↓
これ、私と先日亡くなった父。
父が生後1か月の私を抱いてお地蔵さまにお参りしています。
この時に奉納襷をお地蔵さまにかけて、これが朽ち果てるまでそのままにするものなんです。
だからお地蔵さまの足元には江戸時代からのボロボロの布切れが山積みでした。
それを勝手に捨てちゃった人がいまして。
というか1本だけ残して切り刻んで、その残骸が近くの神社のお札入れに突っ込んであったそうです。
オマエは切り裂きジャックかッ!
しょうがないから松の内が過ぎる1月8日付で貼り紙をしましたよー。
↑私の祖母とお地蔵さま。
祖母はお地蔵さまを信仰していますから、ムチャクチャ激怒。
怒りを諌める方法が分からないくらいです。
祠の中と外側に、このお地蔵さまと襷の由緒書きを作りました。
いけ好かない小金持ちばかり住んでいる土地柄とはいえ、江戸時代中期から信仰されているお地蔵さまの奉納物を勝手に切り刻むなんて、ホント、この地域はいけ好かないヤツばかりだわ。
他人が大事にしているモノを勝手にどうこうしようなんざ、どうせろくでもないヤツだ、という結論さ。
私が10歳くらいの時、あまたある襷をかき分けて、ボロボロでもちゃんと懸かっているのを見つけた時、親の愛を感じたものでした。
その時に見た私より年長の兄の襷はまだボロくなっていなかったから、いい布地を使ってンな、とか。
そうやってお地蔵さまの周りで遊んだ記憶も全部切り刻まれた気持ちです。
私は実家にはもう住んでいませんが、この土地を離れてもお地蔵さまを拝んでいる方々は多いのです。
この松の内は、ご近所の農家の皆さまも寄っては顔を突き合わせて「お地蔵さま、どうしちゃったの?」とヒソヒソ話。
あいつか?あいつなのか?
って。
お地蔵さまの前には芝生敷になっていたのですが、芝生と雑草の区別ができない人が草むしりと称して芝生を駆逐するという事件がすでに発生しています。
その人はお地蔵さまのところで野良猫にエサをやっていましてね、お地蔵さまにネコの写真だとかを飾っているとか。
農家の皆さまは「おらが大事な孫と畜生を混同するンじゃあない」と不快感を持っていまして。
皆さまも、ご近所のお地蔵さまや道祖神さまなど昔から村人に大切にされてきた崇拝の対象や風習は、自分勝手な判断で蔑ろにしないでくださいね。
私のような土着民根性の持ち主は、物凄く切ない気持ちになってしまいますから。