私がウメのウイルス「プラムポックスウイルス」を知ったとき、職場の技術顧問T先生は大変憂慮をしていた。
T先生は現在引退してしまったが、私の職場へ再就職する前はとある場所のウメの産地化に大変貢献した技師だ。
「国内初のウイルスが青梅で発見されて、万が一にでも神奈川にウイルスが持ち込まれたら、全伐採になるかもしれない」というご意見だった。
このウイルスの治療薬(農薬)が開発されるか、それとも神奈川にウイルスが持ち込まれるのが先か…という感じだった。
ウメは、栽培する者にとっては「落葉果樹」といわれる分類になる。
ひとえに落葉果樹と言っていろいろあるのだけれど、簡単に言えば「苗を植えてから数年は収穫不可。その間に樹形を整えて、収穫は5年目~10年目が若木、稼ぎ時は15年目くらい。20年目を過ぎたら、樹が老いる」という感じ。
収穫の適期は10年あるか、ないかだ。
しかも、収穫できる=現金化できるのは、1年に1度の収穫期のみ。それ以外は「手入れはしても直接収入につながらず」という樹木に奉仕する期間だ。
だから、感染拡大防止のために東京都青梅市の「青梅市梅の公園」でウメの木の伐採作業が始まったと聞いて、心が痛む。
この半年、山歩きを始めて青梅方面を通過することがあり、美しいウメの里を拝見することができた。
しかし、この先、この風景は見られなくなる。
私が長生きをすれば、もう一度同じような風景を見ることができるかもしれない。
でも、私の心象風景が再現されるとは限らないのだ。
なぜなら、こんなに大々的にウメが切られてしまうと、農家の方々が「ウメ栽培は諦める」ということになりかねないのだ。
もしも諦めてしまえば、「青梅」の地名にもなったウメは再度植えられない。
農家ではない人は簡単に「また植えればいい」とか「ウメの再生を」というけれど、上記のように収穫=現金化できないのであれば、農家は同じ作物に取り組まない。
なぜなら、農家はボランティアで農作業をしているのではない。趣味で農業をしている訳でもない。
だから収入源にならない作物をつくることはまずない。
それでも私は、青梅にウメの再生を願う。
おそらく、青梅にはウメに関連する食文化があるはずだ。
その文化を次世代に継承するためにもウメを庭木としてでもいいので残していただきたい。
農家の人達は自分達が過ごしてきた食生活にあまりにも無自覚で文化を継承していることがある。
梅干しの作り方も農家の人達は「普通と一緒」というけれど、塩加減や防腐効果を高める工夫などが自然と身についているのだ。
そしてその食文化が意外と文書化されていなくて、口伝だったりする。
だからこそ、この口伝の食文化を継承するために再生を願う。
私が住む川崎市では、養蚕の技術がすでに廃れてしまっているのだけれど、それでも若いときに経験したことがある人達が、今80歳代だ。
その世代では、カイコを使った佃煮を食べたことがある人がいるのだけれど、すでにカイコも居ないし、その味もすでに記憶の彼方だ。
そしてこの地では、この食文化は喪失されたといえるだろう。
こんな風に、青梅で「昔うちのばあちゃんが梅干しってものを作っていたのを見たことがある」くらいの風化する日が来るのかもしれない。