makoto's daily handmades

「ホテルローヤル」を読む

桜木紫乃さんの言わずと知れた直木賞作品。

本屋から帰宅して2時間半で一気読みです。はぁ~、面白かった。
私は釧路に行ったことがないからどんな風景なのかはよく分かっていません。
でも、道東の風景に思いを馳せたり、ホテルローヤルをめぐる
ウェットな人間関係に感心したり、来し方の自分と比較すると、
「知らない世界」でした。

とくにお風呂の表現が私には知らないものでした。
ラブホテルの裏側すぎる裏側というべきでしょうか…
ラブホテルの残り湯を使うという発想が私にはなかった。
作品中では残り湯を使ってはいけない…という表現で出てくるのだけれど、
「何を当たり前のことを言っているの?」と思うのです。
これは普段私が思っていることを周りが理解できないのと同じだなって。

私の実家は果樹農家なのだけれど、昔から周りに「果物を食べ放題だね」
と羨ましく思われるのを気持ち悪く思うのと一緒です。
どこの世界に「商品」に手を付ける農家がいるのかと…。
私が口にするのは、商品にならないものだけで、それもほんのわずか。
私には自宅で収穫できる農産物はすべて商品にしか見えないし、
いまや経営は兄に移行しているので、それをタダでもらおうだなんて発想がない。

ホテル屋の人がホテルの客室で自由に過ごすだなんて発想はないのです。
それは当たり前なのだ、私の感覚と似ているのだなぁと。

そう思うと桜木さんの表現がすんなりと受け入れられるな。

作品のなかに表現される男女と性は「生きる」ってことなのかな。
昨日見た映画「風立ちぬ」に「生きねば」という副題が付いていたけれど、
残念ながら、その「生きねば」の真意は私に響きませんでした。

「ホテルローヤル」には「生きる」という副題が付いても良さそうなものです。
人間が生きるってことには、男女の性やお金のことがつきまとうし、
商売をするってことは、そこに人間関係も生まれ、お金も生まれ、
それがどんなに儚くもろい関係でいつ壊れるのかも分からないもの。
それが生きることなのだと思い知らされました。

今まで自分は、この世界観を知りませんでした。
ラブホテルにも裏方の人が居て、生活をする人がいて、
とくに北海道のように歴史のない土地では意外と希薄な人間関係で成立しています。
5千円でもいいから自由に使いたいという人がいること、
借金のせいで一家離散していまう家族がいること、
恋人に求められるまま素人ヌードモデルになる人がいること、
生活のために支援という名の下に売春する人がいること、
奥さんがいる男性と不倫して妊娠してしまう人がいること、
そういう目線で生きていない自分に気づかされました。

自分の目線がどうも世の中に向いていないような気持ちにさせられて、
見逃していることがたくさんあるのだろう…と気づかされました。
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