同行者はMIFさん。登ったのは8月2日なのだが、書き込みが遅れた原因がある。
それは、下山中に起きた大事件なのだ。
午前4時10分に自宅を出発。
午前6時50分、谷川岳ロープウェイ乗り場の駐車場着。
午前7時40分、ロープウェイを降りて登山開始。
山頂まではガレ場や鎖場もあって、さすが百名山の1つ、登山者も多い。
今回は天神尾根を経由するルートだ。
9月に登る予定の中央アルプス宝剣岳に登るための前哨戦として選んだだけあって、やはり今まで歩いてきた山よりはちょっと上級になる。
途中の山小屋前では休憩し、今回初めて持参した「サタケのごはん」に水を入れる。
いわゆるアルファー化米で、水なら60分で普通のふっくらご飯、お湯なら15分で良いそうだ。
固形燃料も持ってきていたのだけれど、MIFさんが「普通の水で戻したもので十分」というので、今回は水で戻す。
そこからトマの耳、そしてオキの耳へとピークをそれぞれ踏破。
11時15分、ちょっと早めのお昼をオキの耳を少し過ぎたあたりで摂る。
このサタケのごはんは、3・11東日本大震災の少しあとに、近くのホームセンターで試供品として配っていたもの。
賞味期限が、今年10月のもの。でもとても美味しく食べることできて、MIFさんと「今後は、出発するときに水を入れておけばいいんじゃないか」などと話していた。
そう、「今後」があるのなら…。
下山中のことだ。
天神尾根の「天狗の留まり場」という見晴台がある。
天狗の留まり場の入口のそばで小休憩をして、ほんの3・4歩歩き始めた時だ。
私は転倒してしまった。
知っている人は知っているだろうけれど、ここは、本当にわずかな傾斜があるくらいで、ガレ場でもザレ場でもない。
多少のザレはあっても、ほんの少しだ。
今思っても、どうして転倒したのか分からないくらいだ。
左足がもつれたということだろう、転んだ瞬間、左足首がグキッ、ピキピキッという音がしたように思った。
手に持っていたポールをついたはずなのに、それが役立たない。
そして回転する体。
気がついた時には2メートルほど転げていた。
駆け寄るMIFさん。
私は慌てて「靴、靴、靴脱がして」というのが精一杯。
幸い、周りに居た人達が、エアーサロンパスや湿布、テーピングを分けてくれた。
そして、外くるぶしのあたりに痛みがあるものの、とりあえずは立てるので、下山続行。
ところが1歩10センチくらいしか足が出ない。
この捻挫の痛み、もの凄く痛い。
むしろ岩場の方がお尻をついて滑り落ちることができるので先に進めるのだけれど、平坦だったり緩やかな坂道になると途端に歩けない。
転倒してから30分ほどしたら、私がパニックを起こしてしまった。
このままでは、どう考えてもロープウェイの最終時間の17:00までに下山できない。
日没までに避難小屋までもたどり着けない。
MIFさんに「もう私を置いていって下山して」と懇願しても、彼は聞き入れない。
このままでは2人とも共倒れになりかねない。
だから少なくともMIFさんだけは下山して、助けを呼んで欲しいのに。
幸い、天神尾根には避難小屋があるので、1人が1晩くらいならビバークするだけの用具は持っているから避難小屋で落ち合えばいいのに。
そう思っているとMIFさんが「もう限界だな、救助を呼ぶ」という。
結局転倒してから1時間経過してから救助を呼ぶことになった。
6月に映画「春を背負って」を見ていたから、誰かに背負われるのだろうか…と自分の体重を恥じらっていた。
すると救助要請から1時間ほど経過してから、山小屋主のTさんという方と、非番で登山に来ていた県警のSさんという2人がやってきた。
いろいろと話をしていただいて、一人ではないという心強さを得て、そして足を見てもらった。
Tさんはハッキリとは話さなかったけれど、くるぶしあたりを骨折しているかもと。
でもまだ未確定で「ひどい捻挫」という表現をしていた。
MIFさんは私の荷物も背負って下山することになった。
MIFさんに別れ際に「地図持って行って」と渡したものの、そういえばMIFさん、地図読めないんだよな…。
読めないというのは語弊かもしれないけれど、少なくとも私よりは地図を読む能力や現在位置の把握能力は低いのだ。
その後、県警のSさんは他の要救護者が出たので、再び山を登っていった。
Tさんと私、待っている間に少しお話をした。
実は私、知らない男性と2人きりとか、全然ダメ。
ましてや周りが男性だらけになると、パニックを起こしやすくなる。
そしてさらに1時間ほど経過した15:30頃だろうか、ヘリの音がする。
そう思っている間に、県警の若い男性が3人くらい到着。
あっという間にハーネスを取り出し、私の体に装着していく。
ところが、この取り付けの方法が間違っていて、もう一度やりなおし。
じつはこの段階で、ヘリの音と風、男性だらけの状態に平常心なんて全くなかった。
何もかもがコワイ。
そして、ヘリから降りてきたワイヤーがハーネスに装着され、Tさんや県警の皆さんにお礼を言う暇もなく、当然聞こえるわけもなく、つり上げられる。
もう、私の髪が風で巻き上げられて、たぶん黒い綿飴状態で私の視界を遮るものの、怖くて目を開けられない。
そして一瞬だけ空いてしまった目には、眼下に広がる谷川岳の稜線が…。
怖すぎて目を閉じるしかない。
気がつけば、ヘリの横っ腹に乗っている人に回収されていた。
しかし、爆音と振動とまたしても知らない男性に話しかけられて、怖くて仕方がない。
何よりも、ヘリのドアをなかなか閉めないものだから、いつ自分が振り落とされるのかと気が気でない。
ヘリの内部では、座席に座るように指示されるものの、基本的に足が痛くてうまく動けない。
仕方なく、ジェスチャーで左足を一生懸命両手で叩く。
そして、今度は床に寝かせられる。
外の風景を楽しむなんて暇はない。
飛行機嫌いの私はヘリなんて一生乗らないと思っていたのだから。
気がつくと、座席のシートを右手でギュッと握りしめていた。
今度はどこかの中学校近くのグランド脇に到着。
そこには救急車が待機していた。
ここから病院に向かうのだ。
4人がかりで担架で運ばれ、これまた生まれて初めての救急車。
ここも知らない男性ばかりで、怖くて仕方がない。
救急士さんの見立てでも、捻挫かなぁ、骨折かなぁ…という感じだった。
そして血圧がだいぶ低かったみたいだ。
病院に到着後すぐにレントゲン室へ。
足を固定して、松葉杖を渡され、医師の元へ。
松葉杖だって人生で初めてだ。
医師が「腓骨が骨折していますね。かかともずれています。手術が必要です。おうちの近くの総合病院はどこですか?」とのこと。
もう、必死に考え込む私。
骨折だと??
私、骨密度検査でいつも同世代比110%以上なのに?
捻挫じゃないの?手術??
えー!捻挫だと思っていたから1時間も頑張って歩いちゃったよ。
近くの大学付属病院の名前をいうと「大学病院か…」というのでもう一つ大きな病院名をいうと「そこはまずムリだね。大学病院にしておくか」という。
なんてもその医師は横浜出身で、私の自宅近くの病院名は聞き覚えがあるらしい。
紹介状を書くので、月曜日に病院に行きなさいとのこと。
手術では、かかとを正常な位置に戻して、プレートを入れて固定するとのこと。
だいたい1~2週間の入院と、術後処置があって、1~2か月のリハビリを要するとのことだった。
そして気がつくと、県警ヘリに乗ったときに使ったハーネスがまだ自分の体にくっついていたり、靴下が片方ないことに気がついた。
ハーネスは病院に「県警のヘリのものなので返しておいてください」と依頼する。
靴下は救急車で脱がされたので、隊員さんが病院に渡し忘れたのだろう。諦めることにした。
心配なのは、仕事の段取りと私の有給休暇だ。
私は2年前に休職していたことがあったりして、積立休暇5日と有給休暇20日しかない。あとは欠勤と休職になるのだけれど、2年前に傷病手当の申請をしてしまっている。
それに2年前に職場復帰するときに次に何かあったら、退職しようと決めていた。
そんなことを思っているうちにMIFさんが病院に到着。
MIFさんに事と次第を伝える。
会計して帰路につく。
というわけで、谷川岳には登ってきたけれど、自力で下山できなかった無残な結果になってしまった。
登山歴1年目にしてとてもとても手痛い失敗をしてしまった。
この記事を読んで、「迷惑なヤツは山に来るな」という人もいるだろう。
少なくとも、リハビリが終わるまではまともに歩けないし、足首にプレートを入れている間は山靴もまともに履けないだろう。
そして手術が成功するとは思うけれど、失敗したら、歩行に支障が出るという。
山は好き。ケガをしても好き。
けれど、今後山歩きを続けられるかどうかは分からない状況だ。