父が亡くなって、私は涙を流すことなく、なんて情がないムスメなのだろう、と思っていました。
ですが、大相撲初場所のテレビ中継番組を見てギュッと悲しみが湧いてきました。
去年11月のお見舞いの際に「お父さん、お相撲の番組終わっちゃったね。次は来年の1月だからね、また楽しみに待っててね」と声を掛けました。
その時、父は頷いてくれました。
ですが12月になって私が「そろそろお父さんが好きな箱根駅伝の季節になるよ。お父さん、楽しみだよねぇ、もうちょっとだから待っててね」と言うと何にも反応してくれなかったのです。
もうそんなに長く生きられないと自覚があったのかな?と。
それを思い出してしまいました。
その時は悲しみというよりも、父の苦しさ、痛み、寂しさがまだまだ続くことへの焦燥とかまんじりとした気持ちが強かったのです。
今は父を失った悲しみが強くて、もう父に話しかけられないンだなぁ、と。
父の死後、ここまでグッと来たのは初めてです。
実家の果樹園のお手伝いの際に、この季節なら父は剪定作業してたよな、とか思うことはあります。
私が果樹園のお手伝いをしている限り、父の姿を思い出すのかもしれません。
昨春、父が丘の上に続く野良道で転ぶようになったので、私が簡単な転落防止柵を作ったり地ならしをしたり、兄が父用に手すりを作りました。
それも一時は解体しようかと思いましたが、祖母と母がたまに使っていますから、そのままにしています。
父は7月に緊急入院してから1度も帰宅できなかったので、最後に使ったのは6月まで。
それでもなんとなく、父がその手すりを掴んだり、転落防止柵の辺りを歩いている姿を思い出しています。
父が使っていたのはたかが2か月くらいなのですが、それが父が自力で歩いていた最後の記憶です。
そういうことをふと思い出して、お相撲をテレビで見ていました。
すると、ツーッと涙が出てきたのには自分でも驚きました。
なんだ、私、ちゃんとお父さんのために涙を流せるじゃん。
お父さんにお相撲も、箱根駅伝も観てもらいたかったな、と。
まだ私が大学生で、MIFさんと付き合っていた頃、小田原で箱根駅伝の沿道観戦をしたことがありました。
父に「小田原のグーッとカーブするところで箱根駅伝を観たよ」と話したら、すごく羨ましがられました。
だから「来年は一緒に鶴見にでも行ってみる?」と誘ったら断られました。
羨ましがる割には「箱根駅伝はテレビで見るもの」と思っている父に、相変わらず保守的なんだから〜、と思ったものです。
そういう父との思い出が私にはあって幸せだな、と思う瞬間でもありました。