ヒトフデで街歩きすることが好きな私は久しぶりに多摩川土手を歩くことにした。
スタートは向河原駅。
その前に気になる公園に行く。
ベンチだけしかなくて、遊具は皆無、地面はブロック敷。
子どもが遊ぶと言う雰囲気がなく、NEC社員や来訪者が横切る姿しか見かけない。
これは公園と言うのかな?といつも不思議に思う。
向河原駅を多摩川土手方面に進み、交番脇の細い道に入る。
下沼部小学校の増築現場がみられる。
武蔵小杉のタワマンがまたできるので、子どもが増えるのだろう。
多摩沿線道路に出るには階段を登る。
下沼部小学校の敷地内に手を伸ばして押しボタンをプッシュ。
多摩川右岸から下流を望む。対岸は大田区ガス橋付近のタワマン。
土手から武蔵小杉のタワマンを望む。
多摩川右岸は河口から20キロ以上川崎市なのだが、土手上のサイクリングコースは基本的にこんな感じ。
対岸の東京都はもう少し整備が行き届いているせいか、CM撮影は左岸側が多い気がする。
暫く歩くと、河口から12キロ地点。
橋!
横須賀線のトラスが保守用ネットがかかっていて全景が見えなかったのは残念だ。
横須賀線(湘南新宿ライン、成田エクスプレスなども同線路)の橋梁下。
東海道新幹線の橋梁下。
次に見えるのは丸子橋。
左岸の東京側はアーチ橋。川崎側は桁構造なので少し地味目。
でも私は川崎側が好き。
ゴルフ練習場。平日なのにたくさんの人が練習中。
川崎側は有料エリア以外でのバーベキュー禁止。
私はこれは歓迎すべき事だと思っている。
バーベキューの臭いの垂れ流しとごみの始末を考えたら、当たり前のこと。
丸子橋の魅力その1。桁下の僅かなアーチ(カーブ)。
丸子橋の魅力その2。桁下の僅かなアーチの影。陰影がステキ。
丸子橋の魅力3。真下からみるとアーチの僅かなカーブに迫力がある。
丸子橋の魅力4。桁の所に展望台(踊り場)がせりでている曲線が美しい。とくに桁下のアーチと相まって曲線が美しい。
橋に対する愛が深すぎて熱弁してしまった(汗)
この風景は車で通過するときも、多摩沿線道路からも見えない部分なので、歩きの時は熱心に観察してしまう。
ちなみに10年以上前に話題になった多摩川のアザラシ「タマちゃん」が発見されたのはこの橋の橋脚(東京側)。
それと橋脚のイタズラ書きのこと。私は橋の形が好きなのでイタズラ書きはまったく気にならない。
ちょっと気になるモノを発見したので歩道橋に登る。
東急東横線の橋脇に保線区発見。
意外と近くに保線車両が見えることにちょっと興奮。
歩道橋上から。奥の高層ビルは二子玉川あたり。楽天本社など。
正確な位置は分からないが、日本初のサーキットがあったところあたり。ツインリンクもてぎの博物館で知った。
そろそろ等々力緑地。
その対岸は、昔、巨人の多摩川練習場があったところ。ブルーシートはホームレスの家。
気がついたら河口から14キロ。
畑はたぶん違法なもの?
よくMIFさんは「土手を耕すとそこから土手が崩れるから勝手に畑作っちゃダメ」と言う。専門技術者なので言葉が重い。
野球場の先に武蔵小杉のタワマン。
土手の桜並木に小さな苗木。麻シートを巻つけて寒さよけ。かわいいなぁ。
土手の大木。この風景が印象的で好き…というのは日本人的な感覚らしい。
河津桜。様々な種類がある等々力の桜並木のうち、咲いていたのは河津桜のみ。
多摩沿線道路を望む。
河口方面を望む。
地面に散った花が落ちていた。満開を少し過ぎたかな?
さて土手を降りて川崎市民ミュージアムに向かう。
読めるかな?「ガス橋」と書かれている看板。ガス橋は最寄りの橋ではなく、私が土手に登った下沼部よりも下流の橋。
なぜここにこの看板があるのか少し不思議。
等々力緑地に入ったが、市民ミュージアムの方向が分からずカンで歩く。
おお、久しぶりの市民ミュージアム。
ラウンジ?あれ?食堂だったのに無料休憩室になっていた。
ミュージアムショップが無くなった?柱の陰で僅かに書籍を扱うだけになっていた。
今日は無料展示ばかり。有料企画展がない。
今日はこれを楽しみに来た。1960年代の道具展示。
宮前区の農家の風景だそうだ。1980年までこんな風景が当たり前の私にはものすごく身近だ。
うちの実家では90年代まで使ってたそばザル。
昔、カラのへっついに潜って怒られたことと思い出した。
子どものころ、お櫃を使っていたが、籠のお櫃は初めて見た。夏用のお櫃だそうだ。
すり鉢とすりこぎ、わが家では現役の道具なのに過去の遺物扱いの展示。
菜切り包丁は100年前から…江戸時代にはなかったの?えー!本当?知らなかった!
びっくり!!赤電話のダイヤルの中心、西武の背番号3の選手写真が貼ってあった。
どう見ても清原和博容疑者。
なんで今?わざとなの?
私が若い頃のノートパソコン。よく弁当箱って言われていたけど、思ったよりも厚みがあって、液晶画面がちっちゃい。
ガリ版。小学生低学年くらいまではこれが当たり前だった。
米飯給食が昭和51年からとなっていた。私が通った小学校は米飯給食実験校だったので導入は早かったが、昭和50年代後半だった。
たぶん51年は川崎市南部なんだろう。北部の田舎者はいつだって導入が後手だ。
私が使った机と椅子はこのタイプ。2人掛けは使ったことがない。
給食室前にあった黒板。
川崎市出身の坂本九さん。ドラマで坂本龍馬役を演じたのを忘れられない。
体験コーナーの黒電話。今どきの子どもは、黒電話で電話の使い方が分からないのだ。
私がそれを知ったのは、2000年頃。ダイヤルに書かれた数字をひたすら押しまくる子どもを見たときはショックだった。
図書コーナーに行こうと上階へ。
階下のホールを望む。
20年前はここに子ども向けのクイズの機械があった。
私は学生時代、ここによく通っていた。調べ物の史料が揃っているし、何よりもここで学芸員資格のための博物館実習を受けたかったから。
結果として、私が研修を受ける前年度の学生の態度が悪く、私の学校からの受け入れは二度としないと施設側から言われたそうで、学校からもこの博物館には絶対アポ取りするな、と口酸っぱく言われてしまいほかの博物館で研修を受けた。
これまでたまには訪れていたが、今日の閑散さと企画展の弱さを見ると、今のこの施設で研修を受ける気になっただろうか?
マンスリー企画展示も見たが、特別企画と言うには展示史料・資料は僅かで、残念としか言えなかったので、ここでその展示内容は書いていない。
学生の頃は常設展示も有料で、あまりにも通っていた私は友の会に入会して割安で入場していたが、今は無料。
開館から30年近く経つが、なんだか行政の重荷になっている印象で悲しくなる。
学芸員になりたいと思っていた若き日の私、結局なれなかったけど博物館や美術館巡りが好きな私には、残念な気持ちが残ってしまった。
トーマス反射炉。鉄鋼都市かわさきのシンボル。
今日はモヤモヤした気持ちを抱えて等々力緑地のグラウンドを横切る。
川崎フロンターレの本拠地、等々力競技場。
川崎市のジンクスで「税金でスポーツ施設を整備するとプロ球団が去る」と言われているそうだ。
大洋ホエールズ(現DNA)やロッテは川崎球場から去り、川崎ベルディ(現東京ベルディ)も等々力競技場から去った。
一昨年だったかな?客席に大屋根を設置した等々力競技場だが、今回はサポーターがかなり寄付をしていると聞く。
改修工事をしても出て行かなかったフロンターレは素晴らしい。
競技場から少し歩くと川崎市公文書館。ここも学生時代によく訪れた。
今日は少し歩きすぎたのか少しだけ左足のアキレス腱が怠くなったので、公文書館前のバス停からバスに乗って武蔵小杉駅に行く。
早春の明るい日差しを感じながら、思ったよりも歩ける足に感謝しよう。
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makoto
ふるやのもり
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