まだくるぶしの下がひどく痺れる頃だった。
「こんなはずじゃなかった」という手術以来思い続けている恨めしい思いが離れていない頃だった。
当時ほどの痺れはないものの、今も痺れている足を思えば、こんなはずじゃなかった…かな。
それよりも来月手術することに気持ちは傾いているけど。
抜釘手術で、もしかしたら痺れが緩和するかもしれないし、またあの激しい痺れの再来かもしれない。
揺れる気持ちはあるものの、「手術するんだ!」という意気込みがある。
思えば10年前、祖父が転院して大学病院に入院したときも「良くなりたい」の一心だったはずだ。
ところがもう手が施せない末期の肺がんだったのだが。
そのお見舞いのついでに病院近くのユニクロで購入したカーデガンを今も着ていることに気がついた。
その近くの手芸店で見つけた貝ボタンが美しくて、ガーデガン購入後すぐに貝ボタンを付け替えたんだっけ。
私が持っている衣料の中では最古参になっている。
たぶんカーデガンがダメになっても、ボタンは付け替えて使い続けるだろう。
毎日お見舞いに行った日々の思い出だから。
もう、祖父が入院から死去に至るまでの日々から10年経つのか。
そう思い出してしまった。
あの2ヶ月間、私はほぼ燃え尽きてしまった。
戦後60年のあの夏は忘れられない。
祖父に会いたい。
そして伝えたい。
祖父が思っていたことと違う道を歩もうとしている私がいるよ。
期待に応えられなくてごめんね、と。
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