万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

白石楠花

2010年04月08日 | Weblog
これらの石楠花は「屋久島石楠花」と云うことでした。石楠花はいずれも花が堂々たる花を咲かせます。一輪一輪は大きな花ですが木そのものはなかなか大きくはなりません。
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石楠花 赤(しゃくなげ)

2010年04月08日 | Weblog
庭の石楠花が咲き始めました。この深紅の花や白石楠花など3種を20年位前に求めたものです。
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雪柳(ゆきやなぎ)

2010年04月08日 | Weblog
雪柳もバラ科の花です。雪の季節は過ぎましたが、今雪柳は真っ白に咲いています。この白さは本当に雪が積もったよう、清潔感あふれる雪柳です。
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結の家(ゆいのいえ)からお参り

2010年04月06日 | Weblog
子どもたちと入れ替わりに、野々江にあるグループホーム「結の家」の入居者13名が5人の介護職員の方とお参りに来られました。今回は車椅子の方の参拝が5名でした。お正月のお参りの時には99才になる長尾春子さんは頚骨骨折のため見えませんでしたが花まつりには車椅子でお参りに来られたのには驚嘆いたしました。本年7月で満100才になられるのです。
 明日4/7日は私の誕生日、68年前誕生の折にこの長尾春子さんが私を取り上げて下さった助産婦さんなのです。尋ねるとそのことをまだ覚えておられるのにまた驚きました。
 「結の家」の方々は自然にお念仏を申されることが有難いことです。
 花御堂の右側でお参りしている白髪の人が長尾春子さん、100才になられます。
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記念撮影

2010年04月06日 | Weblog
本堂向拝で参加者全員で記念撮影。全員でVサイン。 
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花まつり

2010年04月06日 | Weblog
4/6快晴、本日午前10時30分より「花まつり子ども会」を開催いたしました。
愛護会や老人クラブの協力をいただき本年も盛会でした。
 1、お参り(らいはいのうた) 2、ご法話 3、レクレーション(ゲーム、紙芝居など) 4、会食(特製カレー) 5、お楽しみプレゼント 6、記念撮影 
 40数名の子どもたちにお母さんの参加10人などで久しぶりに本堂も境内も歓声が上がりました。
 写真は一人づつお釈迦さまの花御堂に甘茶をそそいでお参り。

  
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多々良岬の桜(たたらみさき)

2010年04月05日 | Weblog
4/5今治の法務からの帰途大三島インターに降りると多々良岬の桜が目に入りました。多々良大橋に桜色の雲がかかっているように見えたのです。多々良岬の展望台まで上って多々良大橋を撮影してみました。近くに居ながら初めて上ったことです。

大三島辺りの染井吉野の開花は意外と遅いことをご存知でしょうか。しまなみ海道は瀬戸内海のほぼ中央に位置しています。春になると日本列島に南方から暖かい潮流が流れ接近して来ます。瀬戸内海にも豊後水道や紀伊水道には暖流が流れ込むのですが瀬戸内海の中央部には至らないのです。中央部の海水は冬に冷えたままで干満を続けるので朝方の気温は異常に冷え込むのです。桜の開花が遅いのはその所為だそうです。
しかし本年は3月下旬に寒波があって全国的に予想より遅くなったようですが・・・、大三島の桜はこれから満開です。
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カレンダー4月の法語

2010年04月02日 | Weblog
法語カレンダーも早4月がめくられています。今月は桜カラーのペイジです。

 法語は先月に続いて今月も『唯信鈔文意』から選ばれています。

   釈迦は慈父(じぶ) 弥陀は悲母(ひも)なり 

註釈版聖典のp702のご文を紹介しておきます。聖典をお持ちの方はお読みください。

 誓願真実(せいがんしんじつ)の信心をえたるひとは、摂取不捨(せっしゅふしゃ)の
 御ちかひにをさめとらせたまふによりて、行人(ぎょうにん)のはからひにあらず、
 金剛(こんごう)の信心をうるゆゑに憶念自然(おくねんじねん)なるなり。
 この信心のおこることも釈迦の慈父(じぶ)、弥陀の悲母(ひも)の方便(ほうべん)に
 よりておこるなり。これ自然(じねん)の利益(りやく)なりとしるべしとなり。

はからい心の殊の外強いこの私をどのようにして気づかさせ、救わずにはおかないと真如よ

り南無阿弥陀仏の声の如来さまとなって来って下さってあります。お釈迦さまも阿弥陀さま

も一如と受け取らせていただいておりますが、しいて云えばお釈迦さまは、気ままで勝手

な煩悩支配に安住しているこの私に真実への道を示し知らしめて下さいます。それは涙が出

る、血の出るようなお仕事です。

阿弥陀さまの御はたらきは、この私が如何に背き逃げようとも、抱き続け「摂取不捨」(せ

っしゅふしゃ)と涙して下さいます。

 この私が一声「南無阿弥陀仏」(ナマンダブツ)と渋々お称えすれば、お釈迦さまも阿弥

陀さまもともに「ナマンダブツ」とお称えになられます。このような世界を「憶念自然」

(おくねんじねん)と申されているのでしょうか。

 徳力さんの版画図は29才の親鸞聖人が六角堂の100日参籠に続いて東山吉水の法然聖人の禅房を聴聞に訪ねられた時の模様が版画されています。


 
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三室戸(みむろど)

2010年04月01日 | Weblog
日野から宇治に向かって暫く走り、と云っても三室戸寺は宇治市になります。
莵道(とどう)と云う所の滋賀谷と呼ばれる谷を登ったところに三室戸寺は建てられています。車のない時代のその昔は大変な人里離れた禽獣が住処とするところであったのでしょう。
実はこの寺に親鸞聖人のお父様の墓所があるのです。ご尊父日野有範(ひののありのり)卿
は後白河天皇の第2王子以仁王(もちひとおう)が中心となっての平清盛討伐の鹿ヶ谷での謀議に加わり、それが発覚して平家に追われる身となられたのであろうとの説が今日の定説となっています。
 それは親鸞聖人の6才のころのことであり、その後有範卿は身を三室戸に隠され出家され、三室戸の入道と呼ばれていたことが「日野家系図」に記されています。

ともあれこのようなことが親鸞聖人ご家族、幼いご兄弟の身の上に勃発したことは史実であったのでありましょう。
 
 三室戸寺には私は初めてお参りさせていただきましたが、境内の一番奥まったところに日野有範卿廟所、「阿弥陀堂」が建てられてあることを知り得ました。それは聖人の末娘覚信尼様(有範の孫)によって建てられたと記されていました。

 三室戸寺は今は花の寺のようです。谷一帯に皐月と紫陽花が植えられ、境内には蓮の花が何十鉢も植える準備がされていました。

 3/31の京都は僅か5時間の駆け足行程でした。京都駅で遅い遅い昼食の掛け蕎麦をすすったのが4時前のことでした。
聖人の出自や幼年期のことなどあれこれと追想、追慕思考させていただきながら、私の750回大遠忌御待受けのささやかな行動となったように感じました。

 写真は三室戸寺に建てられている日野有範卿の廟所。
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蓮枯れ

2010年04月01日 | Weblog
法界寺の隣に親鸞聖人の誕生寺が本願寺に依って建立されています。その道すがら古池がありまして枯れた蓮が水面にクキクキと沢山残っていました。
寂々とした風景ですが、夏には又精気に輝くことでしょう。
 池の向こうに法界寺の薬師堂が見えます。
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