数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

久しぶりの卓球の試合(4)

2025-02-25 21:27:42 | 日記
 翌日の月曜日.午後には帰る予定ですが,夕方までに変えればいいので,昼を東京で食べてから帰ることに.長女はこの日は在宅勤務で,少し朝のうちに立ち寄って,時間を過ごし,10時過ぎにマンションを後にします.朝の電車のラッシュを避けて,川崎からまず東京へ出て,神田の書店街へ行くことに.
 お茶の水で降りて,昔と変わらない駅のホームが懐かしく,神田川の対岸に見える東京医科歯科大学,今は東京科学大学の建物や順天堂大学の医学部の病院の建物が新しくなった印象があります.それだけ,久しぶりということかなと,月日の経つのを実感します.
 昔,初めてお茶の水の駅で降りたとき,西口の改札口を出たところでは,ハンドマイクでアジテーションを繰り返している学生たちが印象的で,更に,靴磨きの人もいて,サラリーマン風の人が,足を片方ずつ出して,靴を磨いてもらってる光景もありましたが,今は昔.昭和の光景です.
 交差点の角にはパチンコ屋もあった記憶がありますが,今は変わっています.古本屋のある神保町に向かって,坂を下りていきますが,昔と同じように楽器店が何軒か連なっています.昔は,明治大学の他に,中央大学もこの一帯にあり,明治の建物は大きく高層ビルになり,すでに中央大学は郊外に移転してしまいました.理工学部はまだ,神田川の北側の方にあるらしい.
 坂を下っていくと,工事中の三省堂の建物が目に入りますが,多くの書店は11時が開店なので,まだシャッターが閉まっています.ここに来ると立ち寄るのが,東京堂書店,書泉グランデ,明倫館です.最近の東京堂書店は,昔に比べ,数学書もある程度置いてありますが,それ以外の本の選び方が,独特の感触があり,思わず買いたくなる本が並べられている感じです.
 書泉グランデは,昔と変わらない建物で,ということはもう40年以上変わってない感じかな.ここでは,数学書のコーナーだけが立ち寄る感じですが,以前,日本数学協会の会誌「数学文化」37号で,この書泉グランデの数学コーナーの担当者の布川路子さんが,エッセイを書かれていて,今も印象に残っていますが,このコーナーは数学書の量としては少なめですが,他では目にしない,オンデマンドの岩波の数学書などが置かれていて,他では手に入らない新刊書に巡り合えるかもしれません.おそらく,お客さんの声が届いてその結果が表れているかもしれません.次に,科学書の古書店の明倫館へ.行くのはいつも数学書のコーナーですが,決して広くはないところに,所狭しと並べられた数学書の数は洋書も含め全部眺めるだけで1時間はかかりそうです.すれ違うスペースもないくらいで,移動するのが大変です.それと,値段が高いという印象があります.例えば,
は,私の興味ある分野の本ですが,元の定価と同じ各4200円でした.もっとも,絶版というか,昔の本などは定価以上の値段になっていますが.さらに,昔はなかった数学の受験参考書なども私の受験生時代の50年ほど昔の本が,例えば旺文社の傾向と対策などが数千円で販売されています.
 昔から思っていたのですが,参考書というたぐいの本は,受験が終われば,捨ててしまった気がします.教師になって感じたことに,教師も自分が使った教科書を年度末には捨てていた気がします.そうして同じように,一生懸命生徒に教えた数学の教科書も同じように私の本棚にはほとんど残っていない感じです.いつの頃からか,このことに気が付いてから,使った教科書は残しておくようになりましたが,大切に使ったはずのものを使い終わったら捨ててしまったことに今になって反省している次第です.
 
等は,自分が高校生の頃から続いていた参考書で,駿台のテキストや河合塾のテキストにもこれまでも多く問題が選ばれていた本であり,いまは,この研文書院もなくなり,このシリーズもなくなり,問題集の解説本ばかりで,残念な気がします.高校の数学教師になって,もう一度読み返してみると,筆者の意図が鮮明になってくることも有り,そんな本が無くなっていくことと並行して,日本の大学受験の勉強方法などもHow toものが多くなっているように感じます.折しも,今日は国公立大学の前期試験ですが,明日以降,また京大や東大の数学の問題も少し気になりますが,また解いてみようかと思っています.
 そんな明倫館を後にして,またお茶の水から東京駅へ.そして新幹線で帰路につきました.何とか夕方までには家につき,とにかく45年ぶりの卓球の試合は全勝で,また次回にはリベンジに燃えて彼も練習して来ると思うので,こちらも体力の続く限り(こんなフレーズを使う自分になったのかと悲しいが)故障しないように卓球も続けたいという想いを新たにしたのでした.完

久しぶりの卓球の試合(3)

2025-02-12 06:20:53 | 日記
 翌日の日曜日,友人との待ち待ち合わせは午後2時なので,時間も余裕があるので,35階のゲストルームから見える多摩川の景色を眺めながら,ゆっくり朝食をとります.一人では広すぎるゲストルームですが,部屋から周りを見ても一番高い建物なので,視界を遮るものがなく,遠くまで眺めることができます.窓の向きが北側で,遠く東京の高層ビル群も眺めることができます.長女は25階に住んでいて,窓が南西なので,天気のいい日には富士山を眺めることができて,感動した覚えがあります.
 10時ごろに部屋を出て,東京に向かいます.時間まで少し余裕があったので,東京駅で降りてまた「丸善」に向かい,昨日食べられなかった早矢仕ライスをと喫茶室を覗くと,日曜の昼なのに空いていて,余裕で窓際の席を確保でき,早速,早矢仕ライスを頂きました.また,少し本を渉猟しながら友人との待ち合わせ場所の三鷹駅に行きます.
 三鷹駅で降りるのは45年振り位です.大学を出て就職して,仕事で,半年ほど当時の電電公社(今のNTT)の武蔵野電気通信研究所に通っていました.三鷹駅で降りて,北側のロータリーで研究所行のバスが出ていた記憶があります.そんな懐かしさも思い出してくれる三鷹駅に着くと改札口で友人が待っていてくれました.思わず,握手を自然としてしまいます.
 向かう場所は,ITS(アイティーエス三鷹)卓球クラブで,1988年に設立された伝統あるクラブで,友人はその会員になっていて,いつもそこで練習しているようです.駅から南側出口を出て,歩くこと数分で数階建てで,通りに面したビルでした.1,2階が卓球上でその上は住居になっているそうで,有名な卓球人である荻村伊知郎氏が設立したクラブです.

 荻村伊知郎氏は,世界選手権で12個のメダルを獲得し,国際卓球連盟の会長として卓球の普及に努めたMr.卓球と言われた人物です.私も卓球を始めてから書籍等を通じてその存在感の大きさを感じてきました.

特に,現役後半からスウェーデンで卓球の指導をして,日本式の攻撃卓球をカット主体の当時のヨーロッパ卓球に導入して,今のヨーロッパの攻撃卓球の礎を気づいた人です.その初期の指導した選手で最初に世界チャンピオンになったステラン・ベンクソン選手は1971年名古屋で行われた世界選手権の男子シングルスで,その指導の成果を発揮して優勝した時,私も同じ世代でしたので,大きな衝撃を受け,その後大学で再びラケットを握ったとき,ペンホルダーグリップからシェイクハンドグリップに変え,ベンクソン選手に憧れていたものでした.当時,スウェーデンの卓球メーカーで今も有名な,スティガ社の攻撃型のラケットが日本の卓球メーカーのヤサカが輸入して,日本での攻撃型のシェイクハンドラケットの草分け的存在になりました.北欧の合板技術を生かして,その厚さ5.5mmの5枚合板のコンパクトなラケットにより,日本でも今のシェイクハンドのグリップの卓球の原点がこのラケットにあるとも言えます.


左から,スベンクソンモデル,真ん中はカールソンモデル,右がリンドモデルと世界選手権のメダリストの名前がそのモデルにもなっていました.写真のベンクソンモデルは素材がクリッパーウッドと言われ,40年以上もたった今でも発売されている超ロングセラーのラケット,写真のラケットはその初期モデルで木材の7枚合板です.当時はまだカーボンラケットもない時代で,シェイクハンドのラケットはカット用でしか日本にはなく,今とは違って,90%以上がペンホルダーグリップでした.当時,京都の卓球強豪高校の東山高校ではいち早くこのスティガーのラケットを使う選手が出て,活躍し始めました.
 京都は男子で言えば田坂登起夫選手いやその前の世代では女子の西村登美江選手など世界選手権でのメダリストを輩出して,卓球が盛んでした.今年の全日本選手権男子シングルスで優勝した松島選手は,上記の田坂卓研で小さい頃から練習して,今に至っています.

 私がよく練習していた町の卓球場が京都卓球センターで,河原町今出川を少し下った西側に入ったところにあって,そこにはスティガのラケットも置いてあり,販売もしていました.いつも受付のおばちゃんが愛想よく迎えい入れてくれて,そのうち名前も覚えていただき,毎週訪れる私たちを息子のように接してくれるようになりました.
 その後,京都を訪れた際に行ってみると,アパートに変わっていて,茫然とした覚えがありましたが,1階と2階が卓球場で,いつも練習は2階で貸し切ってもらって練習させてもらっていました.あるとき,上記の西村選手がその娘さんと練習しているのを見ましたが,西村さんの卓球専門店が河原町三条にあり,時々そのお店にも足を運んでいました.その西村さんは時々,この卓球センターで娘さんの練習相手をされていたのですが,娘さんは全日本ジュニアで準優勝して,その後,近畿大学に進学され,活躍されましたが,娘さん相手にその強打をブロックしてのすごい練習が始まると,周りの人たちはラケットを持つ手を休めて,その練習に見入ってしまうという光景が何度もありましが,今は昔です.

 さて,友人が案内してくれて,ITS卓球クラブの建物に入って,受付をして,2階の更衣室で着替えて2階の練習場で開始です.練習場に入ったときには,誰もいない状況でしたが,暫くすると,男女5名ほどがユニホーム姿で入って来られました.年齢的には,我々より少し下かなと思われる方々ですが,私の友人に挨拶をされて,同じこのクラブの会員らしい方達です.友人曰く,よく練習に来られていて,東京選手権等にも出場されたりして,いかにも熱心に取り組んでいる雰囲気がこちらにも伝わってきます.とにかくミスが少ないところからそれが伺い知れます.
 しばらくウオーミングアップをして,45年ぶりの試合開始です.ウオーミングアップの時から感じていたのですが,昔より友人の打つボールが遅くなっていて,年月の流れを感じますが,フォームは昔を思い出させてくれます.3試合程ゲームをして,1セットだけ失っただけで,私が全勝です.友人はこんなはずではと悔しい雰囲気がこちらにも伝わってきます.昔は,21点ゲームで,サーブは5本交代で,ボールはセルロイドの38㎜でしたが,今は11点ゲームでサーブは2本交代で,ボールはプラスチックの40㎜です.昔ほどスピードも出なくなり,スピンもかからなくなったと言われていますが,それに伴ってラケットやラバーも進化して,プレースタイルも変わってきています.

 少し休憩して,友人はスペアのラケットを取り出し,さらに3試合のゲーム開始です.友人のスペアラケットはラケットのブレードは同じですが,ラバーのバック側がスポンジが入っているのと入っていないの違いです.友人はカットマンでバック側が粒高ラバーです.私は両面裏ソフト(バタフライのディグニクス05特厚)でラケットはSTIGAのサイバーシェイプカーボンです.
4年ほど前に発売されて,その形状からセンセーショナルなデビューでしたが,これを使って,スウェーデンのモーレゴード選手が世界選手権で銀メダルを獲得して,有名になったラケットでもあります.私も実質,10年振り位にラケットを持った感じで,新しく新調するに際して,思い切ってこの斬新なラケットを使うことにしました.上述したように初めてのシェイクハンドラケットがSTIGA社のラケットでしたが,この新しいラケットは,形状からスイートスポットが広く,ドライブよりはスマッシュ系の強打を打つのに有利な感じがします.
 友人はラケットを変えても結果は同じで,3試合とも私の全勝で終わりました.昔は私が負け越していたのですが,45年ぶりの再試合では私が全勝したので,友人は口には出しませんでしたが,ショックを受けていたようです.裁判官として激務をこなしながらも,定期的にきちんと卓球も続けてきたようですが,一方の私は,高生の卓球部の顧問・監督として,生徒相手には,本格的には自分でプレーしてはいませんでしたが,練習相手でラケットを握っていたことが,今回の結果につながったかもしれません.
 2年ほど前から週1回で,2,3時間ほどラケット握って,今度は自分のために練習し始めて,また新たに卓球の面白みを味わっているのが,今の私です.

 2時間ほどしっかりプレーをして,シャワーを浴びて,予約してくれていた居酒屋で夕食です.時間のたつのも忘れる感じで,45年の月日を2時間ほど,お互いが巡りながらの楽しい卓球,人生談議に花を咲かせましたが,時間を忘れるとはこのことのような感覚です.以前このブログで紹介した


についても,聞くことができ,実際のこの著者の本の内容に関しては,真実という点では,20%くらいかなというのが,友人の元高裁の長官の正直な話でした.任官時期も近く,よく知っている様子でしたが,本を読むより,実際に友人に聞くことで,リアルな感覚をこちらももつことができました.原発の事や,リニア新幹線等これまでもこのブログで書籍を通じて言及してきたことに関しても,裁判官としての友人の意見を交わすことで,大いにこちらの勉強にもなりました.(続く?)



久しぶりの卓球の試合(2)

2025-02-07 17:48:57 | 日記
 東京に着いたのが午前11時頃で,夕方に川崎で,長女夫婦と孫2人,長男夫婦と食事の約束があるものの,それまでは時間があるので,趣味のCarpFishingのショップに行こうと,事前に営業等を確認してあり,この日は営業しているというメールをもらっていたのですが,念のため,ショップのWebページを確認すると,何と臨時休業!.場所が、あきる野市なので時間もかかるので,知らずに行っていたら大変な時間ロスになっていた.メールで知らせてくれればいいのにと,ショップの姿勢に愕然.
 そこで,もう一軒のショップ(といっても,東京近辺には,この2軒しかない)に行くことに.ここは営業時間等も確認して,営業中なので,安心です.東京駅で京浜東北線に乗り換え,西川口で下車.駅について,電話するとオーナーのジェイムズが例の片言の日本語で対応してくれる.そこから徒歩10分ほどでショップのUKcarpに到着.2年ぶりくらいですが,年に数回電話で話すことも有り,また,イギリス人の共通の釣り友達もいるので,久しぶりという感覚は少なく,すぐに打ち解けて,釣り談議の開始です.日本では鯉釣り人口がイギリスに比べて桁違いに少なく、本場のイギリスのCarpfishingの話を聞くのは新鮮な気分のさせてくれます。今回は特に餌のボイリーに関しての話題を中心に本場イギリスのマーケットの話から更に、様々なターミナルタックルが中国で作られている中で、中国のメーカーの姿勢なども聞けました。中国のメーカーは特に製品の安さを強調するのが特徴ですが、その製品を依頼するイギリスの会社の姿勢は、安さよりよりクウォリティーの高さを求める姿勢があり、ユーザーとして直接中国から安い製品を買うのもどうかなと、改めて考えさせられました。
 2時間ほど時間を過ごし、遅めの昼食をと考えながら、せっかく東京に来たのだからと東京駅まで戻り、丸の内の丸善へ。まあ、いつも東京へ来た際には、ここに寄り、早矢仕ライスを食べるのが一つのルーティーンになっています。そこで、エスカレーターを上がって着くと、午後2時くらいでしたが、長蛇の列で、列に並んでまで食事をするのが嫌な自分には耐えられなく、場所を変えて昼食をとることになりました。せっかく丸善に来たので、いろいろ本を渉猟しながらの時間はある意味自分の至福の時間でもあります。
 いつものように勝手知ったる和書の数学コーナーへ行くと、以前来た時より充実してるなあと思いながらも手前から目新しい本がないかと探し始めます。
目についたのが、小林俊行氏の「地力をつける 微分と積分」という本で、東大の文系の1回生向けの本で、微積分を文系の人にも理解できることを意識しながらも読める感じで、講義ノートをもとに編集された本で、前回のブログで書いた、ラグランジュの未定係数法についても文系の学生にも理解できるように書かれていて、立ち読みしてしまいました。有名な数学者がこの手の内容の講義や本を書くのは私が学生のころにはありえないことで、今の学生は恵まれているなと思うとともに、数学者も教育という面でかなり時間を割かれていることを実感しました。面白い内容なので買おうと思ったのですが、今回は卓球関連の荷物が多く、重く感じていたので、後日またアマゾンでもと考え、買うのはやめました。さらに周りを眺めると、この書棚の1列全部が数学書のコーナーになっていて、以前より増えているなと実感しました。奥の方は確率統計が多くのスペースを締めていたのでしたが。
 上記の小林氏の本は数学関係の新刊書のコーナーにも平積みされていて、後ろ髪を引かれる思いでした。その後は、文房具コーナーに立ち寄り、最後は洋書の数学コーナーでした。数学の洋書コーナーに関しては、京都の丸善の方が充実しているように感じました。その後、荷物にはならないかと文庫本の
を買いました。流石に理系の作家でないと書けない内容ですが、数学オリンピックを「数オリ」と書いたり、飛び級のことなども織り交ぜてることも含めて、今の入試や大学のことも肌感覚として理解している作者に驚きました。数学をある種テーマにした小説としては、リアルに感じられる場面設定など面白いです。自分の高校大学時代も思い出させてくれる意味で、数学には疎遠な人でも引き込まれる、はたまた母親目線にもなれる内容で、読者がそれぞれの場面で自分に当てはめて思いを巡らせながら読んでしまう作品でした。
 夕方の近づき、集合場所の川崎駅前で、長女長男夫婦とその子供たちとゆっくり食事を楽しみながら、一日が過ぎました。宿泊先は、長女のマンションのゲストルームで格安で利用でき、節約できます。(続く)

久しぶりの卓球の試合 (1)

2025-02-06 05:09:38 | 日記
 土日に東京へ行きました.4,5日ほど腰痛に悩まされていて,少し卓球の練習のしすぎか?その後,車に座っていて,急に痛くなり出して,いわゆる坐骨神経痛です.行きつけの整体に行くも,どうも金の無駄になりそうで,1回で辞めて,ネットで,坐骨神経痛に効くストレッチの動画をいくつか見ながら,試してみる中で,よく効くのを見つけ,それを毎日繰り返す中で,かなり改善されてきています.
 さて,今回の上京の一つの目的は,45年ぶりに大学時代の卓球同好会の当時の友人と試合をすることです.当時は,暇があるとよく試合をしていて,気がついたら200試合近くやった記憶があり,私の負け越しだったと思います.今回は,昨年暮れに45年ぶりに,大学の卓球同好会の同窓会が京都で開催され,その中で今でも卓球をしているのは,私とその友人だけでした.それで,機会を設けて近いうちに試合をしようと意気投合して,今回の運びになりました. 
 卒業後は,私は紆余曲折あって結局,郷里で高校の教員になりましたが,彼は裁判官として東京地裁を皮切りに,朝のテレビドラマ「虎と翼」で有名になった裁判官が最後に務めた家裁の所長を同じように勤め,そこから最後は高裁の長官まで上り詰め,今は潔くリタイヤしています.
 若いとき,私の結婚式の司会をしてくれた,懐かしい友人でもあります.お互い忙しく,その後は,中々会う機会もなく,気がつけば40年以上も会っていないことになっていました.
 土曜日に東京へ行く前に,金曜日の夜はいつもの様に2時間ほど練習をして試合に臨みましたが,まだ腰の痛みがあり,少し不安もあるものの,ストレッチで痛みが和らぐのもわかって,いざ東京へ.
 土曜の朝,三重の松阪を出発して,快速みえ,

と新幹線のぞみを乗り継いで,3時間ほどの列車の中で,何を読もうかと持っていく本を考えて,読み切れる本をなかなか選定できず,困った挙句,いつでも取り出してどこからでも読めそうということで,
を選びました.
ブックカバーをして,いざ出発.
 適当に開きながら,グレブナ基底の基本的な確認とその簡単な応用例として,ラグランジュの未定係数法の例と,パラメータ表示された式から,パラメータ消去の例を読んでいきます.
 パソコンもなく,したがって,mathematicaのような数式処理ソフトも使えない中で,手計算でグレブナ基底を計算してみました.
 高校生に,最大最小問題でのラグランジュの未定計算法を紹介することでは,接線ベクトルや法線ベクトル,偏微分等を話しながら,少し大学で習う数学も紹介することにより,視野を広める狙いです.例として,楕円の方程式g(x, y)=x^2/a^2 +y^2/b^2=1の下で,f(x, y)=x+yの最大値を考えます.高校ではx=a cos t , y=b sin tと置いて三角関数の合成を用いて,三角関数の合成からfの最大値は求められますが,ラグランジュの未定係数法では
▽f(x, y)=λ▽g(x, y) , g(x, y)=1 ・・・①
の連立方程式を解くことで,極値を与える座標とλが求まります.ここで,▽f(x, y ) = (f_x, f_y)・・・(*)を表します.この連立方程式を解くことで,極値を与える座標が求まり,最大値も求まります.生徒には(*)の意味などを説明して,①の正当性を説明しながら,三角関数の合成による結果と比べます.特に,容易にx=a cos t , y=b sin t のように媒介変数表示ができない例も示して,その有効性を示します.
 さて,この連立方程式を解く際に,lex順序 λ>x>yで,
▽f(x, y)ーλ▽g(x, y) , g(x, y)ー1
のグレブナ基底を計算することで,極値を与える座標が求まります.この例の場合では,結果もわかりやすいので,列車の中で手計算で,グレブナ基底を計算していきました.
 パラメータ消去の例では,円のパラメータtによる表示として,
x=(1+t^2)/(1-t^2), y=(2t)/(1-t^2) ・・・②
を考えました.高校では,この場合は,上記の式をtとt^2の連立方程式と見なし,tとt^2について解き,t=f(x, y), t^2=g(x, y)を求め,
 {f(x, y)}^2=g(x, y)
とすれば,パラメータtは消去されます.高校の授業では,この後,②がどのようにして導かれるか,すなわち,単位円と (-1, 0) を通る傾き t  の直線との交点の座標 (x, y) が②のように表示されることを,図を書いて計算を示しながらの説明を行います.
 今回は,②の分母を払い,f_1 (t, x, y) = 0, f_2 (t, x, y) =0として,f_1 (t, x, y) と f_2 (t, x, y) のグレブナ基底をlex順序 t > x > y で求めるとパラメータ t を消去した式が得られます.これも結果はわかっているので,手計算で行いながらアルゴリズムの確認を行いました.
 上記の2つの例のでは,連立方程式を解く際にlex順序でグレブナ基底を計算することが有効であることを示していますが,グレブナ基底をこのように手計算で実行するのもアルゴリズムの確認などにも有効です.そういえば,昔,途中で計算間違いをしなくても手計算で1時間以上要する具体例を計算したを思い出しました.
 新幹線の車内には手元に小さなテーブルが下せるものの,ノートは使えない広さなので,
メモを使います.右は,計算するのに横長で便利です.左は通常のメモ書きですが.ちなみにパーカーのボールペン,ジョッターの長さがカバーにぴったりの長さです.計算はシャープペンシルでいつもの
ぺんてるのTAFFの9mmです.もう10年以上使っています.折れない,消しゴムが使いやすくよく消える,安い,使いやすいので,まとめ買いしてあります.
 今はパソコンなどで文字を入力することが殆どで,車内で計算している人などは皆無でした.そんな訳で,名古屋までの列車内では本を読み,名古屋から東京までの新幹線では計算しながら時間を過ごすことができました.やっと,東京につきました.(続く)

良い教師は・・・

2025-01-30 17:57:55 | 日記
 良い教師は、生徒の名前を覚えるのが早いとか。その意味では私はよい教師ではありませんでした。年を取るにしたがって、覚えるのが遅くなってきて、挙句の果てには、覚えなくてもいいかなと、開き直る始末でした。目立つ生徒は自然と覚えるのですが、そうではない生徒は覚えきれてなかったです。名簿は持っていたので、指名することはできましたが。尤も、大学1,2年では名前を憶えていて、授業をされた記憶はほとんどありませんが。
 教育論議では、例えば部活指導で教員が大変だという話題では、主に中学の話であり、モンスターペアレンツの話では、対象が小学校であるのに、対象を明確にしないで、小学校から高校までを十羽一絡げにした議論になりがちです。高校生を教えていて、小中学校からの議論の延長線上での議論の立て付けが多く、その結果、例えば高校3年生を教える中では、教育議論が当てはまらなく、却って大学1,2年生に視点での議論が参考になった記憶が強くあります。
 文科省の組織では、小中高(初等中等教育局)と大学(高等教育局)は別組織である点が情報や議論の対象も影響を受けていると考えられます。 
 いずれにせよ、いい授業をすることが大切で、ややもすると、小中学校では、今流行りの形式の授業をすることに重きを置かれ、授業内容に関する議論が薄められる傾向にあるように思われます。高校では、授業内容が問われることが多く、それが大学ではもっと顕著になると思われます。
 しかし、どの段階であっても、児童生徒や学生が教師の話に興味をもち、注目するための話術や話の展開に関して、もっと教員として意識を持つべきであると今更ながら感じます。もちろん作られた噺ではなく、リアルタイムの対話に近い側面も授業にはありますが。それら二つをミックスしながら作り上げられる授業は出来上がりの旨さが味わえれば最高ですね。
 私も時々、授業の導入や話の掴みなど、噺家を参考にできればと思っていましたが、残念ながら、その実践までには到達できませんでした。
 そんな思いもあってか、最近、新聞の書評欄に書いてあった本で、噺家の書いた
を読んでみましたが、なるほど、いたるところにその噺を彷彿させる文言に成程と思わせられる箇所も多く、一気に読んでしまいました。作者は私より少し年上ですが、ほぼ同世代であり、時代感覚も近いことから惹きつけられました。噺家の徒弟社会と学校という組織での指導教育という点でリンクできるところもありかなと感じます、部活動の指導なども含めて。
 興味深く読めて、しかも読後の印象もよかったので、更に著者の初期の作品

も一気に読んでしまいました。社会を風刺しながらも根底には意外と冷静な目が話術にも反映されているのかと、はままた、実社会の何気ない日常の一人の生き方を噺の様に語られる中に、我を思い出させてくれる、それを楽しみながら読めます。教育においても大いに参考になる視点かな、一人の教師として。