数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

夏になると2

2022-08-07 11:04:12 | 読書
 第1次世界大戦は今から約100年前の出来事ですが、この3年間ほどのコロナ禍に関しても、100年前のスペイン風邪のことがよく話題になりますが、第1次世界大戦でアメリカの兵士がヨーロッパに持ち込んだとも言われています。その時代は日本では、大正デモクラシーの時代で、思想統制なども行われていた時代であり、米騒動を始め、普通選挙制度要求や、それに続く恐慌から戦争への流れ、そんなことを思い巡らしている。こんな時に、管政権時に行われた日本学術会議任命拒否問題に関する本として
を読んでみました。
 学問と政治に関して、今、戦前との比較で考える人が多いのではないか、少なくとも私の世代より上の世代の人では。
 年代的には、菅、安倍元首相なども世代的には、学問と政治に関しては高校時代には勉強していたら、つまり、滝川事件等などを日本史で勉強していたら、こんなことはしないだろうと思われることが少なからずある。そう考える人も私より上の世代では多いのではないか。
 もっとも、滝川事件当時の文部大臣は鳩山一郎で、鳩山由紀夫の祖父であるし、戦後京大の総長にもなった瀧川幸辰は、意外にも高圧的なというか、管理的な総長らしかったとも言われているが。
 私の学生時代は、時計台には白いペンキで、「竹本処分粉砕」と書かれていたのが、日常でした。たまに時計台の前で、学生側と教授とで断交が行われていたし、教養部の1回生2回生の時はストで定期試験がなくなっていたし、授業料値上げ闘争もあったそんな時代でした。ストが可決されるのか心配で、代議員大会に出ていたこともありました。可決された翌日の朝には、綺麗にバリケードストになっていました。いつ椅子など積み上げたのかと思いました。もっとも、「竹本処分粉砕」も大学当局が消すと、翌日にはまたその特徴的は書体で書き上げられているという噂でした。
 授業料が値上げされるようになったのは、国会審議をしないで、文部省通達で値上げが可能に法令改正が行われて、その後一気に授業料の値上げが毎年のように行われていったのです。ちなみに私の時の授業料は年間3万6千円でした。月3千円です。一日バイトすれば、1ヶ月の授業料は稼げたものです。自動販売機の缶ジュースなども100円で今と変わらなかったです。授業料はいま国立大学で50万ほどですね。15倍ですね。
 70年代から80年代にかけては授業料も上がり、国立大学の医学部が新設され、浜松医科大、旭川医科大、宮崎医科大学が始まりで、南から琉球大学医学部、大分医科大、佐賀医科大学、島根医科大、高知医科大、香川医科大、福井医科大、山梨医科大学などが新設され、その後地元の国立大学の医学部に合併されたりもしました。それと並行するように、90年代にかけて教養部が廃止され、総合人間学部や、情報文化学部などの学祭的な学部へと変わって行きました。さらに、90年代から大学改革が行われ、独立法人化が進み、改正学校教育法や大学院重点化などとともに、国立大学には民間的発想の経営手法や第三者評価による競争原理の導入、資金の選択と集中、運営交付金の毎年1%の削減と競争的資金の拡充、中期目標中期計画の策定などによって、そのあり方を一変させることになる。
 最近の30年間の日本の成長率の減衰と上記のような大学を取り巻く環境の変化は同期しているように思えます。ときを同じくして、日本製とか、日本のもの作りとか、日本の技術力とかを賛美することが多くなってきたのもですが、それは現実には日本の技術の進歩の鈍化を逆説的に示してきたのではないかと考えます。大学生の政治意識も低下して、学問を学ぶ真っただ中にある学生から学問の自由を論じることで、学術会議の任命拒否を考えることもなく、我々の世代からすると学生は何してるんだと思えなくもない。歴史を紐解くことで、今からの将来に不安を覚える昨今の日本の状況に情けなさを憶えてしまう自分がある。
 


夏になると

2022-08-05 09:28:17 | 読書
 夏になると、思い出すのは甲子園と戦争。地元では三重高校が2年連続で甲子園出場を果たした。三重高校の甲子園でのイメージは、初戦では負けない。期待したくなるそんなイメージです。春の選抜優勝を始め、夏の準優勝、大阪桐蔭との熱戦を最近ではイメージする人も多いのではないか。

 甲子園といえば、「甲子園は清原のためにあるのか」の名セリフが思い起こさせるPL学園も忘れられない。さらに私の少し下の世代では、箕島と星稜の熱戦を思い出す人も多いのではないでしょうか。私は当時友達の家でこの箕島と星稜の一戦をテレビで見ていました。箕島の島田捕手(のちの阪神)の9回2アウトランナー無しからの同点ホームランや、落球後の山口選手の同点ホームランなど、友達と絶句して顔を見合わせたことを今だに思い出されます。

 そんな中でも、K Kコンビの清原のホームランはその後も何回もこの時期になると放映され、また最近では動画で何回も見ることもできます。そんな清原がプロを経て、引退、そして覚醒剤での逮捕と時代とともにイメージも変わりつつ記憶に残っていきます。

 そんな清原の逮捕後の生き様を過去を照らし合わせながら、どちらかといえば、影の部分に焦点を当てた本が最近出版され、読みました。それが
 
です。著者は以前このブログでも紹介した
の鈴木忠平氏です。落合のその本は、とても印象的で、そのことは以前のブログで書いていますので、参考にしてもらって、この本は確かに文体は似ていて引き込まれるところは前著と変わりませんが、いまいち時間的な前後からのアンバランスさを感じて前著ほどのインパクトの強さはありませんでしたが、それでも他書にはない新たなスポーツドキュメントの分野の書として多くの人に読まれると思います。雑誌「ナンバー」の記事を読んでいる感じがするともいえます。300ページほどの単行本ですが、1日で十分読み切れる内容でもあり、このところ読んでる本に比べればなんと読みやすいのだろうという思いがします。次回ではその本も紹介しますが、読みやすい本も大事ですね。そんな思いを新たにしてくれた本でそれは前著でもそうでしたが。今年はどこが優勝するのか?もうすぐ甲子園。

私の履歴書

2022-06-30 09:47:16 | 読書
 朝刊の日経新聞の「私の履歴書」はいつも目を通すコーナーですが、執筆者は以前は私の父親と同じくらいの年代の人が多かったのですが、最近はどうも自分の年代に近い人の記事が多くなってきたように感じて、自らの歳を考えることになります。

 思い出すと、友人が私のために、昭和30年代?の数学者「岡潔」のものを図書館で調べて、コピーを送ってきてくれたこともあります。また、今まで読んで記憶に残っている印象的な人では、物理学者の米沢富美子さんや佐藤文隆さん、益川利英さんがあります。

 それまで知らなかった人で、このコーナーを読むことで、その著作を読むことになり親しみを覚える人も少なくありません。岡潔は高校時代に「春宵十話」などで知っていましたが、佐藤文隆さんは同じく高校時代に講談社のブルーバックスで読んで知っていた。米沢富美子さんは女性の物理学者として、その名を聞いていましたが、佐藤さんと同じく、湯川秀樹に憧れて京大を目指し、物理を専攻したそんな心意気に感動を覚えたものでした。偉大な科学者の生い立ちや学びの履歴を読むにつけて、勇気をもらえるのが好きです。益川さんにも同じような気持ちを抱いていました。今の受験生と違って、普通の公立中学、公立高校から大学受験をしていることなど、自分とも重なる中学高校時代にも共感を覚えるのでした。その意味では今の受験生は東大京大など私学の中高一貫校出身者が多く占める状況からは違和感があります。
 
 そんな日経の「私の履歴書」の中で、美術史研究家の「辻 惟雄」を初めて知りましたが、その書かれていく文章が素朴で読みやすく、気がつけば毎朝楽しみにしている自分がありました。その内容に関しては、実は
の本に書かれているのですが、その時は知らずに後で、この本も読むことになりました。「辻 惟雄」は若い時に書かれた
が有名で、この本で伊藤若冲が今のような人気が出たとも言われる本ですが。この本は私の高校時代に出版された本ですが、装丁も素晴らしく、装丁だけでも価値があると思われるほどですが、当時の値段は1000円です。この本を読み始めたのですが、この本の文庫版があり、それが
ですが、この文庫版では写真もカラーがあり、若干写真も多いので、こちらを読むことにしました。この本で紹介されている「曾我蕭白」が実は私の住んでいる三重の松阪と縁があり、市内の朝田町(あさだちょう)の朝田寺(ちょうでんじ)に収めれれている唐獅子図壁貼付
は有名で、昨年一般公開された際にも地元の利を活かして、しっかり観ることが出来ました。また市内の継松寺に収められている雪山童子図

も有名で、そんな名画が地元にあることも、この本を通して教えていただきました。

 辻さんは、アメリカのプリンストン大学時代に数学者の志村五郎とも交流があり、その記述も上記の「奇想の発見」にはありますが、日経の「私の履歴書」にはその記述はなかったようですが、短い記述にも志村五郎先生の人となりが伝わって来ます。確かに、数学者の志村五郎は古美術にも審美眼があり、蒐集されていたようです。志村五郎を知っている者からすると、思わず感心した箇所でもあり、こんなところでも数学者との関わりもあるのかと関心しました。 

 私自身を思い出すに、小学校の頃、流行っていた切手集めで、浮世絵に関心があり、高校でも江戸の文化史にも興味を覚えたこともあり、江戸時代の日本画の説明にも素直に聞けるように読めるのですが、この本を通して、自分の学校時代の思い出を掘り起こしてもらい、そこから新鮮なあの頃の感性を思い出すきっかけになったと思っています。そんな経験を本を通してもらえるのも一つの楽しみでもあります。最近は、高校から大学時代に書かれた本を渉猟しながら今の時代からの時代考証をその本を通して自分の一つの楽しみにしています。それも一つの読書の楽しみ方かなと最近は思っています。



ウクライナとロシア

2022-04-29 10:24:33 | 読書
 ウクライナとロシアの戦争ともいうべき状況がもう2ヶ月続いています。ロシアの動向は見聞きするたびに、第2次大戦の日本(満州の関東軍)と中国との衝突を思い起こします。当時の日本が今のロシアとダブってしまうのは私だけでしょうか。

 戦争当事者はどちらも侵略とは自らの行動を呼びません。そして平和を目的とした行動と言います。時代が変わってもそのことは変わらないと今回の紛争を見て再確認しています。平時には威勢の良い事を行っていた政治家も急に口をつぐんでしまったり、プーチンと親密な関係を誇示していた政治家もそのプーチンにもないも言えない現状を見るにつけて、その政治家としての資質だけでなく、人としての度量や矜持の小ささを再確認しました。

 では何故、戦争を始める決断をするのか。そんな疑問に答えてくれると感じた本に
があります。国力や経済力の視点から当時の日本と英米の客観的な比較研究から導かれた結論としての開戦としての太平洋戦争についての新進気鋭の経済学者の論考です。初めは経済という視点からというあまりはっきりしない印象で躊躇していたのですが、読み始めると需要なことは重複を厭わず書かれていることで、内容が記憶に残ることで、よく理解できることになりました。特に、「正確な情報」がなぜ「無謀な戦争」につながったのかがようやく合点がいく内容です。それと当時の日本の世相を私の今も存命の父親の戦争体験の実話と比べても合点が行く、そんな思いを強くした本です。

背景には、実際の人間は非合理的に見える行動をとることがよくあり、その例として次のようなことが挙げられています。
a.確実に3000円支払わなければならない。
b.8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくても良い。
bの損失は期待値はマイナス3200円(マイナス4000円✖️0.8+0円✖️0.2)で、aよりも損失の期待値は大きくなる。したがって人間が「合理的」であれば、より損失の少ないaを必ず選ぶはずであるが、実験をしてみると実際には確実に損失が出るaよりも高い確率でより多くの損失になるが低い確率で損失を免れることもあるbを選ぶ人が多いことがわかっている(ある実験では92%がbを選択した)。

太平洋戦争の開戦判断として、
a 開戦しない  想定される結果として2−3年後に確実に国力を失い、戦わずして屈服。
b 開戦する  想定され得る結果として、非常に高い確率で致命的な敗北。非常に低い確率で、イギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、有利な講和。

が当時考えられていた。結局のところ集団意思決定によりリスキーシフトも相まって、日本の指導者たちは3年後の敗北よりも、国際情勢次第で結末が変化し、場合によっては日本に有利に働くかもしれない開戦の方が「まだまし」と思えたのでした。

こんな場合にこそ、冷静な判断がなされるべきなのに、危機に際してはそうではないことはよく起こることは、日常でも仕事上でも経験することであり、そんな視点から日本の指導者たちの日頃の言動や危機に際しての考え方に注視していきたい。

教育の世界でも、意思決定に関して、上記のような例を挙げることはできそうであり、それが意外と大事な時の決定に際して行われて来たことも思い出せるのではないか。戦争と学問、戦争と科学技術という視点から今一度考えてみることの必要性を感じます。
 

みすず書房

2022-03-22 09:46:57 | 読書
 前回アインシュタインの来日に貢献した、出版社の改造社は戦前では岩波書店と双璧をなす出版社であったが、今は存在しない。10年ほど前、京都の百万遍近くの古本屋で店頭に積まれていた「改造」の何冊かを目にしたが、今思えば買っておくべきだったかなと思うことがある。なぜ、そんな改造社が今はないのか?それが氷解したのがこの本を読んだからです。
実はこの本は数年前に買ってあったのですが、積読状態で、いつか読んでみたいと思っていたものの、少し厚い本でもあるので、いつしか本棚に眠っていました。いつ買ったというと
この岩波茂雄の伝記とも言える本を読んだ時でした。信州長野に生まれた岩波茂雄に続いて、みすず書房の創業者、小尾俊人も同じ信州長野の生まれで、信州長野には文化、教育という視点からも注目すべき出版人が排出されていることに気がついたのです。
 みすず書房は戦後の復員したこの小尾俊人によって創業されたが、「昭和24年の出版恐慌」によって、改造社等の戦前からの出版社も倒産の憂き目を被ったのである。そんな動乱の最中に創業して今日までその独自の立ち位置を続けている出版社に岩波書店ほど私自身には関わりがなかったのは、その出版物が人文系のものが多かったのが一番の要因です。物理では、朝永振一郎などのものもありますが、数学関係では少なかったと言えるでしょう。
 唯一読んだのは、
です。白い表紙がみすず書房の印象ですが、改めてその装丁のデザインもよく見るとどの本もしっかり考えられていると思います。この「ガロアと群論」は数学書というより、詩集といったほうが良い本ですが、少し気になっていたのが、訳者が元高校の数学の教師だった人で、買った当時は何故かな?と思っていました。そう思われる人もいるかと思います。しかし、「小尾俊人の戦後」を読んで、その疑問を解くヒントをもらった気がします。訳者の「浜稲雄」氏は信州長野で高校の数学の教師として、岡谷工業高校や諏訪清陵高校で教鞭をとられていて、最後は岡谷東高校の校長を務められた方です。そこに、小尾俊人との関係性があるように推測しますが、ご存知な方はいますか?
 さて、既刊のみすず書房の本を本棚で探していると、表紙が白でなかったこともあり、みすず書房の本だとは思っていなかった本で、しっかり読んだ本として、

があります。数学者が片手間で書いた数学史の本ではなく、数学史の専門家でありながら、物語しか書かないような数学史家ではない数学もしっかり修めたという著者の熱気を感じる著作で、こちらも引き込まれる思いをした本でもあります。

 さらに、少し本棚を覗いてみると、
これもみすず書房の本ですね。数学教育では有名なポリアの本です。他にも「MODERN ALGEBRA」で有名なファン・デル・ベルデンのこんな本もあります。

 そして今読みかけの本はというのが、以下の本で数学書ではなく、ゆったりした気分で読めますね。
世代的に近いので、同じ目線で社会を見てきたことに、共感を覚えてしまう自分がいますね。