数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

私の書斎始め

2020-02-28 15:13:41 | 日記
 今回から始める私の書斎というブログです。他にもブログは書いていまして、10年ほど続いています。ここでは、私の日常のことを書斎から書いていきます。
 写真ように私の書斎は今は、約3000冊の本で雑然としていますが、片付けるよりも読む方が忙しいのか、いつまでたっても綺麗になりません。
 仕事は予備校生に数学を教えています。もともとは公立の高校で数学を20年ほど教えていて、主に進学校で受験指導を中心に行っていました。その後、管理職を経て退職し、私学でまた数学の教鞭をとり、今に至っています。
 部活では、卓球をずーっと指導してきて、数学・卓球・数学の生活だったかもしれません。
 趣味は鯉つりです。そのブログが10年ほど続いています。他には、日本史の中でも、近代史が特に興味があり、ここでも読んでいる本など随時書いていきたいと思います。最近読んだ本で印象的なのは、山本義隆の「近代日本150年」(岩波新書)です。


科学者の視点から、日本の明治以降の歴史を科学技術の切り口から眺めてみると、なるほどと合点が行く事柄がたくさんあり、教科書で習った切り口が固定した切り口であることも納得できました。筆者の山本義隆は、私が中学の時、あの東大の安田講堂の闘争をテレビで見ていたその当事者の大学院生でした。日本の物理学会の将来を嘱望されていた優秀な大学院生で、この事件で、野に下ったときには、ノーベリ賞候補が一人減ったと言われたものでした。
 当時は、今よりも厳しい「受験戦争」でしたが、優秀な理系の生徒は、当時はまだ物理学賞しかノーベル賞の受賞者はいなく、湯川秀樹、朝永振一郎に憧れ、理学部で理論物理を専攻したい、素粒子を勉強したい、量子力学を勉強したいと、それが流行でした。さらに、数学者の広中平祐が数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞した時で、理学部では数学と物理以外は理学部ではない、そんな雰囲気さえありました。私もそんな雰囲気の中学から高校生活の中から、数学への関心が高まりました。