勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

邪馬台国についてー卑弥呼の出身地からー

2023-01-04 17:58:35 | 日記
邪馬台国についてー卑弥呼の出身地からー

「邪馬台国はどこか」所在地を巡る議論は尽きない。具体的な検証は将来に託すとして、今回は卑弥呼の出身地に注目し、私なりの仮説(東遷説)を述べたい。
卑弥呼はイト(伊都)出身であり、邪馬台国の女王として巻向に向かい、箸墓古墳に埋葬されたのである。
まず彼女の出身地である。かつてイト国が所在した福岡県からは「漢委奴国王」の金印が出土している。金印の文字を分解すればイト(委奴)と読める。漢(後漢)とイト国は関係があり、イト国は後漢を背景に日本列島に少なからず影響力をもたらした。卑弥呼が魏に使者を送ったとき、大陸では後漢が滅び三国時代を迎えていた。イト国は後漢の後ろ盾を失い、覇権を持つ時代は終わった。
しかし、邪馬台国は大陸と関係を結ぶため、イト国を必要とした。一方でイト国も再建するため巫女である卑弥呼を邪馬台国に向かわせた。卑弥呼のあとを継いだ一与(イヨ)はイトとも読める。イトの娘(イト国出身者)とすれば、卑弥呼も一与も共通する(もちろん2人は同一人物ではない)。時代が変わってもイト国の権威はなお必要だったのではないか。
イト国などが群雄割拠する時代から邪馬台国の時代へとなり、卑弥呼は統合の象徴であった。