♦️294『自然と人間の歴史・世界篇』フロイトとユングとアドラー

2018-08-10 21:12:24 | Weblog

294『自然と人間の歴史・世界篇』フロイトとユングとアドラー

 ジークムント・フロイト(1856~1939)は、オーストリアの精神医学者にして、精神科医であった。伯爵領の毛織物職人としてのユダヤ人の家庭に生まれ、17歳でウィーン大学に入る。同大学医学部のエルンスト・ブリュッケ生理学研究所に入り、1881年に卒業。その後は、医者として働きながら、医学を中心に幅広く研究を続ける。やがて、ユング、アドラーと並ぶ近代心理学の創始者の一人(「巨匠」)として、広く知られるようになっていく。
 フロイト心理学の特徴としては、「無意識」の世界が意識に与える影響を重視することにあったが、そのことは哲学へも影響を及ぼしていく。錯誤について取り上げたフロイトは、こういう。  

 「 この実例によってわれわれの考えている心理学の意図のいかなるものであるかがおわかりになると思います。われわれは現象をただ記述したり分類したりしようとしているのではありません。現象を心の中のいろいろな勢力の角逐のしるしとして捉えること、すなわちときには協力し、ときには対抗しながら、ある目的を目ざして働いているもろもろの意向の現われとみたいのです。われわれは心的現象の力動的な把握を求めているのです。」(「精神分析入門」

 晩年の彼はまた、異分野にも発言するのをためらうことがなかった。こういう。

 「民族の子孫たちが最大の存在と見なし誇りに思っている人間に対して不遜な論難を加えるなどということは、決して、好きこのんで、あるいは軽率に企てられるべきではない。とりわけ、自身がその民族に属している場合はなおさらであろう。しかしながら、いわゆる民族的利益のために真理をないがしろにすることは、そのような先例があるにもせよ、避けるべきである。さらに、事態の解明によって、われわれの認識の深化に役に立つ収穫が、実際、期待されてもよい。」(「モーセと一神教」筑摩学芸文庫)

「このユダヤ人を創造したのはモーセという一人の男であった、と敢えて言ってもよかろうと思う。ユダヤ民族は、その強靭な生命力を、また同時に、昔から身に受けいまもなお身に受け続けている周囲の敵愾心のほとんどすべてを、モーセという男から受けとったのだ。」(同)

(続く)

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♦️293『自然と人間の歴史・世界篇』ドビュッシー

2018-08-10 10:54:41 | Weblog

293『自然と人間の歴史・世界篇』ドビュッシー

 クロード・ドビュッシー(1862~1918)は、フランスはパリのサンジェルマンアンレに生まれた。パリ国立音楽院に学んだ。その後の1884年、ローマ大賞を得てローマに留学する。印象派の画家たちと盛んに交友した。性格など身の回りは、少々、型破りなところがあったようだ。そのかいあってか、音楽に「印象主義」を持ち込み、20世紀からの現代音楽の潮流の扉を開いた人物として知られる。
 ピアノ曲では「月の光」、「アラベスク」、それに「喜びの島」などの名作を発表する。「描写的表題」とでもいおうか、曲名には繊細な工夫が見られよう。管弦楽のための曲としては、組曲「海」、「夜想曲」など。女声と管弦楽のための曲「選ばれし乙女」、一つの弦楽四十重奏曲、いつくかのソナタとラブソディをつくった。他に、印象主義的といわれるオペラ「ペレアスとメリザンド」もあって、幅広い。
 これらの曲の中では、何とはなしに色彩の世界に入ったかかのよう。その種のことを何かしらいいたいのであろうか、本人は、こう書いている。
 「音楽とは、堅苦しく伝統的な「形式」には、本質的に収まらないものだ。音楽とは、「色彩」と「律動のある時間の流れ」によって構成されるものだ。」(1907年の友人ジャック・デュラン宛の書簡から一部抜粋)
 音楽史家のH.M.ミュラーに、こんな解説がある。
 「音楽における印象主義は、次にあげる方策を組み合わせて使うことで性格づけられる。(1)新施法性の使用nemodality、(2)5度と8度の解散、(3)和音進行における平行進行とその他の新機軸、(4)全音音階、(5)9度の和音の広範な使用、(6)形式の曖昧さ、(7)自由なリズムと小節線の軽視、(8)流れるような旋律線、(9)スペイン風の効果、(10)広い音間とピアノの極端な音域の使用。」(H.M.ミュラー「音楽史」東海大学出版会、1976)

(続く)

 


♦️292『自然と人間の歴史・世界篇』ニーチェの「超人」

2018-08-10 08:07:00 | Weblog

292『自然と人間の歴史・世界篇』ニーチェの「超人」

 19世紀末の文壇に雄々しく現れたフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900)は、プロイセン(現在のドイツ)ザクセン州の生まれであった。ボン大学、ライプチヒ大学で古典文献学を学ぶ。スイスのバーゼル大学の員外教授を務めた。後に、フリーのライターになった。晩年は精神錯乱に陥り、ワイマールの精神病院で死んだ。
 「悲劇の誕生」(1872)、「ツァラトストラはかく語りき」(1883~1885)、「善悪の彼岸」(1886)など多数の著作がある。
 これらにあるのは、キリスト教道徳を批判するのが一つ。とどのつまりは、「神は死んだ」という。二つとしては、ならば現代に生きる人間はどうするかと問い、自己克服の象徴としての「超人」を持ち出す。

 彼は、こう記している。「わたしはお前たちに超人を教えよう。人間は超克さるべきものである。(中略)人間は、動物と超人との間に張られた一本の綱だ。(中略)人間において大いなるところは、彼が橋であって、目的ではないことだ」(「ツァラトゥストラはかく語った」浅井真男訳)

 これをクリアするには、もはやプラトンの要求した「哲人」どころではない、もっと高みに登らないといけない。これは、彼の理想とするところだ。

(続く)

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